四歩,
「消滅って、どういうこと?」
巻き起こる強風の中、何処かを目指して入り組んだ神殿内を翔び進むアネスの背で、ガウンは必死にフードを抑える。
「我々コアは、それぞれ歌を持っている。この世界に誕生する瞬間に、自分が存在する為の元となる者から与えられる歌だ。私で言えば緑と水、そして光から。ミレーは滝から生まれた水と霧から歌を与えられた。」
ただ、一番重要なのは旋律ではないという。
「音階の並びは飾りに近い。護らねばならないのは詩だ。言の葉を失えば、我々は我々を保てなくなる。力を失うことが無いというのが、更にやっかいな点だ。自我と形代を無くしても、力のみは暴徒となることができるのだから。」
「じゃあ、私が聞いたのが旋律だけだったということは…」
「ミレーは今、限界に近い。なんとか形を保っている状態だろう。おまえに訴えたのだ、ガウン。〈助けてくれ〉と。」
私のような小さな存在に、コアが手を伸ばした。ガウンはアネスを掴んでいない左手の平を見つめた。
何をしろと言うのだ。
つい先程、再び全てを失ったばかりだというこの自分に。
我に返っても尚、歌声は頭に響いてくる。ガウンは、思わず両目を固く閉じた。
そうすれば答えが見えると考えた訳ではないが、〈救え〉なかったこの手に希望があるとはどうしても思えなかったのだ。
「本来、我らの声を聞くことのできる者は限られている。獣から、人間に至るまでだ。その中でもおまえは、歌まで聞くことが可能であろう。大丈夫だ、まだ間に合う。」
先程までとは打って変わった、アネスの落ち着き払った声が高い天井に響く。
目的地に着いたのか。ガウンは瞳を開け、膝を曲げたアネスの背からそっと降りた。
随分と広い部屋だ。壁の天井に近い位置に、いくつか外の霧が見える。
未だ蠢くあれらの音が聞こえないほど、この部屋には穴が無い。
全ての壁と床に施されている石煉瓦の紋様は割れ目を負ってばかりいるのに、何故か埃は立っていない。
龍のような石像が手前に二体、そして中央奥に一体座っている。
アネスが纏っていた風は緩くなり、周囲の声がよく聞き取れるようになった。
これは、民の声だろうか。姿を現さぬ者達の声が聞こえてくる。
皆、ここから出たいのか。
黄泉の国の方が、幸せになれるのか。
言葉を聞き取れないというのは、何故ここまで苦しいものなのだ。
悲哀は伝わってくるのに、希望は届いてこない。
思わず耳を塞ごうとした時、アネスの翼に身体ごと引き寄せられた。
「気をつけろ、流されるでないぞ。」
その言葉と殆ど同時に、三体の石像の口腔から、勢いよく水が溢れ出した。
アネスの風によって護られているのは、周囲二メートル程。
その周囲は瞬く間に水で覆われていく。
この部屋で最初に見つけた窓の位置まで、ほんの数秒で水が溜まった。
アネスがいなければ、とうの昔に息絶えていたであろう。
ふと前方に視線を移すと、つい先程まであった三体の龍の姿が無かった。
その代わりなのか、中心部に向かって徐々に水流が集まっていく。
その姿は、まるで竜巻だ。
「あれが、今のミレーだ。」
その〈竜巻〉を、アネスは〈ミレー〉と呼んだ。
もう、形も何も無いじゃあないか。ガウンは無言のまま首を左右に振った。
「歌は、まだ聴こえるか。」
必死に整えた息で、ガウンは耳を澄ます。
神殿に入った時は、引き込まれるほどにはっきりと声が聴こえた。
深く、低すぎない声。
本来は、きっともっと美しい歌声を奏でるはずだ。
「どうして、聴こえないの。」
間に合わなかったのだろうか。
綱も切れたのか。
「いや、水が意思を持って流れを生んでいる。まだ間に合うはずだ。大丈夫、落ち着けガウン。私が護ってやる。」
落ち着かねば。ガウンは開きかけた目を再び閉じる。
ミレーは滝から生まれたと聞いた。
そして、彼に歌を与えたのは水と、霧だ。
そうか、そういうことか。
ガウンは風の膜の中、思い切り息を吸った。
そして、ミレーの奏でた旋律を代わりに奏で始める。
数度しか聴いておらずとも、彼が歌っていた旋律はたったの数小節。
今のミレーが唯一歌うことのできる箇所だったのであろう。
声が返ってくるまで、何度もめげずに繰り返す。
既に数え切れない程になった時、水流の中から、一音のみであったが声が返ってきた。
「聴こえた。」
声の方向へ目を開くと、どうやら最後の綱は竜巻の中心にあるらしいことが分かった。
「思い出させたか。よく考えついたものだ。」
「光が無いと、水は輝くことができないと思ったの。後は、風が必要。」
霧か。アネスは翼を広げた。
「そう。ミレーに、また初めから与えてみよう。今ここに足りないのは、霧。外の霧は駄目、嫌な感じを纏っているから。偶然にもこの部屋は天井がすごく高いから、少しだけれど水面ができてる。そこで風を起こせば、温度差のせいで霧が生まれてくれるはず。」
だが問題は、そこまでミレーを連れなければならない点であった。
今彼らが位置しているのは、謂わば水底。
水中に霧は存在できない。
ガウンが頭を抱えていると、アネスが顔を近づけてきた。
「容易いことだ。」




