第二十話、感情の在り所
隠し扉を閉ざし、武器を取り出した所で侵入者達が現れる。やはり扉の鍵は意味が無かった。不審者が素直に扉から入って来るはずがない。
「皇女はどこだ」
「黙秘します」
常套句と言うやつだ。誰も応えるとは思っていない。
「じゃあ死ね」
と一人目が言い終わる前に三人目が切りかかる。右手の少し大ぶりなナイフでそれを凌ぎ、下がった足で床を蹴る。
すぐに間合いを詰めて来た二人目には蹴りを放ち、奥から飛んで来た細い針を姿勢を低くして避ける。
そのまま強く床を蹴って前へ出る。迎え撃つ三人目と切り結ぶその隙に、左手に仕込んだ針をその脇腹に打ち込んだ。毒が塗ってある為、直に動けなくなるだろう。
それと引き換えかの様に、二人目に背中を切られた。深くはない。痛みはあるので身体的には動きが鈍るだろうが、感情がないので精神的には問題がない。
しかし元より大きくはない体躯だ。二人目に力任せに蹴り飛ばされれば、軽く吹っ飛んだ。息は詰まるが目は見開いたまま。
とどめを刺しに来た二人目の胸を、倒れたまま刃物を仕込んだ靴で蹴り上げる。執念で腕を振るう二人目の胸をそのまま抉り、降りかかる血を浴びながらもう片方の足で蹴り飛ばす。
すると、影から来ていた一人目が舌打ちをしながら二人目の体を避けた。
一人目の手にはいつの間にかサーベルが握られていた。暗殺者にしては珍しい獲物だ。そんな事よりも重要なのは、ナイフしか持っていないイリアでは間合いが不利になったという事だ。
元より実力自体はアントニーにも及ばない。自分の身を守りながらでは勝てない。そう理解したイリアは防御の二割を捨てた。腕を、足を、顔をサーベルが浅く裂くが気に留めない。避ける動作を減らした分だけ前へ出てナイフを振るう。
それに慄いたのは暗殺者の方だ。イリアは今まで完全に避けていた攻撃に対し完全には避けず、いくつもの赤い筋を刻んでいる。しかし、毒の塗った針は必ず避ける。その判断力には舌を巻くが、それよりも傷を負っても鈍らない躊躇わない動きに慄いていた。
少々捨て身で攻撃するのは分かる。だが、怪我をすれば自然と動きは鈍り、知らず痛みを恐れ動きがぎこちなくなるものだ。しかしイリアにはそれが一切無い。
その上、瞳には一切の感情の揺れが見られず、読めない行動に動揺するのも暗殺者の方だった。
それでも暗殺者の方が押しているのは、偏に体格と経験の差だ。武器の差もあるかもしれない。どれだけ上手にいなしても、サーベルをナイフ一本で相手取り続けるのは難しく、疲労する。
そうしてイリアを追い詰め、暗殺者が心臓を狙う一太刀を振り上げたその瞬間だった。
「フェリチータ!!」
大きな音と共に扉を蹴破って来たラノス。片手には剣を持っていた。
国王でもあるラノスの突然の乱入に暗殺者は少し意識が逸れた。
一方イリアは動じない。半歩分身を下げ、暗殺者の乱れた剣筋を服だけ切られるに留め、袖口に仕込んでいたフェリチータのナイフを走らせる。
あの日フェリチータに貰ったナイフは子供でも持てるサイズだったが、ガチガチの実用用であった。なんなら暗殺用である。
だから鋭い刃はブレる事もなく、真っ直ぐに暗殺者の喉笛を切り裂いた。
暗殺者の体は崩れ落ち、それでも警戒を解かないイリアは、念を入れてもう一度首を刺した。暗殺者はびくりと跳ねて、動かなくなった。
「お主、大丈夫か?」
ラノスが声をかけるが、答えは無い。
血溜まりに沈む二人目の脈がない事を確かめ、三人目を見ようとする。
「おい、お主も怪我をーーっ!?」
少々気が立っていたラノスは、イリアの怪我を見るために無理矢理肩を持って体を向けさせて、目を剥いた。
顔から足まで、怪我のない所はないのではというくらい傷だらけで、おまけに返り血もあって血だらけのイリアだが、最後の一太刀は切れたのは服だけで、肌には一筋の傷もついていない事が見て取れた。
それが直に確認できたという事は、服の前が完全に断ち切られていた訳で、そこにある小さくとも明らかな男との違いまで目に入ったものだから、ラノスは唖然と固まったのだ。
「お、お主···女人だったのか···?」
「はい。そうですが」
ラノスの掠れる声に、なんて事もなく答える。
背はフェリチータよりも高いがハイノスよりも小さく、体躯も服装で誤魔化してはいるがどちらかと言えば細い。髪は男と同じ短さで、顔は女性を感じさせないが男性でもない。低めの声は女性らしくはない。
今まで何の疑いもなく男だと思っていた。スカートをはいていないから男。それくらいの認識だったのだと今更気づく。
よくよく見れば、女性らしくなくとも男性ではないと気づけそうだというのに、気づけなかった。
目の前の事実にラノスが更に唖然とする。その反応にも気にした様子は無く、イリアが作業を再開しようとしたので、慌ててラノスは我に返った。
「待ちなさい、取りあえずこれを着なさい!」
脱いだ上着をイリアに着せ、急いでボタンを留める。
はて、近頃同じ様な事があったような。
イリアには大き過ぎる上着で、腰所か腿にまで届いていた。
「汚れていまいます。どうぞ自分の事はお気になさらず」
「そういう訳にはいかん!」
帝国の貞操観念はどうなっているのだ。ラノスは思わず頭を抱えそうになった。
イリアはというと、口だけであって既に諦めてはいた。もう着せられてしまったものは仕方がない。イリア如きが国王に逆らえるはずも無いのだから。
再度作業を再開し、毒で意識を失っている三人目の両足の健を断つ。一応これ以上上着が汚れぬよう気はつけた。
「これで全員か」
「はい。今の所は」
チャンスは一度きりのはずなので、これ以上の襲撃は無いと見てはいる。
「フェリチータはどこだ」
「こちらです」
三人目の口にハンカチを突っ込み、両腕を縛ってから、イリアは隠し扉を開けた。
そこには最後に見た時と同じ状態のまま座り込むフェリチータがいた。涙はもう止まっている。
「フェリチータ、大丈夫か?」
「ええ、私は大丈夫ですわ。申し訳ないのですが、手を貸してもらってもいいかしら」
ラノスに手を借り支えられながらも、自分の足で立つ。真っ直ぐにイリアを見て、フェリチータは口を開いた。
「イリア、あなたは何を見つけたの?」
顎を上げ、挑む様な態度に不思議に思いながらも、イリアは答える。
「『感情』を見つけました」
「そう、それは、あなたの物になったの?」
「いいえ」
否定が予想外だったのか、フェリチータが驚く。
「どうして?見つけたのでしょう?」
「自分の『感情』はフェリチータ様だからです」
「え?」
「初めてその雫を見た時、それが何か分かりませんでした」
綺麗な雫。きらきら光って、美しい。
それなのにフェリチータはとても悲しそうで、苦しそうで、理解が出来なかった。
「フェリチータ様と一緒にいて何回も見て来ました。それでも分かりませんでした」
涙とは悲しい物だとアントニーから聞いた。フェリチータは誕生日のプレゼントでも泣いていた。
涙は感情が昂ると出るとサラが言っていた。フェリチータは動かず喚かず静かに泣いていた。
分からなかった。
何が正しいのか。
その雫が何なのか。
「ですがその雫に触れると、心臓の辺りがおかしくなるのです」
冷たい雫に触れれば、ぎゅっと痛くなる。
温かい雫に触れれば、じんわりと緩む。
アントニーもサラもそれが『感情』だと言った。
それでも掴むことが出来なかった意味を、不意に先程見つけたのだ。
「これが『感情』ならば、自分の『感情』とはフェリチータ様なのだと、思いました」
自分では分からない。でも、フェリチータを通してなら分かる気がする。
「だから『感情』は自分の物にはなりません」
イリアはフェリチータのモノでも、フェリチータはイリアのモノにはならない。別にそこまで欲しいとも思わない。
フェリチータが知っているならそれでいい。
イリアの持ち物は『イリア』と『フェリチータ』とフェリチータがくれたナイフだけ。それだけで十分だった。
「イリアは、私といてくれる?どこかにも行かない?」
不安そうに声を震わせるフェリチータに瞬く。
「はい。自分はフェリチータ様のモノですから」
くしゃりと、フェリチータの顔が歪む。
「そうよ。イリアは私のモノなの」
再び溢れた涙はしかし零れない。今にも落としそうなそれを抱えたままフェリチータは睨みつけた。
「私のモノのクセに、私の言う事を無視した挙句、勝手に怪我をするなんて許さないわ!しかもラノス様の上着を着ているだなんて!今すぐ脱ぎなさい!」
「はい、かしこまりました」
「待て!脱ぐんじゃない!フェリチータ、今は見逃しておくれ、彼女は服を切られてしまっているのだ」
「なんですって!怪我はどうなの?見せなさい!」
「はい、かしこまりました」
「もう少し後にしなさい!部屋を移ってから···こら!フェリチータも脱がすんじゃない!」
「何よこの血は!怪我はどこなの!?」
「それは返り血です、フェリチータ様」
「お主らはもっと恥じらいを持たんかぁ!!」
寿命が縮まったかもしれない。
ラノスは顔を赤くしながら本気でそう思うのだった。
お読みいただきありがとうございます。
イリアはそこそこには強いです。騎士や兵士と正面切っては負けますが、そうでなければ副隊長レベルなら勝てます。
サラとアントニーの教育の賜物と感情の起伏が無いからの強さです。
そして、イリアはイリアちゃんでした。本人は性別なんて何も気にしていません。意識して男装をしていた訳でもありません。その方が良さそうだからぐらいのふんわりなので、指摘されればあっさりバラします。
やっと、やっと終わります。終われます。多分次で。




