ひな人形の話
なんかタイミングがずれてしまいましたが。
我が家は息子ふたりなので、ひな祭りは全く関係なくて、来年3月が近づくとそろそろ出さなきゃねーと繰り広げられる雛人形の話題にも全く着いていけなかったのだが、もちろんわたしもひな人形は持っていたのである、かつては。
わたしのひな人形は豪華七段飾りのフルセット……ではなく、お内裏様とお雛様の2トップ仕様であった。写真に残っております。
母方の実家の初孫でしかも女児という事で、田舎の祖父母が張り切ったらしいのだが、社宅住まいの我が家にそんな大きいものを設置するスペースはないと、母が固辞して、ガラスケースに収まった美しいお雛様を頂戴したのである。
しかし、なんという事でしょうか。
幼いわたしは雛人形で遊んでいたらしい(母談)
そしてあろう事か、人形を壊してしまったらしい。全く記憶にない。当然、母や祖父母から叱られたのだろうけどその記憶もないから、きっと思い出すのも怖くて封印してしまったのだろうと思うのだ。
何故壊してしまったのか?どうやって?という謎は残るものの、なんとなく感じるのは人形への忌避感ではなかったのではないかと思う。
実はいまだに人形は苦手なのである。
旅に出るとこの季節は、旧家にお雛様がででーんと大量に飾られているイベントなどがありますよね?
あれが怖い。大量の人形が怖い。
結婚祝いに贈られた高砂の人形が怖い。長男出産の祝いでいただいた若武者の人形も怖い。その人達はダンスの上で後ろ向きに、つまり顔を見ずとも済むように置かれている。捨てられないのでせめてお顔を見ないようにとの配慮なのだ。
何故、人形が怖いのか。
リカちゃんとかぬいぐるみは全く平気だし、どちらかというと好きなのだが、日本人形が怖い。
記憶にある怖さの思い出といえば、子どもの頃テレビである俳優さんが、夜中にガサガサ音がすると思ったら、和室のテレビの横の藤娘が踊ってた!というのを聞いて、背筋がぞっとして怖くて怖くて。
いま、タンス部屋に置いてある若武者のお人形。後ろを向いてるけど、たまに、こっち向いてたらどうしよう??と、ふと思ってしまうことがある。普段はそんな事忘れているのに、ふとした時に心に浮かぶのだ。
そのように感じる時は何かある、とわたしは思っている。
例えば亡くなった愛犬をなんの脈絡もなく思い出し名前を呼ぶ時、彼はきっとわたしの側にいると思うのだ。そういう愛しい存在を感じるのは嬉しいのだが、ただただ人形(日本人形)は怖い。
ちなみにわたしには霊感は一切ないと自分は信じているが、靖国神社併設の学徒出陣した学生の遺品を並べている施設に入った時は、もう最初からダメだった。悲しくて辛くて。
そしてご存じのように、独身の彼らのための花嫁人形がずらりと並んだ部屋はもう泣きそうだった。
走ったら駄目なのに下を向いて小走りで走りました。
怖さというより悲しみ。
そんなこんなで、娘がいなくてよかったなと思う次第。雛人形がなんだか怖くて飾れないとか、笑い話ではないか。
霊感ありませんよ。




