2話
マダムの大きな頭を布に包み、ミカエラたちはスラムにある廃墟を訪れた。
しかし、それは正確には廃墟のような外観をしているものの、実態は廃墟などではない。
清掃された小綺麗な内観には、屈強な男たちが数人。
そして、剣や防具といった装備から、薬らしき袋が大量に置かれたそこは、当然廃墟と呼べるような所ではなく、何かの事務所に近い。
そんな所で、ミカエラたちはすぐに逃げられるよう周囲を警戒しつつ、ある男の元へ向かった。
「遅かったじゃねぇか、ミカエラぁ」
「......依頼はこなしたぞ。セルマン」
廃坑には似合わない絢爛な椅子に腰掛ける男、セルマンは、ニヤリと下卑た笑みをミカエラに向ける。
そんな男の態度に、ミカエラは怯むことなく、抱えていた首をセルマンに投げつけた。
投げられた首がゆっくりと転がり、やがてセルマンの足元へと到達する。
静まり返る廃墟。
反抗的な様子を見せるミカエラに、ランデルは震えだし、シャミィは薄らと額に汗を浮かべた。
廃墟内の空気が徐々に変化し、セルマンを取り巻く男たちの眼が鋭くミカエラたちを射抜かんとする。
そんな中、セルマンは怒ることはなく、愉快そうに笑う。
「おいおい、主に向かってその態度はいただけないねぇ」
「お前が俺の主? ふざけんじゃねぇ! 俺はお前の部下にも奴隷にも、なったつもりはねぇぞ!」
「ハッ! 威勢のいいこったなぁ、ミカエラ。お前たちスラムのガキは、この俺が仕事を与えてやってるから飯を食えて、生きていけてるんだ。違うか?」
セルマンの言葉に、一層重くなった空気がミカエラたちを襲う。
それは、ミカエラとデブリが言い争ったときのような子ども同士の喧嘩などではなく、ともすれば殺し合いになる恐れを抱いて、周囲に緊張を生んだ。
怒りを隠そうともしないミカエラ、怯える仲間、武器を手に取る男たち。
そんな場で、セルマンだけはニヤリと笑い、余裕の態度を見せていた。
自分の言葉にミカエラが、どう許しを請うのか、ミカエラよりも金と地位と権力を持ち、圧倒的強者である疑わないセルマンはその立場から優位をもって、ミカエラに訴える。許しを請え、と。
ミカエラはセルマンの元へ歩き出す。
セルマンが自分以外を視界に入れぬよう、決して自分から眼を離さないように。
肌と肌が触れ合うほどの距離まで近づき、その手をセルマンへと伸ばした。
「勘違いするんじゃねぇよ。自分じゃ何もできねぇ、椅子に踏ん反り返って指示してるだけのチキン野郎ッ!! 俺は、テメェに生かされてるわけじゃねぇぞ!!!」
セルマンが求めていることなど、ミカエラは分かっている。
それに逆らわず、忠実なフリで従うことが正しい選択であることも。
それでも、ミカエラは認めることができなかった。
誰かの奴隷のように生きることを、誰かに生かされる人生を。
ここで、ミカエラが何を言おうとセルマンから生かされている事実は変わらない。
奴隷のような立場であることは変わらない。それでも、心まで奴隷になることをミカエラは受け入れることができなかった。
だからこそ、ミカエラは『自由への意思』を込めた、金色に輝く眼をセルマンへぶつける。
「もう一度言ってやるよ。俺はテメェの奴隷じゃねぇぞ、セルマン!!」
「......ああ、お前は俺の奴隷じゃねぇ」
ミカエラがみせた強い意思。
セルマンは、その意思をまっすぐに受け止め、椅子から重い腰を持ち上げた。
ミカエラの前にセルマンが立つ。
大人であるセルマンと十五歳のミカエラは、対等ではない。
十分な栄養も取れず、まだ若いミカエラは筋力はおろか、身長も大人であるセルマンには遠く及ばない。
口では対等であろうとしても、体躯が変えようのない優劣を物語っていた。
それでも、鋭くセルマンを見上げるミカエラ。
ミカエラが見上げるセルマンの表情に、先ほどの笑みはない。
そこにあるのは、人を見下す激怒だけだ。
セルマンはゆっくりと拳を振り上げ、ミカエラへと振り下ろす。
「お前は、奴隷以下の家畜だ......!!」
「ぐっ......!!」
「ミ、ミカ......!」
ごつごつとした指が、はめられた指輪が、ミカエラの頬を抉り、鈍い音を伴って床へと打ち付けられた。
あまりの光景に、リミアが悲鳴を上げる。
しかし、それでもセルマンは止まらない。
倒れるミカエラを何度も、足で踏みつける。
「いいか? お前は、人間ですらない奴隷以下の家畜だッ!! 金も地位も権力も、身分すらも持っていないお前らは、人間じゃねぇんだよ!! この俺が与えた餌に群がるだけの能無しのクズ、それがお前たちだ!!」
「あ......かはっ............!!
背を、足を、腹を、顔を。
ミカエラのありとあらゆる部分が、セルマンに踏みつけられていく。
その様子に、怯えていた仲間たちの表情はやがて怒りへと変わる。
強張った身体を鼓舞するように、拳を握りしめて、シャンドリアは一歩前へと踏み出した。
しかし、その一歩がそれ以上前に出ることはない。
シャンドリアと、それに続かんとする仲間たちをミカエラは、一瞥もすることなく手で制止したのだ。
その不可思議な行動に、怒りは困惑へと変わり、目の前で仲間がいたぶられ続ける光景をシャンドリアたちは、ただ茫然と見つめることしかできない。
そして、その間もセルマンの攻撃は容赦なくミカエラを襲う。
「言葉を喋るな! 頭を使うな! 何かを望むな! お前らはただ、《《強い人間》》に寄生して生きることしか、許されないということを自覚しろッ......!!」
「それ......でも............」
痛みに喘ごうとも、血を吐こうとも踏みつけられ続けるミカエラ。
すでに朦朧としている意識の中で、それでもミカエラはセルマンをまっすぐに見つめる。
その眼は、
「それでも、俺は......上り詰めるぞ。誰にも支配されない強さを手に入れて、世界も、人間も! 気に喰わねぇもん全部......全部ぶっ殺してやるッ!! ............そしたら、俺は自由だ」
確かな意思と、曲げられない狂気。
そして、—————底知れない『怒り』を孕んで。
「......おい、家畜ども。このゴミを持って、とっとと失せろ、目障りだ」




