第54話 ラスト・ホープ
「取引……?」
「えぇ、取引です。それも貴女にとぉぉぉっても有利な……ねぇ」
トリックフェイスは、スティアのきめ細やかな紫銀の髪を撫で回す。スティアの表情は変わらず、無のままだ。
「簡単ですよ。貴女に妹さんがいるでしょお? その人をこちらに連れて来てください」
「っ!? どうしてその事を……!?」
スティアの表情が一変したのを見たトリックフェイスはけたたましい笑い声を上げる。
「やだなぁ、私、こう見えて人脈広いんですよぉ。ちょぉぉっと探せばポンっと分かります。それで交換条件なんですが……」
その細い指が、スティアの頬に絡みつく。
「もう一度、家族みんなで、一緒に暮らせるようにしてあげますよ。誰の邪魔も入らない……幸せにね」
「…………そんな事、信じられると?」
「だぁから私は人脈広いんですってば。上層部、もっと言えばそう……総司令官も、お友達です」
トリックフェイスは、ヘルメットのバイザーを上げる。
その奥にあったのは、光を失い、濁った瞳。そしてその顔は、スティアの記憶に焼きついた忌まわしい顔だった。
「貴方は……!?」
急いでスティアは車椅子を後ろに下がらせようとする。しかし肩を掴まれ、車椅子から地面に引きずり落とされた。足がまともに動かないスティアは、床を這うようにして逃れようとする。
「うぅ、う…………」
「15年ぶりですかぁ? 顔を見たのは。あぁんなに子供だったのに、大人になりましたねぇ」
髪を引っ張り上げ、今度はスティアの左胸を撫で回す。不快感がスティアの身体を駆け回る。
「どうして貴方が、貴方が…………」
「どうしてって何がですか? 私、死んだなんて言った覚えないんですがね。それで、どうしまーー」
「取引には応じません! また、またあの子を実験台にする気でしょう!?」
「もぉとはと言えばぁ!! 貴女のせいでもあるでしょお!」
トリックフェイスの手が、左胸から口の中へと回される。言葉が発せない。
「貴女があの時成功していれば、妹さんまで使われることはなかった。更に言えば! アレンや彼がいなければ、更に言えばぁ!! アリアがいなければぁ!!」
手を大仰に振るい、高らかに笑い始めるトリックフェイス。
「悲劇なんて起こらなかった。でもそのおかげである技術がある! それを追求しないのは愚の骨頂! 犠牲になった者への冒涜!!」
トリックフェイスが手を引き抜くと、スティアは咳き込み、えづく。
自分の左胸を押さえる。
自分の愛する妹と同じ、バイオレストアの実験台にされた心臓。そして、生まれつき弱かった両足に埋め込まれ、結果的にそれを完全に奪ったバイオレストア。
この男の要求を飲めば、絶対に、自身とエルシディア
の身体は良いように利用される。
それでも。こんな屈辱を味合わされても。
家族が一緒にいれば、生きていけるだろうか。
「それでもう一度聞きますよ。取引に、応じますか?」
「………………………………お願い、します」
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飛来する狙撃を対艦刀の一振りでいなし、エルシディアはヴォイドリベリオンとの距離を詰める。
だが、それはZ.Kを携えたフィーアバエナによって阻まれてしまう。
「サンキュー、エリーザ副隊長」
「紅い奴は貴方に任せる。仇なんでしょう?」
「了解〜。……譲ってくれて、本当にありがとう」
フブキは少し嬉しそうに言い残し、エグゼディエルの方へ向かう。
「行かせると……!」
「いいや、行かせないわ」
フィーアバエナはもう片方の腕から、鉄杭を一斉に打ち出した。二本の赤熱した鉄杭は、マーシフルの脇腹と右肩を抉る。
衝撃でヘルメットが弾け飛び、破片が頬を切る。
「初めて見た時から……忘れられない、大嫌いなその蒼を消したかった!」
エリーザは憎悪を浮かべ、Z.Kを薙ぎ払った。マーシフルは一度上空へ逃れる。
「ご生憎様。私は貴方の事、印象にない」
エルシディアは頬から伝う血を舐め、マーシフルの脚部ブレードを展開。強襲をかける。
しかしフィーアバエナはそれを躱すと、展開したサブアームでマーシフルの手首を捕らえる。
「別にいいわ。今日ここで死ぬんだからっ!!」
「っ! パワーでマーシフルが負けーー」
マーシフルのコクピットに向け、パイルバンカーの砲口が向いた。
その時、フィーアバエナに飛来した物体が衝突し、衝撃で吹き飛ばされた。
「何!? どこから……!?」
飛来した物体の正体を見たエリーザは、直後絶句した。
それは引き千切られた、ジェイガノンの上半身だったのだ。
「いやぁ、壮観だねEA!! ほら、もっと力を見せてみなよ!」
「くっ……!」
ヴォイドリベリオンは、傷付いたエグゼディエルを容赦なく追い詰めていく。
最後に残ったマイクロミサイルを発射するが、ヴォイドリベリオンの両肩から計4本の機銃が露出し、全てを撃ち落とされる。
エグゼディエルに残された右腕もほぼフレームのみ、バックパックも火花が散っている。そこへ更に、ジェイガノンやヴァルダガノンからの援護射撃が飛ぶ。
「このまま……」
[な、何だこい、ガァァァァッ!!!]
「あ? 一体どうしーー」
その時、ヴォイドリベリオンの目の前に残骸と化したヴァルダガノンが投げ込まれ、進行を阻まれる。
「な、何だ……えっ…………?」
ティノンの目の前に姿を現したのは、信じられないものだった。
あの日、シミットの戦いで見た群青の翼を持つ騎士の姿。
『………………ゼロエンド、あそこを見て』
パイロットの声が通信機から聞こえる。しかしそれは、ティノンのよく知る声とは少し違った。
その声は、ビャクヤと少女の声が重なったようなものだった。
『敵がいるぞ…………お前の、敵だ』
ゼロエンドは体を反らし、天高く咆哮するように駆動音を鳴らす。
『今度こそ、今度こそ……』
「ビャクヤ……? どうしたんだよ、ビャクヤ!?」
[貴様ッ!!]
と、1機のジェイガノンがゼロエンドに襲い掛かる。
だが振り上げたヒートアックスはゼロエンドに腕ごと取り上げられ、自身のコクピットに捻じ込まれた。そのまま一気に抜き払われ、黒い液体を撒き散らす。
『ティノン……君は、戻って』
「でも!」
『君は死んだら駄目だ。ティノンがいれば、特務隊は終わらない。また、やり直せる』
「ビャクヤ……いや、お前は……?」
と、空気を裂いて射出された弾丸がエグゼディエルを狙う。それをゼロエンドは、先ほど破壊したジェイガノンを盾にして防御する。
『俺は……私は……アリア・クラウソラス』
ティノンは愕然とした表情を浮かべていたが、やがて顔を俯け、涙を流した。
今、ビャクヤに何が起きているのか。それは一切理解出来ない。しかし、たった一つだけ分かることがある。
自分に出来ることは、もう何一つない事。
何も出来ない、約束を守る事すら出来ない、無力な自分を痛感する事だけしか。
「…………約束は、守れよ」
『生きて帰る。大丈夫だよ。俺は死なない…………私が、死なせない』
エグゼディエルは天高く飛翔していく。
「待てEA!!! 逃げるなぁぁぁぁっ!!!」
フブキは絶叫し、飛び去っていくエグゼディエルへ照準を合わせる。
しかしそれを阻止するように、ジェイガノンの残骸がヴォイドリベリオンに衝突した。
『エルシディア……貴女もーー』
「冗談言わないで。私は最後まで戦う。……希望は繋がったんだから」
『……どうして』
「今、クラウソラスって言った。アリア・クラウソラス。あの時私はろくに喋れもしない子供だったけど、今でも目に焼き付いてる。貴女が、貴女達が起こした、あの光を……」
幼き日に見た、群青の翼。
それは美しく、だが無慈悲に、全てを薙ぎ払い消失させた。
まるで天使が、愚かな人間に罰を与えるように。
「あの日から全てが狂い始めた。……私は自分に流れる血が憎かった。運命を呪った。貴女を恨んだ……だけど……」
エルシディアは自らの胸に手を置く。
呪いがかけられた心臓の鼓動が、今では愛しさすら感じる。
彼が気づかせてくれた、生きている証。
「今はそんなこと、どうでも良くなった。本当の家族も、過去もいらない。今の私は、エルシディア・ゼイト」
『エル……』
「貴女にビャクヤは殺させない。ビャクヤを守るのは貴女じゃなくて私だから」
『うん……ありがとう……』
その時の笑みはビャクヤのもので、その時流した涙はアリアのものだった。
「いいや、お前は死ぬべきだ」
『っ!?』
呪詛の篭った声が轟き、咄嗟にゼロエンドは背後に拳を突き出す。
直後、歯が浮くような甲高い金属音が鳴り渡る。
漆黒の爪がゼロエンドの籠手に喰い込み、その双眸がゼロエンドを睨みつけた。
「今度こそ終わらせる。俺達クラウソラスの呪いを終わらせる!!」
『アレン!!』
2人に呼応し、ゼロエンドとネヴァーエンドは拳をぶつけ合った。
原点と永遠が、背負った約束を果たすために。
続く
次回、Ambrosia Knight 〜 遠き日の約束 〜
「白夜」
約束を守る為に戦った少年の結末は。