急転直下
その日、総一郎は離れのソファに腰かけ、オットマンに脚を投げ出して茉由子からの手紙を読んでいた。
「はあ…」
自然とため息が出る。
丁寧にまとめられた報告は分かりやすく、結果的に東京市内で十一店舗の取扱店を確保できたことが経緯と共によく分かった。
地理的にうまくばらけており、申し分ない結果だ。まだ製品を持たない無名の会社としては、百点満点だろう。
茉由子だけではなく、耕介の技術指導も、紅の広告作りも順調だ。予定通りにシアの種が港に着けば、一月末に発売できる。
これほど順風満帆なのにため息が出てしまうのは、茉由子の手紙が拍子抜けするほどあっさりしているからだ。
たびたび茉由子に送っている手紙は、読めば好意が伝わるような書き方をしているつもりだ。
方々に手を尽くして入手した希少な本を同封したり、私的な話を織り交ぜたりしているし、状況が許すようになれば仕事とは関係なく会いたいということも、かなり直球で書いている。
それなのに、茉由子の返事は仕事の話ばかりだ。正確には、とても詳しい本の感想と手厚いお礼の言葉はあったが、好意を匂わせるような言葉は何度読み返しても見つからない。
どこまでも清く正しい、業務報告書なのだ。
(分かっていて、その気がないから素知らぬふりをしているのか、あるいは誰か想っている相手がいるのだろうか)
考えるだけで辛くなる想像をしてしまい、総一郎は手紙を机に置いてソファの背もたれに体重を委ねた。
(さすがに何も気づいていない、なんてことはないと思いたいが、彼女ならありえるような気もする)
茉由子は家庭の事情を引け目に感じ、総一郎が言うまでかなり控えめな態度を取っていた人だ。今はもう打ち解けたとはいえ、総一郎に好意を持たれるなど夢にも思っていない可能性は否定できない。
(だとしたら、僕はさしづめ、親切な同僚…いや、むしろ公私混同している上司…)
頭が痛くなってきた総一郎は、ごろりと寝転がった。
とはいえ、もし茉由子が良い反応をしてくれたら自分はどうしたいのか、総一郎は結論が出せていない。
まず、芝山家の成功の秘密に気付きかけている林の存在は気がかりだ。そして林の問題がどうにかして解決しても、秘密は残る。
この先、生涯を共にしたいと願えば秘密は共有することになるが、茉由子自身が「光って」いることを、一生伏せておける気がしない。
しかし、「光る」茉由子を利用するために近づいたと認識されてしまえば、挽回は不可能だ。
(ただ確実なのは、もっと会いたい、もっと彼女を知りたいという抗えない衝動がもう、何か月も続いているということだけ)
総一郎はもやもやした気持ちを断ち切るように勢いよく立ち上がり、防具を準備した。こんな時には汗を流し、自分を見つめなおすに限る。
道着に着替え、袴帯を少しきつめに締めた時、
「失礼いたします、坊ちゃま」
扉の外から焦った声が聞こえ、忙しなくノックが繰り返された。
「脇田さん?どうぞ」
総一郎が言い終わるや否や、脇田が扉を勢いよく開けて部屋に飛び込んできた。
「坊ちゃま、失礼いたします。お嬢様が襲われました」
総一郎は思わず脇田に駆け寄り、肩をぐっと掴んだ。
「紅はどこに」
「夫がお守りしましたので、大きな怪我はないとのことです。
念のため広尾の赤十字病院に運ばれました。そこから電話がありまして」
「佐一さんは無事?」
脇田の夫、佐一は二人いる芝山家の運転手のうちの一人だ。余計なことを話さない物静かな男だが、元力士とあっていざという時の護衛も兼ねている。
「肩を斬りつけられたようで、赤十字で手当てを受けているようです。命に別条はない、と」
脇田は涙ぐんでいる。
「父と母に連絡は行ってる?」
「まだではないかと思います。
今日はお二人揃って、河田町で小川原伯爵の新居披露パーティーにご出席される予定ですが、今ごろご移動中かと」
「わかった。伯爵のところに急いで電話するよう、母屋に伝えてくる。脇田さん、すぐ病院へ行こう。準備して」
「はい」
脇田はまだ明らかに取り乱しており、返事はしたもののその場をうろうろと歩き回っている。夫が斬りつけられたとあれば、無理もない。
総一郎は脇田を置いて母屋へと走った。
「坊ちゃま、脇田から聞かれましたか」
玄関の扉を開けると、執事の宮田が飛んできた。総一郎は頷き、
「両親に連絡は?」
と短く聞いた。
「伯爵邸に伝言を頼んでおきました。まだお着きになっていないようです」
「そうか、わかりました。これから脇田さんと病院に行くので、留守を頼みます。
念のため、戸締りはしっかりしてほしい」
「承知しました」
「それと、家族が夜まで帰ってこないようであれば、紅の身の回りのものをまとめて病院まで持ってきてください」
「もちろんです」
「よろしく頼みます。脇田さんを連れてくるので、車の用意を」
それだけ言って総一郎は離れに戻り、脇田を連れて車に乗り込んだ。出発してから、道着のまま出てきてしまったことに気が付いたが、仕方がない。
落ち着かない様子でハンケチを握りしめる脇田の隣で、総一郎は痛いほどに奥歯を噛みしめていた。




