二帝、アビスのその先へ
こちらは肥前文俊先生の企画する『書き出し祭り』の応募要項に沿ったお話です。
『https://ncode.syosetu.com/n4375ep/』
第二回書き出し祭りの定員に間に合わなかったので、覆面作家として投稿いたします。
誰が書いたものか、わかるかな!?(^ヮ^)ノシ
最も異界に近いとされる魔界都市。栄えたその街では一年に一度の式典が開かれようとしていた。
魔界の王子が15才になる、成人の式典だ。たくさんの魔族兵と近衛騎士、親衛隊が大通りを横切るパレードにて。
ひとりの女がいた。
道の中央に立つ彼女はフードで顔を隠し、俯きながらパレードを塞ぐように立ちはだかっている。巨大なドラゴンが停止し、魔族兵が誰何する。辺りがざわつき、緊張が高まった。もはや力づくで排除されようとしたその瞬間。
女が跳んだ。
まさしく迅雷の如き速度。誰の目にも止まらぬ速さで女は、ドラゴンの背に乗る王子を掴まえ、そのまま飛び去った。
異例の事態だ。なんせ衆人環視の中、魔族の王子が連れ去られたのだから。親衛隊は女の後を追い、都市は混乱の渦に陥った。
女は路地に隠れていた。魔族兵を一旦やり過ごすつもりだろう。目を光らせる女を見つめ、王子──レヴァ=ラングリファは、顎に手を当てた。
「貴様、人間か?」
その声は、こんな事態だというのに落ち着き払っていた。眠そうに細められた眼も、そのままだ。
対する女の声は、この上なく張り詰めている。
「助けを呼べば斬ります。騒ぎを起こせば斬ります」
「今さら、なんの仕業だ? 魔族と人間は袂を分かち、争いはとうに終わったはずだが……。さては私怨か? しかしオレは何もしていないな。十五年、どこへも行けず閉じ込められたままだったのだ。ふむ、わからぬ」
「……この状況がわかっているんですか?」
「口を開けば斬るとは言われなかったものでな」
面白そうに口元を緩める王子を、女は睨みつけてきた。
「アビスへの門を開きなさい。そのために私はここまで降りてきたんです」
「果てか。無限の財宝が眠るとも、神をも超える力や永遠の寿命が手に入るとも言われている場所だが……。正気か? いや、あのような手段でオレを奪い去るなど、正気でできることではなかったな」
「なにがおかしいんですか」
笑うレヴァに、女は不機嫌そうな声を出した。
「面白いに決まっている。今さらアビスを目指すなど。そんな者は……魔族にも、人間にもいなかった。貴様、名をなんと言う」
女はためらった。だが、レヴァのもつ奇妙な威圧感に押されるように口を開く。
「……わたしはティエラ。ただのティエラです」
『いたぞ!』
同時に怒鳴り声。ティエラは王子の首根っこを掴み、ためらわずに駆け出した。一瞬でトップスピードに至る彼女に引きずられながら、王子は「ふむ」とつぶやく。
「人間族最強の剣士とも噂される『雷帝』ティエラか。よもや魔界にいたとはな」
雷帝ティエラ。この千年において、唯一人間としての頂に到達したと言われる剣士だ。雷を自在に操り、斬れぬ者はないとされる。それがまさかこのような若い女だったとは。
アビスへの門を開くことができるのは、王族の血に連なる魔族のみだ。かつてアビスより漏れ出た『災厄』を封じるため、多くの犠牲を払いながら封印したのだ。
封印そのものを破壊することはできない。だが、人が通れる程度の穴を開くことはできる。
「はぁ、はぁ……。まったく、あなたはよっぽど愛されているようですね……」
路地に追い詰められ、戦いを余儀なくされたティエラは、剣を手に荒い息をつく。その腕前は凄まじかった。
なによりも、倒れ伏す十数人の親衛隊はただのひとりも絶命していない。皆、彼女の放つ雷撃剣によって昏倒しているのみ。
「それはどうかな。父も母も傀儡だ。どうせオレもハリボテの王になる。生まれて死ぬだけの人生よ。……っと」
ティエラは再びこちらにやってきて、王子をまるで荷物のように担ぐ。その膂力を生み出すためにも、ずいぶんと魔力を消費しているのだろう。王子は申し出た。
「ティエラ。アビスへの門は、オレの首さえあれば開くぞ。あれには王族の魔眼だけが必要だからな」
「……存じております」
周囲を警戒しながら、ティエラは王城へと向かっていた。
魔族の城の最下層に、アビスへの門はある。
「『異界見聞断章』。そこに書いてありましたから」
「ほう。遠き昔に失われた断章が、まさか人間界に落ちていたとは。知っているか? あれはオレの曾祖父ちゃんの曾祖父ちゃんの、そのまた曾祖父ちゃんが書いたものだぞ」
「無論」
存じております。と堅苦しく言い、ティエラは懐から一枚の書を取り出した。紛れもない。王城より紛失した断章だ。
「怪奇と慚愧に満ちた冒険譚だな。なにもかもが荒唐無稽。まこと、人の遺した狂気よ」
吐き捨てるようにつぶやく王子。
が、ティエラの答えは違う。
「わたしには、夢と希望と冒険に満ちた物語に見えました」
「……なんと?」
担がれたまま見上げれば、そこにはティエラのまっすぐ前を見つめる顔があった。こぼれ落ちた金の髪。鋭くも無垢な青い瞳。凛々しく通った鼻筋に、桃色の唇はこれから待つ未来にほころんでいる。
まさか。
「貴様、アビスを目指すのは」
「アビスの先、誰も見たことのない異国があると言います」
ティエラは魔族の都市を征く。
人間界から魔界に降りてくることがまず一筋縄ではいかぬ旅路だ。それも女ひとりで。彼女を突き動かす原動力がなにか。よもや、そんな言葉だとは思わなかった。
「そこにはすべてがあるとされていました。未知も既知も、幸せも不幸せも。そこにないものすら、そこにあると。わたしは見てみたい。神の棲まう領域──『無何有郷』を」
「は」
王子は笑った。しかしそれは誰かを馬鹿にするような笑いではなく、ただ愉快に。
「その剣、いまだ道半ばとでも言うのか」
「研鑽のすべては、アビスの先を見るために」
「約束された地位も名誉も棄て、ひとり征くのか」
「そんな人間が、いてもいいでしょう」
ティエラは魔族兵に追いつかれ、そのたびに彼らを昏倒させ、さらに進む。
いつしか王城の地下へと到達していた。地獄へと続くかのような深い螺旋階段を下り、さらに下へと。ただ下へと。
ぽっかりと空いた穴は、水銀のような銀の泉で満ちている。これこそが封印。
降ろされたレヴァはティエラに意地悪く笑う。その稲妻のように美しき横顔を、少しだけ困らせてやりたくなったのだ。
「だが、もしここでオレが封印を解かないと言い出したら、どうする?」
ティエラは間髪入れず答える。
「困ります」
「……それだけか?」
命を奪えばいいのに、彼女はそれを選ばないと言う。そのまっすぐさに思わず王子は瞠目した。
「王族を確実に捕まえられる場はあそこしかありませんでした。わたしの目的のためにパレードを台無しにしてしまったことについては、謝ります」
そして、ティエラは深々と頭を下げた。
「それでも、行きたいのです。わたしはこの先の世界に。この胸の叫びだけは、どうあがいても止められないのです。死地へと向かう愚かな人間の女ひとり、笑いたければ笑ってください」
フードを外したティエラの姿は、王子と変わりない年に見えた。白き鎧に白き剣。旅支度は背負った袋に、本一冊。まさしく自殺行為だ。狂人の行いとしか思えない。
だが。
「わかった。アビスの封印を解こう」
「──!」
「ただし」
王子の目が輝きを帯びる。赤く輝いてゆく左目から魔力の気流がほとばしった。ティエラは思わず顔をかばう。
なんという魔力だ。
レヴァ=ラングリファ。数少なき、純血の王魔族の子孫。若き皇帝。その血に満ちる魔力は、爆発寸前の小惑星のようであった。ティエラは絶句する。
「その力があれば、あなたはわたしなどに抵抗できていたのでは……?」
「なにを馬鹿なことを。オレの灰色の日々に、あれほど面白い事件が起きたのだ。止めるわけがあるまい」
レヴァはティエラの手を掴む。顔と顔を近づけ、そして彼女に告げた。
「アビスへの門を開く。だが、条件がある。──オレも共に征こう」
「それは」
絶句するティエラに笑う王子の顔は、先ほどまでとはまるで違っている。これからの旅に、自身の生に、虹色の希望を抱く少年の顔だ。
「──わかりました。ただ、命の保証は」
「そんなものがいるかよ。オレは『面白そうだ』と思ったのだ。その保証をしてくれ」
ティエラは喉を鳴らし、そしてうなずいた。
「あなたを未知が待つでしょう」
「楽しみだ」
銀の泉が泡立つ。まるで蒸発するようにその表面が薄れゆく。
頭上からさらに怒鳴り声が聞こえてきた。魔族兵が追いついてきたようだ。もはや予断は許されぬ状況。だが、ふたりは笑みさえ浮かべていた。
「人知を超える化け物がいると聞きます」
「城の中ではまともに剣も振るえなかったからな」
やがて小さな穴が穿たれる。それは徐々に大きさを増す。
「剣も魔力も通じない巨神に、蹂躙されるかもしれません」
「オレと貴様が組んで勝てぬ相手か。まさしく夢のようだ」
穴の中になにかが見える。果てしなく遠くに光る輝きだ。本来は頭上にきらめくはずの星々。それが穴の中に瞬いている。
アビスの旅。それは星海の旅に他ならぬ。
万を超え、億を超える無限の異界。まったく違う進化図を辿ったひとつひとつが人間界、魔界に匹敵するほどの世界を。
「では、征くか」
「ええ、征きましょう」
ふたりは手を繋ぎ、そこから飛び降りた。
深く深く、落ちてゆく。どこまでも落ちてゆく。穴の中に吸い込まれ、なにも見えなくなる中、しかし互いの手のひらの温もりだけが己の実在証明であった。
アビスのさらにその先に待つと言われる神の地『無何有郷』を目指し。
──行きずりの少年少女は、今ここから物語を始める。
世界の果ての、その先へ──。
次回、第一異界
『機神熱砂惑星クロスガンツ』
次なるアビスが、彼らを喰らう。