第十九話、我儘
とうに明かりの消えた一つの部屋。静かな寝息が一つだけ聞こえてくる。その天井から覗く影は音もなく、降り立った。一つ、二つ、三つ。滑る様に動く影は静かにベッドへ近づき、躊躇いもなく刃を振り下ろした。
しかし、刃は枕に埋まるのみ。さっと転がったターゲットは、すぐ傍にいた侵入者を切りつけ、ベッドから飛び降りた。
そこへ二つ目の影が迫り、刃の交じわう音が響く。
後ろから来た三つ目の影にターゲットは髪の長い鬘を投げつける。怯んだ隙に足を払い、囲みを抜けたターゲットは、火打石を打った。
瞬間、部屋が急に明るくなり、侵入者達の目が眩む。治まったその時には、大量の鏡と一つの光源以外、部屋には誰もいなかった。
「どこへ逃げるの?」
フェリチータの手を引き、駆けるイリアに問う。
イリアは既に変装していたネグリジェを脱ぎ、フェリチータはシンプルなドレスを着ている。
「近くで丁度良い部屋がありますのでそこへ」
廊下には誰もいない。その手際が侵入者達の手強さを表してもいた。
駆け込んだのはドレスの試着に使った客間。意味はないだろうが鍵もかけておく。
「どうするのよ、ねぇ」
「フェリチータ様には隠れていただきます」
当たり前の事だというのに、フェリチータが不服そうに口を尖らす。
「どうして私だけなのよ。逃げたって事はイリアでは敵わない相手なのでしょう?イリアも一緒に隠れればいいじゃない」
ダンっ!
と、強く壁を打ちつければ、壁が重い音を立てて奥へ開いた。以前見つけていた隠し扉の一つだ。見つけるコツはサラに教えて貰った。
「自分は侵入者の相手をしなければなりません」
「なんでよ!隠れていればいいじゃない!」
「引きつける人間が必要です。でなければすぐに見つかってしまいます」
少々強引にフェリチータを引っ張って中へ入れる。何故かフェリチータはそれに抗う。
「嫌よ!イリアだけじゃ勝てないのでしょ!?そんなの駄目よ!」
「フェリチータ様、我儘を言わないで下さい」
「嫌!」
媚薬以来の特大の我儘だ。しかし相手をしている時間はない。
「フェリチータ様、お聞きしてもよろしいですか?」
「嫌よ!」
「初めて会った時の話です」
初めて、イリアから現在以外の言葉を聞き、フェリチータは動きを止めた。イリアは不思議な事に過去や未来といった話を自主的にする事がなかった。特に自分に関する事は何一つ。
「何故牢屋に来たのですか?」
「ーーお母様を探していたの。分かってる、分かってるわ。そんな所にいるはずがない事も、もう、どこにもいない事も。それでも、もしかしたらどこかにいるんじゃないかって、どこかに、いて欲しくて、探していたの」
感情の無い、ただフェリチータを映すだけの瞳。
「何故翌日も来たのですか?」
「···あの時のイリアは口をきけなかったでしょう?それなら皆みたいに煩い事を言われたりしないと思ったの。王女らしくしなさいも、お母様が見てますよも、もううんざりだったの。後、悪口を言っても告げ口もされないと思って」
抑揚の無い、言葉の意味だけの淡々とした声。
「何故泣いていたのですか?」
「お母様の、一周忌だったの。皆がお母様の事を過去形で話すの。私も、お母様の事を忘れていって、思い出せなくなって、お母様が本当にいなくなってしまうって、怖くて、悲しくて、逃げ出したの」
あの日から変わらない。ずっと同じ。
「何故自分を助けたのですか?」
「嫌だったの。死ぬのが。私にとって大切なものがなくなるのは嫌だったの。お母様だけでなくイリアもいなくなるのは、嫌だったの」
イリアの存在そのものが思い出させる。過去を。記憶を。感情を。
「嫌よ、いや。イリア。お願い、いかないで」
いつからか零れる涙は止まらない。あの日の悲しみが胸を締めつけて止めてくれない。
「私を置いていかないで、イリア」
透明で大きな雫を受け止めて、イリアは初めて、その瞳に光を映した。
「そうか、やっと分かった」
イリアの両手がフェリチータの頬を包み込み、雫を拭い取る。
「これが『感情』なんだ」
「イリア、あなたーー」
涙が晴れた視界がイリアの顔を映した瞬間、フェリチータは呼吸を忘れた。
とん、と体が押されて、二、三歩下がって足が崩れ落ちる。
その目の前で無情にも隠し扉が閉ざされ、不完全な闇に包まれた。
「どう、して···」
茫然と、動けないフェリチータは涙を落とす。
それまでの激情が、混乱が、全て抜け落ちてしまったかの様。
残ったのは指一本動かせない程の脱力感と喪失感。
「どうして、笑っているのーー?」
そんな、綺麗な顔で、笑わないで欲しかった。
微妙な感じなので二つに分けました。
続けてどうぞ。




