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小間物屋での歓迎

「おお、東京クローバー堂さん!来たかね!」


 坂東道子と約束した期限まであと四週間となった日、茉由子が日本橋の小間物屋「いろは堂」を訪れると、思いがけず笑顔を湛えた老人の歓迎にあった。


「お試し用の容器をもらってから、いつ来てくれるかと待っておったんだよ。ささ、かけてかけて」


 茉由子は面食らいつつ、言われるがままに着席した。これまたにこにこと笑う老婆がお茶を運んでき、茉由子の前に置く。


「あの…」


 茉由子が話そうとするのを遮り、老人が話し始めた。


「いただいたあの剃毛クリームな、あれをここで売らせてほしいんじゃ」


「ありがとうございます!お試しいただいたんですね!」


「わしらの孫がな」


「お孫さんが」


「ああ、それで『じいちゃん、これは絶対に売れるから仕入れた方がいい』って言っておってな」


 茉由子は天にも昇る気持ちで老人の話を聞いていた。


「どこで手に入れたって聞くから、可愛らしい若いお嬢さんが置いていってくれたって言ったら、何が何でもその人に連絡して契約してくれって言ってなあ。


 でも、クリームと一緒にもらった連絡先の紙を無くしてしまったから、困っていたんじゃ」


「容器にも連絡先を書いておけば良かったですね、すみません」


 茉由子が頭を下げると老人は首を振り、


「いや、わしらの管理が悪いんじゃ。なんにせよ来てくれて良かった。,


 あ、わしはここの店主で島田弥吉っていうんだけどな」


 と言ってお茶をすすった。茉由子もあわせて少し口に含むと、程よい渋みで美味しかった。


「それでな、このいろは堂とあと二店舗にあのクリームを卸してほしい」


「三店舗を経営されているんですか?」


「わしの弟二人が神楽坂と千駄木で店をやっておっての。仕入れはまとめて交渉することが多いんだな」


 茉由子は営業先リストを素早く思い出した。名前の方向性が似た店舗があった。


「もしかして、ひふみ堂とあめつち本舗ですか?」


 弥吉は顔をほころばせて手を叩いた。


「そうそう、営業で行ったかね?」


「二度目の訪問はまだなのですが、試供品はお渡しさせていただきました」


「それは良かった。もともと興味を持っていただいていたなら、どんなお店か分かるだろう」


「ええ、こちらと同じで化粧品や小さな装飾品がたくさんあって、何時間いても飽きないお店ですね。


 どこも硝子張りの店頭ケースが大きくて、ついお店に入りたくなるしかけがお上手だなと思っていました」


「ははは、それはありがとう。


 元々はどれも、祖父の代からある昔ながらの小間物屋だったんだけど、十年ほど前に思い切って改装したんだよ」


「そうなんですね、とても素敵なお店だと思います」


 茉由子はにこにこ笑いながら、自分がちゃんと二つの店を覚えていたことをよろずの神様に感謝した。店巡りから帰宅して、どれほど疲れていても毎回記録していたことが良かったのだ。


「お取り扱いいただけるということなのですが、まずは改めて、製品のご紹介をしてもよろしいですか?」


「うむ、ぜひお願いしたい。たつ、こっちに来て一緒に聞いておいておくれ」


 弥吉に呼ばれ、たつという名らしい老婆も隣に座った。


「こちらの製品は、正式名称を『クローバーシェイビングクリーム』と言います。


 お渡ししたものは十グラム入っていましたが、販売用のものは百二十グラム入りで、こちらの硝子容器に入ります」


「まあ、可愛らしいわねえ」


 茉由子が机に置いた硝子容器をたつが目を細めて見た。


「ありがとうございます。


 この製品の特徴はなんといっても剃刀で剃っても肌が乾燥しないことと、日本の美容業界を牽引する存在である銀座の坂東道子先生が全面的に監修していることです」


 幾度となく繰り返し、淀みなく説明できるようになった内容だ。茉由子は身振り手振りを交えてゆっくりと話した。


「販売店様には、そのことがお客様にしっかりと伝わるように掲示物や説明指南書をお渡しする予定にしています」


 弥吉が頷いた。


「大体十グラムで両腕が剃れます。お顔と首回りで五グラムですが、もし男性が使われる場合には髭の濃さによって少し多めでもいいと思います」


「ほう、男が使ってもいいのか」


 老人が感心したように腕を組んだ。


「もちろんです。自信をもっておすすめします」


「買うのが少し恥ずかしい容器だがのう、はっはっは」


 弥吉の指摘に茉由子は、なるほど、と思った。

 確かに、桜色の可愛い容器は男性が購入しにくいかもしれない。帰宅したら書き留めることに決めた。


「発売は一月の終わり頃を想定しています。東京からはじめて、軌道にのったら全国に展開していく予定です…」


 それから茉由子は取引条件を詰めた。

 原材料の輸入で発売開始時期が左右されることについては少し難色を示されたが、最優先で製品を供給するという条件で合意することが出来た。


 すべての調整を終え、契約書に判をつく弥吉の隣で、おっとりとした口調のタツが言った。


「それにしても、寒い季節に発売するのねえ。

 二月と八月は消費が冷え込むっていうのもあるし、夏のように肌を見せる時期でもないでしょう?


 身だしなみを整えよう、って考えるきっかけになるような掲示物が欲しいわねえ」


 それは盲点だった。

 三月までに結果を出さねばいけないという一心で突き進んできたが、それは茉由子の事情であって、世間には関係ない。

 本来なら半年ほど遅い発売の方が良いのかもしれない。しかしそんな逡巡をこの老夫婦に見せるわけにはいかなかった。


「おっしゃる通り、夏は製品に興味を持つ人が増えると思います。


 けれど春先というのも大きな勝機だと考えております。楽しみにしておいてください」


 茉由子は、自信ありげに見えると思われる大きな笑顔を浮かべた。


 とにもかくにも、この嬉しい知らせを総一郎に早く伝えたい。どんな風に一緒に喜んでくれるだろうか。

 老夫婦を前に考えた茉由子は、足取り軽く帰宅したのだった。


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