第28話(84話) 取引材料
任務は終わった。
端末に指示された回収地点に向かえば終わり。約束ではこの後帰還すれば、ある人物に会う事が叶う。
幸い、情報屋から欲しかった情報を秘密裏に入手する事も出来た。自らの目的に一歩近づいたと言える。
その時、背後に人の気配を感じた。
「探す手間が省けて良かったよ、犯人さん」
「…………」
言葉は返さない。ここで反応すれば認めたのと同義になる。だがもしもの時は、やらなければならない。ローブの下に隠したナイフに手をかけ、再び歩き出す。
「誤魔化さなくていいぞ。確かに返り血やら凶器やらは上手く隠してはいたが、現場の跡が割と新しかった。その上でこんな時間にこんな場所で歩いているのはお前くらいだったからな」
「…………」
「はぁ、なら最後に言おうか。…………足跡だ」
エルシディアはその言葉を聞き、僅かに下を向いた。この裏路地は陽が当たらないために、一度雨が降ると中々乾かない。だが表の道に近いこの場所は僅かながら光が当たる場所があり、乾きが早いのだ。おまけにこの道は一本道。そのおかげでついた僅かな足跡を逆に辿っていけば、特定自体は簡単だろう。迂闊だった。
「随分目がいいわね。探偵に向いているかも」
「目は作り物だが、それなりに自信はある」
「でも、良すぎるのも考えものよ」
刹那、エルシディアは振り向き、背後の人物へナイフを投擲した。だがすぐさま相手は身を翻して回避。紅い髪が宙になびく。
「ティノン…………!?」
「やっぱりお前だったんだな。エル」
エルシディアを見つめるティノンの目は、旧友を懐かしむようでもあり、悲しむようでもあった。
「生きていたんだな……」
「えぇ。生かされた、かしら、正確には」
「私から言うのは1つだけだ。…………帰って来い。みんなが待ってる」
「みんな……ふ、ふふ……!」
突如笑い出したエルシディアに、ティノンは戸惑いを隠せなかった。何がおかしいのか、腹の辺りを押さえて笑い続ける。
「嘘吐かないで。何がみんな? もうエレナも、隊長も、ビャクヤもいないの。私が知っているみんなはもう元通りになんかならない!」
「まだ私も、エリスも、グリフォビュートのみんなだっている!! ビャクヤだって……」
「あんな紛い物をビャクヤと一緒にするな!!」
エルシディアは声を張り上げる。その言葉を聞いたティノンの表情が、苦痛と怒りに歪む。
「知ってるのか、今のビャクヤの事を……」
「もう彼はいなくなった! たった1人、私の痛みを受け止めてくれた……家族になれたかもしれない人は……」
「会ったのに、知ったのに……お前は何もしないのか!? ビャクヤは今でもお前の事を想ってーー」
「あれは違う!! あれはビャクヤの記憶を他人のものだって言った! 私を探しているのも、そういう義務だから……プログラムされているロボットと一緒なの!! 私は…………あれからビャクヤの記憶を助け出してみせる……その為に……」
何かを言いかけ、エルシディアは口を噤んだ。だがそんな事はもうティノンにとって関係なかった。
「義務感だけで……女1人に執着する男なんかじゃない……お前の事を、本気で、助けたいって……」
「…………貴女はどうなのよ。ビャクヤの為に、何かをしたの? 何かしてるの? 結局は、何も出来てないんじゃないの?」
エルシディアの言う事はまた、事実だった。
昔も今も、助けられてばかり。彼の力になる事も、また彼を救う事も出来ていない。
しかし今、こうしてこの場にいる事は、真実を知る事は、ビャクヤの願いを叶える為である。
「出来ていない。だから今ここにいる。真実を知って、お前を連れ戻す。それがビャクヤとの……約束だ」
「……………………残念。じゃあ…………」
エルシディアの口角が僅かに上がり、微笑を作り出した。
「死んでよティノン。私が約束を守る為に」
一瞬のうちに間合いを詰められ、閃いた一閃がティノンの首筋に向かう。ティノンはそれをバック転で回避。自らもナイフを構える。
互いに構えながら、狭い路地で円を描くように回りながら様子を伺う。
近接戦闘の訓練で、エルシディアに勝った事は一度もない。それでも今なら、
「ーーっ!」
先に動いたのはティノン。エルシディアの目を狙ってナイフを横に薙ぐ。エルシディアは半身ほど後ろに引いてこれを回避。だが反撃する様子はない。すぐさま勢いを利用した蹴りを放つ。
エルシディアはこれすらしゃがんで避ける。そして今度は振り切ったティノンの隙を突いて駆け出し、左胸目掛けて刺突を繰り出す。
「フッ…………!!」
寸出の所で態勢を整え、ナイフの峰で軌道をずらす事には成功。しかし勢い良く繰り出された突きはティノンの左肩を抉る。
激痛に意識を失いかけるが、この好機をティノンは見逃さなかった。
エルシディアがナイフを引くより先に彼女の腕を掴み、逆方向へへし折った。
「あぐ…………!!?」
ありえない方向に捻じ曲げられた所為か、エルシディアは後ろへ飛び退こうとする。だが逃す程ティノンは甘くなかった。
逃げようとするエルシディアの肩を掴んで引き寄せ、顔面に頭突き。怯んで晒した胸元へ容赦無く肘を叩きつけた。
「ガッ…………ゴ、フゥ!?」
肋骨が折れる感覚と共に、血反吐混じりの胃液を吐き出すエルシディア。グッタリと倒れ込もうとした彼女を抱き留めようとした時だった。
「ほん、と…………そういうところよ…………」
袖口から小さなナイフが飛び出し、ティノンの両目を斬り付けた。
「っ!?」
反射的に手を離してしまう。瞼を切られただけで眼球に損傷はないようだ。
だが隙間ほど開けた目には、既にエルシディアの姿は無かった。
「エル…………」
壁にもたれかかり、天を仰ぐ。
通信端末を取り出すと秘匿回線に繋ぎ、総司令官へと繋ぐ。
「……総司令官。目標の情報屋は口部、及び全身を斬り刻まれて会話できる状態ではありませんでした。長くはないでしょう…………」
[了承した]
「そして、もう一つご報告が……]
今の自分に出来る事。
ビャクヤの過去について知っている総司令官の手足となり、情報を集める。自分自身が取引材料となる事だった。
「エルシディア・ゼイトの生存を確認。…………戻ったら、約束の情報を」
[分かっている。無事に戻れる事を、祈っている]
「…………何かあったの?」
エリーザが車のドアを開けると、エルシディアが転がり込む。少し咳き込むと、血が点々と座席に付着する。
「何でもない…………少し抵抗された」
「…………そう、ならいい」
エンジンをかけ、車を走らせる。
「そんなに怪我したら、スティアさんに怪しまれるんじゃない? もっと慎重に動くべきだったわね」
「……貴女には、関係ない」
「そうね、私には関係ない。貴女はスティアさんと仲良く暮らしていればいい。自分と彼女に嘘を吐きながら」
車を走らせながらエリーザは淡々と告げる。しかし言葉の裏にある怨嗟の念は、エルシディアには十分すぎるほど伝わっていた。
かつては殺し合った敵同士。分かり合える気も、分かり合おうとする気も2人にはない。
ただエリーザがエルシディアへの報復を留めている唯一の事実。それはアレンとスティアの、血の繋がった妹という事。
確かにアレンと顔つきはよく似ている。だが決定的に違うのは、その目に宿っている光。
優しい光を宿しているアレンに対し、虚無感を孕んだ瞳。同じ色をしているにも関わらず、エリーザには彼女の瞳が濁っているように見えた。
続く
次回、Ambrosia Knight 〜遠き日の約束〜
「アンブロシア計画」
仮面の下で眠る真相。それは永遠の救済を求めた者の、末路だった。