第56話 遠き日へ
暗い部屋の中、ティノン・ハストは報告書をまとめていた。
酷く憔悴し、赤く腫れた目が、ここ数日に起きた全てを物語っていた。
そして今ようやく、最期の項目を打ち終えた。
〈メンバーリスト〉
・ウェルゼ・アイオスレーズ
戦死。最終階級は二階級特進により中佐。機体は見つからず、敵に奪取されたと推測される。
・エルシディア・ゼイト
行方不明。生体反応、及び機体反応共にロスト。便宜上行方不明としているが、生存は絶望的と考えられる。
・ソウレン・ビャクヤ
現在、植物状態。機体は回収済み。脳に重大なダメージが見られ、目覚める可能性は極めて低いと医務室から報告されている。
仮に彼が目覚めたとしても、右腕、右足、左足を損失しているため、戦場復帰は不可能と判断されている。
「…………」
ティノンは報告書を保存すると同時にパソコンを閉じ、ベッドに身を投げ出した。
枕は未だに少し濡れていた。何日泣いていただろう。何度自分を責めただろう。
何度全てを投げ出そうかと思っただろう。
だがそれを許さぬ様に、軍の上層部から一通の指令が届いた。
[今回の任務により特に大きな損害を受けた、特務小隊、第一部隊に通達する。今後は両部隊を統合し、任務にあたってもらうものとする。隊長は特務小隊所属、ティノン・ハスト中尉に任命]
「……今更…………私に……何をしろっていうんだ……!! 何も出来なかった私に……!!」
ーー 君がいれば、特務隊はやり直せる ーー
愛する人から託された約束、希望。
「…………いや、1つだけ…………」
1つだけ、出来ることがある。
彼から託された約束を果たすこと。それが、仲間を失い、何も守れなかった自分が出来る唯一のこと。
まずはその為に、やらなければならないことが沢山ある。
ティノンは立ち上がり、制服を羽織ると部屋を飛び出した。
例え先に何が待っていようとも、未来に向かって走り始めた。
「…………」
何日目だろうか。こうして暗い部屋に閉じこもり、蹲るだけの毎日。
ここでこうしている間に、一通の手紙が届いた。ビャクヤ、エルシディア、ウェルゼについての内容だった。
それを見たとき、最初は笑った。おかしくなったんじゃないかと思うほど笑った。
そして、泣き叫んだ。
このまま使い物にならないと捨ててしまっても構わないと考えていた。それがダメならいっそのこと殺して欲しかった。
もうこの世界に、自分の居場所はない。
そのときだ。重く閉ざされた扉が動き出し、光が溢れ始める。
何事かと、彼女はゆっくり視線を扉の方へ向ける。扉を開けた主を見た瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「ティ…………ノンさん……?」
「……エリス」
ティノンは部屋の中に踏み入ると、彼女ーーエリスの前に立つ。
いつ見ても、その凛々しい立ち姿は変わっていない。
「…………何の……用ですか?」
「エリス、もう一度、やり直そう」
「やり直す……? 何を……?」
「もう一度、戦おう。お前の力が必要なんだ」
「私の……?」
ろくに戦えもせず、姉を助けられなかった自分の力を?
そもそも、何をやり直すというのか。何と戦うのか。
「ティノンさん……私はもう……」
「エリス。私とお前に、皆は希望を託してくれた。いつかまた、戦わなきゃいけない時が来る」
「いいじゃないですか、戦わなくたって。そんな事投げ出して、逃げてればいつかは……」
「背を向ければ逃げられるかもしれない。だけどエレナは逃げなかった。ウェルゼ隊長も、エルも、ビャクヤも、逃げずに戦った。だから私も……もう一度戦うって決めたんだ」
ティノンは踵を返すと、部屋を後にする。去り際に扉の前で言葉を残した。
「待ってるよ。いつでも。いつまでも」
再び静寂と闇が戻る。だが、エリスの顔は俯いていなかった。
「逃げずに……」
あの日、自分を庇ったエレナの行動を思い出す。
エレナが繋いだこの命を、悔いのないように使いたい。それが、姉の最期の望みだとしたら。
エリスはドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。
再び敵と、自分と戦う為に。
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「いやあぁァァァ。かんどぅぅぅ的な再会ですネェェスティア少佐!!」
「…………」
「ほらほらこの可愛らしい寝顔! 貴女にそっくりじゃないですかぁっ!! ほんっとーー」
「ミスタートリックフェイス。病室ではお静かに願います」
「あっはい」
スティアの静かな怒りを孕んだ言葉に、トリックフェイスはすぐさま口を閉じる。
「まぁ妹さんが大好きなのは分かりますが、そんなにすぐ目覚めないとは思いますよ。気長に待ちましょう。…………貴方も」
トリックフェイスはドアの向こう側で立ち聞きしていた人物に言葉を投げかける。
「これからは妹さんと仲良く暮らすんです。色々と相談しあって下さい。それでは。私は重要な用事がございますので」
そう言うと、病室を後にした。
扉の向こう側にいた人物も、すぐさま病室を離れていく。
「……アレン」
ここのところ、アレンは目に見えて疲れているように、スティアには見えていた。ハリッドが戦死しただけではない。度重なる戦いの疲れが一気に出ているようだ。
しばらくの間、彼を休ませた方が良いのかもしれない。
「う…………うぅ…………」
と、目の前で寝ている少女が呻く。意識はないが、何かにうなされているようだ。
スティアは少女の震える手を握り締める。
「……ビャクヤ…………」
うわ言のように、その名を呼び続ける。余りに痛々しい様子に、スティアは涙を浮かべていた。
「昔から、大好きだったもんね」
15年前、あんなことが起こらなければ違う人生があったかもしれない。
大好きな家族みんなと、幸せに暮らしていた未来。
もう完全な幸せなど、自分にはいらない。だがエルシディアとアレンだけは。最愛の家族だけは。
「でも大丈夫。今度こそ、守ってみせるからね。エル」
アレンは廊下を進む。
当てなどない。自分が成すべき事は成した。だがあの日以来、喉元に何かがつっかえているような気分だった。
後はアルギネアとの戦争に決着をつけるだけ。それだけの筈なのに。
「俺は……何を迷って…………」
「アレンさん!!」
と、背後から声が聞こえる。振り向くと、エリーザの姿があった。
「……どうした?」
「あ、いえ。少し顔色が悪そうでしたので……どうかされましたか?」
「いや、何でもない」
アレンは再び歩き出す。
エリーザには、その背中が何処か切なく感じた。まるで消えてしまいそうな雰囲気を纏っていた。
気づいた時には身体が動いていた。
アレンの背中を、エリーザは優しく抱きしめていた。アレンの眼が見開かれ、表情が強張る。
「どう、した。エリーザ」
「……アレンさん」
エリーザは更に体を押し当て、吐息のような声で囁いた。
「どんなことがあっても、私は貴方の側にいます。ずっと、一緒ですから」
「……」
アレンはしばらくの間無言で立ち尽くし、
やがてエリーザに向き直り、その頭を優しく撫でた。
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「あぁ、もしもし、聞こえていますかぁ?」
「聞こえている」
「あ、繋がりましたかぁ。私、トリックフェイスと申し…………いや、声でバレてますかね?」
「用件を早く言え」
「焦んないで下さいよ。…………貴方に聞きたいことがありましてね。単刀直入に言います。ソウレン・ビャクヤ、彼は今どこにいます?」
「教える義理はない」
「義理って貴方ね。まぁいいですよ、シラを切るつもりでしたらね。昔から貴方は変わっていない。多分うちの総司令官も、貴方を見たら喜ぶでしょうね」
「用が済んだなら……」
「いやいや。まだまだ聞きたいことはありますよ。とりあえず……って、あ、ちょ、何切ろうとし」
ブツリ、と通信が切れ、モニターからヘルメット頭が消えた。
山積みとなっている計画書に取り掛かる。今後の対策、予算案。グリモアール攻略戦のことで議会の一部からかなりの追求を受けている今、彼等への対応など、やるべき事は多い。
だが、ここからが本当の戦いの始まりだ。
総司令官は別の端末を取り出す。自らの側近すら存在を知らないそれの画面に映し出されたのは、
「アンブロシア計画の主役は変わった。アリアではなく、ソウレン・ビャクヤへと」
過去に積み上げてきたデータを基に、自らが設計したもの。
〈アンブロシア・フレーム〉
「アンブロシア計画……アクトニウムを用いて、全人類を永久に存続させる神の計画の、第一歩だ」