第1話 人生を最初からやり直しますか?
2025年8月9日。
名神高速のサービスエリアに大型トラックを停めた山下直人は、エンジンを切ってから運転日報へ時刻を書き込んだ。
荷物は翌朝着の工作機械部品で、届け先までは残り150kmほどある。急げば今夜のうちに着ける距離だが、休息時間を削って走るような年齢でもなかった。
冷房の余韻が消えていく車内で、直人はコンビニ袋から小さなショートケーキを取り出した。蝋燭はなく、祝ってくれる者もいないが、それを寂しいとは思わない。長距離運転手になって30年近く、誕生日を自宅で迎えられないことには慣れていた。
「51歳か。とうとう、背番号より年上になってもうたな」
助手席には、阪神の縦縞を着た人形が置かれている。背番号は50だった。
直人が生まれたのは1974年8月9日。後になって「野球の日」と呼ばれるようになった日である。
西宮で育ち、甲子園球場の歓声を聞きながら大きくなった直人は、当然のように野球選手を夢見た。左利きだったこともあり、小学校では投手を任されたが、本格的に身体が大きくなり始める前に左肘を痛めている。
当時は、痛みを訴えたり、投球後に肩や肘を冷やそうとしたりするだけで根性がないと言われた。監督から返ってきた「投げながら治せ」という言葉を、子供だった直人も信じてしまった。
試合で投げ、練習でも投げ、家へ帰ってからは壁に向かって投げ続けた。その結果、中学2年の春には左肘がまともに伸びなくなり、直人はボールを握ることすらやめてしまった。
プロ野球選手になれなかったことを、人生の失敗だと思ったことはない。高校を卒業して働き始め、大型免許を取り、事故らしい事故も起こさず日本中を走ってきた。派手ではないが、誰かに恥じるような51年ではなかった。
ただ、野球中継を見ていると、ときおり考えてしまう。投げすぎなければどうなっていたのか。もっと早く身体の使い方を知っていれば、どこまで行けたのだろうか。
直人はケーキを食べ終えると、休憩中の暇つぶしに携帯ゲーム機を取り出した。何年も遊び続けているプロ野球ゲームで、選手1人の人生を入団から引退まで追う野球人生モードを進めている。
画面に映っているのは、山下という名前の架空選手だった。
阪神の縦縞に背番号50、目元には黒いスポーツサングラス。左投げ両打ちで、投手だけでなく捕手と一塁手も守る。
投げれば球速175km/h。コントロールとスタミナはともにS100で、変化球も左右と上下へ自在に操る。打者としてもミート、パワー、走力、肩力、守備力、捕球のすべてがS100に達していた。
勝負師、左腕キラー、安打製造機、アーチスト、鉄人、怪童、精密機械、ドクターK。画面を埋め尽くすほどの特殊能力を持ち、投打のどちらにも弱点がない。
現実に存在すれば、野球そのものを壊しかねない選手である。
「ここまでいったら、もう野球やないな」
そう笑いながらも、直人は画面の選手を気に入っていた。
先発登板のない日には一塁手として出場させ、左投手が出てくれば右打席へ立たせる。ゲームの中だからこそ実現できた、直人にとって理想の二刀流選手だった。
プロ2年目の8月1日を迎えたばかりで、まだ阪神から動かすつもりはない。それでも直人の頭の中には、縦縞で日本一になった山下が海を渡り、大リーグでも投打の記録を塗り替えていく未来まで出来上がっていた。
その日の試合を終えた直人が画面を閉じようとすると、突然、表示が暗転した。故障かと思って電源ボタンへ指を伸ばしたところで、中央に見覚えのない文章が浮かび上がる。
《野球人生を最初からやり直しますか?》
その下には、「はい」と「いいえ」が並んでいた。
「まだ別のモードがあるんか?」
直人は首を傾げながら、「はい」に印を合わせた。
決定ボタンを押した瞬間、携帯ゲーム機の画面から白い光があふれた。反射的に目を閉じた直人の耳へ、金属バットが硬球を捉えたような音が響く。
眩しさが消えるのを待って目を開けると、直人は薄い布団の中に横たわっていた。
トラックの寝台ではなかった。見上げた天井には木目があり、柱には黄色い帽子が掛けられている。机の上には小学校の教科書と、黒い革製の子供用グラブが置かれていた。
開いた窓から入り込む風には、排気ガスではなく土と草の匂いが混じっている。
「直人、いつまで寝とんの。今日は野球の体験に行く日やろ」
襖の向こうから聞こえた声に、直人の喉が詰まった。
亡くなってから12年になる母の声だった。
布団を跳ね上げた直人は、畳の上へ降りようとして転びかけた。足が短く、身体が驚くほど軽い。畳へ突いた両手も、長年ハンドルを握って硬くなった手ではなく、傷ひとつない子供の手だった。
机の横にある鏡を覗き込むと、丸い頬に寝癖のついた少年が映っている。視界は隅々まではっきりしており、壁の細かな染みまで見えた。
間違いなく、9歳の自分だった。
壁のカレンダーには「昭和59年4月」と印刷されている。西暦に直せば1984年。直人が小学4年生になったばかりの春である。
「ほんまに、戻ったんか……」
高い声が口から漏れ、直人は思わず自分の喉へ手を当てた。
机の上には、地元のリトルリーグが配った体験入団の申込書が置かれている。学校の友達から誘われたものの、硬球への恐怖と年上の子供ばかりの環境に尻込みし、最初の人生では参加しなかった。
野球を始めたのは、それから1年以上後だった。
もし、あのときから正しい投げ方を覚え、肩と肘を守る知識を持っていたら、自分の人生は変わっていたのではないか。何度も考えた分かれ道が、申込書という形で目の前に置かれている。
直人はそれを握り締め、台所へ向かった。
若い母が味噌汁をよそい、新聞を広げた父が阪神の記事を読んでいる。記憶の中でしか会えなくなった2人が同じ食卓にいる光景を前にすると、胸の奥から込み上げてくるものを抑えられなかった。
「なんや、腹でも痛いんか?」
父に尋ねられ、直人は顔を伏せて目元を拭った。
「ちゃう。目にゴミ入っただけや」
「顔洗ってこい。体験入団、行かへんのやったら早めに断らなあかんぞ」
最初の人生では、この言葉に「行かへん」と答えた。
直人は顔を上げ、申込書を父の前へ差し出した。
「行く。俺、野球やりたい」
父は新聞から顔を上げ、少し意外そうに息子を見た。
「硬い球、怖い言うてたやないか」
「怖いから、ちゃんと教えてもらうんや。勝手に投げ続けたりせえへんし、肘が痛くなったら絶対に休む」
9歳の子供らしくない答えに、両親はそろって目を丸くした。
直人自身も、少し言いすぎたと思った。しかし、ここだけは譲れない。画像診断や投球数の管理が少年野球まで浸透していない時代だからこそ、自分の身体は自分で守る必要がある。
朝食を終えると、直人は子供用の自転車へまたがり、先を走る父について河川敷のグラウンドへ向かった。
黄色い菜の花が揺れる堤防の下では、白いユニフォーム姿の子供たちが練習していた。金属バットの乾いた音と監督の声が風に乗って届くたび、グラブを抱えた直人の指へ力が入る。
走り、捕り、投げる子供たちの姿は、51歳になっても夢に見ることがあった光景そのものだった。もう一度この中へ入れるのだと考えると、懐かしさだけでは片づけられない熱が腹の底にたまっていく。
受付を済ませると、橋本と名乗った監督が、直人の右手にはめられたグラブへ目を向けた。
「左利きか。野球はどれくらいやったことある?」
「壁当てくらいです」
「ほな、まず投げてみよか。力いっぱい投げんでええからな」
監督から硬球を渡され、直人は縫い目へ指を掛けた。
手は小さく、指も短い。握力だけでなく、肩甲骨や股関節の動く範囲も、51歳の知識が想定している大人の身体とは違っている。今の身体で完成形の投げ方を再現しようとすれば、最初の人生より早く壊れてしまうだろう。
ところが、硬球の感触を確かめているうちに、直人は自分が本来知らないはずのことまで理解していると気づいた。
どの角度で踏み出せば力が逃げないのか。左腕をどこまで遅らせ、どの位置で指先を切れば、最も美しい回転を与えられるのか。ゲーム画面で見ていた怪物投手の動きが、完成した設計図として頭の中へ焼き付けられている。
直人は力を抑え、身体の重心が前へ移るのを待ってから左腕を振った。
放たれたボールは余計な揺れ方をせず、10mほど先にいた上級生の胸元へ真っすぐ伸びた。硬い捕球音が河川敷に響き、近くで練習していた子供たちが振り返る。
受けた上級生はグラブの中を確かめてから、驚いた顔を橋本監督へ向けた。
「監督、この子の球、回転がめっちゃきれいです」
橋本監督は答えず、直人の足元から左肩、肘、指先へと視線を移した。
「山下君、もう1球投げてみ」
直人が新しいボールを受け取った瞬間、視界の端に半透明の文字が浮かんだ。
《成長適合を確認しました》
《投手能力および野手能力は、身体の成長に応じて解放されます》
その奥には、球速175km/hと、いくつものS100が並んでいる。トラックの中で見ていた山下の能力は、ゲーム機の中へ置き去りにされていなかった。
ただし、それは今すぐ使える力ではない。9歳の骨格と筋肉を育て、壊さずに完成させた先で、ようやく手が届く未来だった。
直人は焦らなかった。野球人生を急いだ結果、最初の自分はマウンドを降りたのだから、今度は身体の声を聞きながら1球ずつ積み上げていけばいい。
51年分の知識と、怪物になれる可能性がある。
直人は小さく息を吐き、2球目を投げるために右足を上げた。
今度こそ、夢の続きを最後までやる。




