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序章 二人歩きの百鬼夜行




 都に、鬼がいる。


 退位した上皇・貴仁。閻魔の血を引く鬼神は、魑魅魍魎を斬り捨てながら――ただ、退屈していた。

 そんな男が見つけたのは、姫の姿をした“男”だった。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 都の闇は深い。


 夕刻の宴の帰り。妻問いだろう浮かれた若い公達の牛車が、ひとつ暗い道を滑っていく。ケタケタ笑いながら、見えない何かが追いすがり、風ひとつ吹いていないというのに、それをゆらゆらと揺らす。


 その大路の様子を遙か遠くから射貫くように見た輝く星のような眼光。ちらりと視線を向けられただけなのに、牛車を取り巻いていた小物達は、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


 牛車もまた慌てて元来た道を引き返していく。


 人には見えぬ小者達が散って行く様子と、牛車の様子を高みから、その男は見ていた。瞳にはすでに金の光はなく、黒の色が戻っていた。


 表は二藍、裏は萌葱の杜若(かきつばた)の狩衣姿もその長身によく似合っている。武人のような隆々たる体躯であるが、その歩みには粗野さなど微塵(みじん)もない。それでいて、足音一つ立てない堂々たる様子は、山野を征く虎のようでもある。


「出ておいで」


 貴仁はくるりと振り返り告げた。


 その切れ長の瞳は、本来なら腹に一物ある殿上人も、人に仇なす魔も、ひと睨みで斬り伏せそうな鋭さを持つ。


──けれど今の眼差しは、どこか困ったような、慈しむものだった。


 それに導かれるように、東寺の五重の塔。その角から姿を現したのは、長袴に(うちぎ)姿の姫……というには、貴仁よりも少し低いぐらいの背丈。


 貴仁と同じ男子だ。


 だが、貴仁が鋭角に削られた阿羅漢の像であるならば、こちらは柔和な笑みを浮かべ瞑想する菩薩そのもの。


 頭から透ける紗布を被り、檜扇で口許を隠している。


 紗の下からこぼれる黒髪はきらめく星空めいて、こちらを見る黒目がちの瞳が――思わず微笑み返したくなるほど柔らかい。


 そして、夜気に触れるときだけ、薫の髪と布の縁が淡く光を自ら輝いているかのようだ。


 それは太陽のような目を射貫く苛烈さではなく。


 人が暗い夜に安堵し見あげる月のごとく。


 それよりもなによりも。


 被った薄衣越し、その頭の上には尖った三角の白い毛皮に覆われた狼の耳が二つ。


 いや、狼ではなく大神と言うべきか。


 薫は遥か神話の彼方で語られる、祖神たる太陽神の末なのであった。


 そして、二人が立つ場所は東寺は五重の塔のてっぺん。その屋根の上。


 いくら都中が見渡せるとはいえ、只人が軽々と立つような場所ではない。


 当然、貴仁もただの人ではない。


 鬼神――その名が、夜の都では畏れとともに囁かれる。


 いまは退位した上皇。三条に住まうがゆえに、三条院、あるいは三条様と呼ばれている。


「左近と右近はなにをしていたのか」


 薫付きの女房の名を並べて、貴仁はため息を一つ。だがすぐに気付いたように──。


「ああ、あれ達ではそなたを止められないか」


「二人を叱らないでやってください。私がなにも言わずに抜け出しました」


 「貴仁様と御一緒したくて」と、小首を傾げる様もなよ竹のようにたおやかだ。この長袴、袿姿で都の空を跳んできたとは誰も信じないだろう。その証拠に、袿の裾も、長袴にさえ土埃一つついてない。生来の加護である風の力で少し宙に浮いている。だからこそ、この長い衣で自在に動けるのだ。


 「お手をどうぞ」と差し出された貴仁の手に、薫が白い手を重ねる。そして、二人は夜の都をそぞろ歩く。


 といいたいところだが、五重の塔から東寺の御堂の伽藍へとふわりと飛び降りる。さらには貴族の屋敷をぐるりと囲む築地塀の上を駆けて、さらにはその神殿作りの屋根から屋根へと。


 二人手を繋いで行く、その姿はさながら春の野を散歩するように優雅であった。


 寄り添う影は二つなのに、不思議と月明かりの下では"ひとつ"に見える──そんな錯覚を覚えるほどに。


 そんな二人の頭上に大きな影が差した。


 夜、鳥は飛ばない。


 まして、大鷲よりも大きな鳥など、この日の本にいるはずもない。


「貴仁様、(ぬえ)……です」


 薫の声がかすかな戸惑いを見せたのは、それを"鵺"とたとえてよいのか迷ったからだ。貴仁が「ああ」とうなずき同意する。


──ぬえもどきと言った方がいいのかもしれない。


 その姿は顔は猿、胴体は虎、尾は蛇とも、手足だけが虎で、胴体はたぬきとも伝えられている。また尾は狐であるとも。


 姿が定まらない妖怪がぬえといえる。


 そして、今宵のぬえは、白骨が覗く人面に身体は雉、尾羽ではなく蛇の頭の尾をもっていた。


 特徴的なのは頭に二本の角があることだ。


 まるで鬼のような。


 ぬえは都の空に向かい、声にならない鳴き声をあげる。それは災厄を都に振りまく(しゅ)だ。疫病に、饑餓、災害。


 だが、その声なき叫びは、薫が上へと仰ぐようにかざした衵扇(あこめおうぎ)の起こした風によって、阻まれる。


 その薫風は邪悪な呪いを一気に祓い打ち消す。ぬえは薫を敵と定め、瞳のない血のような赤の瞳で、ひたりと見据えると、急降下してくる。


 寝殿造りの屋根の上。薫に襲いかかろうとした、ぬえのかぎ爪は、横から出た鞘から抜かれていない太刀に、ガキリと止められる。


 貴仁だ。太刀を片手で抜き放ち、もう片方の鞘で阻んでいたぬえを突き放すと、ひと跳びでその背に乗り移る。そして、太刀をその背に突き立てた。


 ぬえは声にならない絶叫をあげる。それもまた、すさまじい邪気と呪詛をまとっていた。しかし、薫が再び扇をひらりひらりと、舞うようにひらめかせれば、ぬえの回りを薫風の結界が取り囲み、その暗黒の厄を相殺する。


 怪鳥は空中で悶えながら、都の大路が十字に重なる四つ辻へと墜落する。


 その背に乗る貴仁は暴れるぬえの背で、両足で立ってふらつきもしない。ぐっと大太刀をさらに深く突き込み、怪鳥の身を地へ縫い留めた。


 四つ辻の光景がカゲロウのように揺らぐ。


 辻には魔が棲むとも異界にも通じるともいう。


 地から湧き出るようにそびえ立ったのは、羅城門より巨大な天を仰ぐような、地獄の大門の透ける幻。


 そして、貴仁が太刀を突き立てた、鵺の背から業火が渦を巻いて広がる。全身を一瞬にして焼かれて、ぬえはその声なき声さえ焦がされて消滅する。


 門は一瞬にしてすぐに消えた。地獄の門が開きぬえの魂を迎え入れることはない。罪を償い許され転生出来るのは人の魂だけ。


 魔と化せば、あとは消滅するのみだ。


 塵の一つも残さずぬえが消えた四つ辻。あとに残るのは太刀を鞘に収めた美丈夫だ。


「貴仁様」


 筑地塀の上を滑るようにやってきた薫が、ふわりと四つ辻に降りたつ。彼に心配げに近寄る。


「怪我はなかったか?」


 自分が問われる前に、貴仁が袿の薄い肩を抱き寄せて、薫に問う。薫は貴仁の顔をじっと見つめてこくりとうなずく。


「それはよかった」


 たったいま妖異と戦っていた、厳しい顔は嘘のように、貴仁は薫に蕩けるような優しい眼差しを向ける。


 が、一転してぎろりと四つ辻の角に隠れている相手を睨みつけて。


四尾花(よつおばな)よ。ここはお前の治める域ではなかったか?」


 貴仁に呼びかけられると、扇で口許を隠した四本尾の白狐が現れた。十二単をまとった彼女の後ろには、同じく化け狐の女房達に、一本足の大男の武官、破れ傘や提灯の付喪神の下男姿の小者達と続く。


 只人が見れば『百鬼夜行だ!』と腰を抜かす光景も、貴仁や薫にとっては、別に驚くべきことでもない。二人は平然としていた。


 ただ今まで外の世界を知らず、こんなたくさんの物の怪を見た事のない薫は、目を丸くして物珍しそうに見ている。その薫の視線にこそ、物の怪達は合わせるのもお恐れ多いとばかり、頭を垂れるばかりだ。


 そんな様子を四尾花と呼ばれた妖狐はちらりと見て、貴仁に婀娜(あだ)っぽく微笑みかけた。


「久しゅうございます、主上(おかみ)


「もう、主上(おかみ)ではない」


「院にござりましたか、この間、位に就かれたと思ったのに、まったく人の世はめまぐるしい」


 百鬼夜行を束ねる女妖はわざとらしくため息を一つつく。


 しかし、そんなことで誤魔化されないぞ──とばかり、貴仁は白狐に鋭い視線を向けたまま。


「それで、今宵の騒ぎはどういうことだ?」


 貴仁は再び、この都の半分、左京の物の怪達をまとめる女妖に問いただす。


 つまり、都に災厄をまき散らすような、はぐれ妖怪。あのぬえをなぜ、野放しにしたか? と。


「"ぬえもどき"はたった今、いきなり洛中に現れたもの。それに"もどき"はわたくしが院にお知らせするまえに、院、ご自身が綺麗に消しておしまいになられましたわ」


 洛中とはこの都のこと。あの"ぬえもどき"は自分の縄張りである、この左京ではなく"洛外"つまりは都の外から今宵、いきなりやってきたのだと白狐はいいたいのだ。


 だから、自分が未然に知る余地もないと。


 そう"ぬえもどき"だ。


 あれは本物の鵺ではない。


 人々の怨嗟の塊とも言うべきものだった。


 人でなしとなった慣れの果てだ。


 だから地獄にも受け入れられず、業火で魂まで消滅させた。


「もどきといえど、ぬえはぬえ。荒事に不向きな化け狐ではとてもとても、対処はしきれませんわ。

 院の業火のお力でなければ……ねぇ。それに今宵はいとかぐわし薫風の君が、都人を厄災から守ってくださいましたわ」


 薫風の君とは、まさしく薫に相応しき名だ。


 たしかに貴仁の業火だけでは、ぬえもどきを消滅させることが出来たとしても、まき散らされた災厄はどうしようも出来ない。あれだけでも、都にひとときの流行病や、火災などの大きくもないが、小さな厄が襲ったことだろう。幼子や老人、なんの罪もない人々の命が失われたことは間違いない。


 四尾花は『薫風の君』と口にしながら、貴仁に寄り添う薫の白い面をじっと見た。


 薫はといえば、その白狐の銀色の瞳をきょとりと漆黒の大きな瞳で見返す。その表情にはなんの怖れもなく。


 むしろ、薫の瞳を真っ正面から見た四尾花のほうが、息を呑んでサッと己の顔を扇で隠す始末だ。それにも『わからない』とばかりに、薫はこてんと首を傾げる。


「こら、我が妻を試すな」


 貴仁が不機嫌そうな声をあげて、己の狩衣の袖で包みこむように薫をふわりと抱きしめる。


「まさか、院と同じようなお方に挑むほど、このわたくしは愚かではありませんわ……」


 言いながら、その声は薫の陽の気に当てられたように、かすかに震えている。


 都の左京を取り仕切る女妖――四尾花は、「左京の君」とも囁かれるが、狐の(さが)は抜けきれぬらしい。


 どんな畏れ多い相手であっても、イタズラ心がうずく上に、すぐに忘れて凝りないときている。


 目を合わせるのは物の怪同士では、軽い遊びでもあり、力比べだ。目を反らしたほうが負けという単純な。


 しかし、ただの妖狐が、大神の末に挑むのはあまりにも無謀というものだろう。


 四尾花とて、負けると分かっていて挑んだのだろう。十二単の裳の後ろからはみ出している四つの白い尾も震えて縮み上がっているのを見て、『まったく懲りないヤツ』だと、貴仁は薫を抱きしめたまま、大げさにため息を一つ。


「さて、此度のめでたき儀、わたくしどもからのささやかな、献上品にございます」


 四尾花が、そう言えば自らするすると進み出てきたのは、青の糸毛車(いとげくるま)


 もちろん、ただの牛車ではない。付喪神の一種のおぼろ車。つまりは物の怪だ。


 「つい先頃生まれたのですが……」とこの手の物の怪がいう"ついさっき"とは百年単位だ。実際、これが生まれたのも五十年前あまりでそれから。


「誰も乗せぬ、気位の高さ。ところが、月宮(つきのみや)様のお話をきいて、ぜひ、はせ参じたいと」


 己はそのために生まれたという。じっさい前に出たおぼろ車はからからと、ゆっくりと薫達の前で止まる。


 貴仁はふわりと薫を抱きあげて、そのおぼろ車へと乗り込んだ。そして、後ろの御簾を少し開けて、見送りに立つ、四尾花に告げる。


「我が妻への祝いの品をもって、此度のことは不問にしよう」


 ぬえもどきのことと薫と視線を合わせたことと、両方の意味を込めて貴仁が告げれば、妖狐は「ありがたきこと」と深々と頭を下げる。


 貴仁は続けて。


「なにか耳にしていないか?」


 それはこの都にいささかの怪異はないか? ということだ。それに狐の女妖は口許に閉じた扇を当てて。


「さて……六条河原に、面白きことが」


「お前の"面白い"は、ろくなことがない」


 貴仁はそう言い捨て、おぼろ車を出した。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 閻魔の娘の子である上皇と祖神返りの大神の宮。


 彼らの出会いを語るには、さらにその前。


 三条様、または退屈上皇と呼ばれる、貴仁の誕生から語ることになる。






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