角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味(12)
「おししょー、これ、油かけるの俺やっていい?」
「いいよー。天板さわらないように気をつけてね」
「おう」
ソーウェルはそんな双子の様子を横目に見て、ワインの瓶を見て、それからまた栞の方に視線を戻す。
「…………ワインのソースの他には、どんなソースが合いますか?」
「血のソースはだいたい合うって言いますけど、そこまでやると血なまぐさい気がするんですよね。その味が好きという方にはいいですが、そこまで血が好きな方は多くはなさそうですし…………でも、さっき聞いた話を総合すると、需要があるような気もします」
「あると思いますね。…………ヴィーダがお作りになるなら尚更です」
ソーウェルの太鼓判に栞は苦笑いをする。
「まあ、メニューに入れるかはおいおいですね。…………今のところは定番にするにはちょっと難しいです」
「そうですね。でも、オーブンが使えるのは利点では? これ、一度にたくさん焼けますよね?」
「ええ。でも、一人がオーブンにつきっきりになるとおもうんですよ、これ」
確かに、とソーウェルはうなづいた。
今の人数では到底メニューには載せられないだろう。
「おー、すげえ、いい匂い!」
「すごいいい色ですよ、お師匠様」
「ほんとだ」
表面はこんがりきつね色で、教本の写真にしたいくらい素晴らしい焼き具合だ。
(中までちゃんと火が通っているといいんだけど……)
素晴らしくお腹の空く匂いもしている。
「オーブンの火を落として蓋を閉め、二十分ほど余熱で火を通します」
「その間に後片付けとかしておけばいい?」
「ええ。あとは盛り付けの準備ね。今回は大皿に盛り付けます。パーティーの時とかはその方が盛り上がると思う」
豪快な大皿料理が並べられている様はさぞ見栄えがするだろう。
栞は片付けを手伝いながら、さっとつくった卵スープを温め、表面をわずかにあぶったパンを準備する。
「ディナン、そっちのフロアに居る殿下とイシュルカを呼んできてくれる?」
「りょーかい」
ディナンが小走りに出て行く。
(……あれ?……)
グラリと地面が揺れたような気がした。
「……いま、揺れた?」
「いいえ」
リアが首を横に振ったので、栞はそれを自分が目眩を起こしたのだと思った。
「……そう、ありがと」
ぐるりと首を回すと骨が小さな音をたてる。
(うわー、凝ってるんだ)
もしかしたら疲れているのかもしれない、とも思う。
(……睡眠はたっぷりとっているんだけどな……)
「お師匠様、お皿はこれでいいですか?」
「うん。いいよ。……今回は付け合わせの野菜が彩り豊かだから、お皿はシンプルな白ベースのものでばっちりだよ」
リアが選んだのは白地に金と銀のラインが入ったものだ。
白一色というのは一般家庭で揃えられている食器に多い選択だ。絵付けが無くて一番安い食器だからだと言われるため、それなりの身分をもつ家では白一色を嫌う。
このディアドラスでは、白は白でもレリーフがあったりレース細工の磁器のコレクションがあるのだが、そういうものはなかなか使いにくい。
主役であるべきは料理なのに、皿の装飾性だけが目立ってしまったり、逆にあまりにもシンプルすぎて料理ばかりがうるさいくらいに目についてしまうこともある。
それを考えるとリアの選択はなかなかだ。
(……あ、まただ……)
また揺れた、と思うのに、リアは何も言わない。
ソーウェルの方を見ても何も言わないから、また目眩なのかもしれない。
「………そろそろ盛り付けますか」
ソーウェルの目がリアやディナンのように輝いている。
「そうですね」
オーブンをあけると香ばしい肉の匂いがふわりと漂った。
「……ウサギ肉は少し臭いかと思っていたんだが、そうでもないんだな」
あちらサイズのウサギであれば、腿肉一本を一人前とするところだが、こちらではそうはいかない。
(こんな量を一人前にしたら、見ただけで食欲を失う人だっているだろう)
「仔ウサギだから余計に臭みが少ないんでしょう」
肉の臭みは、食べた餌の臭みだ。
生まれて間もない仔ウサギはまださほど餌を食べていないから、こんなにも臭みの少ない味わいなのだろう。
(でも、ちゃーんとウサギ肉の旨みになる臭みは残ってるんですよね)
思わずこの素晴らしい焼き加減には惚れ惚れしてしまう。
魔力火のオーブンの火加減はある程度イメージによって制御できる。ソーウェルさんはそれがとても上手なのだ。
外側はパリッと焼き、内側の肉はしっとり────それも、ちゃんと中まで火が通っているのに焼きすぎてはいない絶妙さだ。
「んーっ、やわらか~い」
口いっぱいに頬張ったリアが満面の笑みを浮かべる。
脂はそれほどないが、肉には噛みしめるとしっかりとした旨みがある。
「おひしょー、おかわりひていい?」
「いいけど、口の中に物入れてしゃべったらダメだよ」
「は~い」
ディナンは早くも三皿目である。
「すまない、シリィ。私もおかわりをもらえるか」
「はい」
差し出された皿にポテトグラタンと腿から削いだウサギ肉を三枚。そこに野菜を添えて、ワインの香り漂うソースをたっぷりとかける。
マクシミリアンの顔が綻んだ。
「……グレン達がこの美味いウサギが食べられないのは残念なことだな」
「まあ、グレンダードは自業自得ですね。余計な仕事を自分で作るからですよ」
「そうはいってやるな。あれも残念がっているだろう」
マクシミリアンはブッシュレースをウサギ肉でまいて口に入れた。
ソースがたっぷりと絡んだ肉だったが、最後は野菜の爽やかさで口の中が一新される。この食べ方だといくらでも食べられそうだった。
だが腹八分目で済ませておくのがマクシミリアンの流儀だ。いざというときに動けないでは話にならないのだ。
食後のひととき、豆茶を飲みながら他愛ない会話を交わす。
仕事の話もそうでない話も一緒くたにして話をするが、結論がでなくてもかまわなかった。
皆で言葉を交わすことが、マクシミリアンのかけがえのない日常の安らぎの一コマなのだ。
「そういえば殿下、街中の被害はいかがでした?」
「巨大魔生物の進行方向にあったもの以外はだいたい大丈夫だった。シリィのおかげで被害も最小限だ────死者はゼロだった。けが人はおそらく百を越えるだろうが、皆、生きているしやり直せる」
「そうですか…………良かった」
改めて聞いて、栞は安心した。
「でも、万が一あの魔生物が目覚めていたらどうなっていたでしょうか」
イシュルカが難しい顔をする。
「まあ、死者ゼロとはいかなかっただろうな」
「魔生物の目が覚める前におししょーが気付いて良かったね」
「本当にそうだな。……ありがとう、シリィ。おかげで助かった」
「御礼を言われることではないです。……当たり前のことですから」
「いや、それでもだ」
マクシミリアンは柔らかく笑った。
面と向かって礼を言われた栞は少し気恥ずかしくなり、自分の使った食器などを持って立ち上がる。
「……デザート持ってきますね」
といっても、作り置きのプリンくらいしかないのだが、きっとマクシミリアンは喜んでくれるだろう。
(……また、少し作り置きしておこうかな)
洗い台の水の中に食器を沈める。
グラリと地面が大きく揺れた。
「…………え?」
次の瞬間、栞の足下の床が消失した。
「おししょーっ」
「お師匠様っ」
悲鳴のような声があがる。
リアの、ディナンの目の前で、栞が崩れ落ちた厨房の一部と共に底のない黒い闇の穴へと落ちて行く。
二人がが伸ばした手は薄い膜に阻まれた。
「ちっ」
舌打ちしたマクシミリアンは、腰に下げていたロッドを手に瞬時に幾つもの魔方陣を起動する。
だが…………それらのすべてが、同じように薄い膜に阻まれ、栞のところにまで届かない。
まるでコマ墜としの映像を見ているかのように、栞が底なしの穴────大迷宮の闇の中に呑み込まれていく様子がはっきりと見えていた。
「ダメです、殿下!」
とっさに飛び降りようとしたマクシミリアンを、イシュルカが羽交い締めにして止める。
一瞬、すべての音がかき消えた。
「え?」
そして次の瞬間、底なしの黒い闇────どこまでも続く深い闇だったはずの穴に底が出現する。
その奥に呑み込まれた栞の気配は、どこにもなかった。
角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味 END




