◆第九話『望みは、ただひとつ』
湧きあがる、いまだかつてないほどの達成感。
また仲間と共有できることが、その感情をより強めてくれた。
しばらくはこの感覚に身を投じていたい、と。
そんな希望を抱いたとき、まるで邪魔でもするかのように骨まで響くような音が辺りから聞こえはじめた。
いやな予感がしたときにはもう遅かった。あちこちで足場が瓦解をはじめていた。凍った水面が壊れるかのように折れては落ちていく。
「え、えっ!? これ、やばいんじゃないのっ」
「……やばいどころじゃないな」
全員でしがみついていた足場も落下を始め、すっと色をなくして消滅してしまった。浮遊する術は持っていない。あとはもう落ちるのみだ。
「ぼ、僕がみんなの下敷きになればっ」
「衝撃は殺せないでしょっ」
「《虚栄防壁》を使えば――」
「また死ぬ気!?」
盾を掲げながら意気込むレオに、ルナとラピスが強めの口調で言葉を浴びせる。この危機的な状況の中でも騒がしいあたりは相変わらずだ。
落下先に海に囲まれたジュラル島が映り込んでいた。このまま行けば落下先はちょうど中央広場になりそうだ。神に勝ったあとに落下死という間抜け過ぎる最期だけは避けたいが、このままではどうにもできそうにない。
凄まじい落下速度だ。塔の頂の高さをとおりすぎてから、地面が間近まで迫るまで一瞬だった。誰よりも重いレオがついに噴水広場に激突する、直前――。
全員の体が柔らかな光に包まれ、落下の勢いが収まった。まるで無数の小さな妖精が持ち上げてくれているかのように燐光が周囲を漂っている。
「と、止まった……?」
誰よりも死を間近にしていたレオが、こわばった顔でそうこぼした。
落下が収まってからは燐光たちがそっと地面に足をつけさせてくれた。命を落とした者はいないどころか、怪我をした者すらいない。
「ほ、本当に死んじゃうかと思ったぁ……」
「でも、どうして……?」
心底ほっとしたように息をつくクララ。
そのそばでは、ラピスが困惑していた。
「こんなことできるのはひとりしかいないだろ」
こんな魔法は見たこともないし、聞いたこともない。
仮にできるとすれば、ひとりしか思い当たらない。
北側通りに目を向ければ、ベヌスの館前に多くのミルマが集まっていた。その中において明らかに異質な存在感を放つ者がひとり。このジュラル島の創造者であり、この世界唯一の神アイティエルだ。
ミルマを率いたアイティエルが悠然と歩いてきた。
「そっちの体で出てきてもいいのか?」
「もう身をひそめる必要はないからな」
アイティエルは、負に染まった半身を封印するために多くの力を使っていると言っていた。それゆえ、いまは力がなく外に出るときは仮初の姿で行動している、とも。
仮初の――子どもの姿ではないということは、つまり力が戻った、あるいは扱える力に余裕が出来たということだろう。
「よくやってくれた。改めて礼を言おう」
アイティエルが淑やかながら力強い笑みをこぼした。
そこにはもう苦しげだった先日の姿はない。
アッシュは肩を竦めながら応じる。
「よくあれを人間に倒させる気になったな」
「だが、お前たちは勝利した。つまり我の考えは正しかったということだ」
自身が創造した五つの塔という試練を突破した者たちだから当然だ。言葉だけをとればそう聞こえたが、ひとりの人間として信頼してくれていることが伝わってきた。
「それにしても結構派手にやられたね」
「……あの漏れた影のせいね」
ルナとラピスが辺りを見回しながら言った。
中央広場の建物のあちこちが破損していた。ラピスの言うとおり、先の戦闘中、亀裂の入った足場から漏れでた影のせいだろう。
「ミルマも手を出せぬ相手だったからな。我としてはこの程度で済んだと言える。これも勇敢なる者たちの働きのおかげだ」
彼女が口にした〝勇敢なる者たち〟が誰かは辺りを見回せば一目瞭然だった。本日は中央広場の店はどこも開いていない。にもかかわらず普段どおりに――いや、普段以上に集まった挑戦者たちのことだ。
三大ギルドの《ソレイユ》や《アルビオン》、《レッドファング》。それに《ファミーユ》。ほかにも多くの知人が属するギルドのメンバーたちの姿を窺えた。
こちらが負の神に勝利したことで彼らの戦闘も終わったようだ。各々が互いの生存を讃えあっている。
5人だけで戦っていると思っていたが、違った。
ジュラル島の挑戦者たち全員がともに戦ってくれていたのだ。
「さあ、望みを言え。いまの我であれば、叶えられぬことはない」
アイティエルから高らかに告げられた。
「富か名誉か。あるいは……不死か」
限りはないと言わんばかりの選択肢の幅が提示される。
本当になんでも叶えられるようだ。
人としてそそられるものはある。
だが、そこにもっとも叶えたいと思うものはない。
「全員で話し合って願いはもう決めてるんだ」
この島に来るまでは、神に叶えてもらう願いなんてどうでもいいと考えていた。だが、仲間と、そして多くの友人との出会いがひとつの願いを生んでくれた。
その願いを相談したとき、仲間から異論は出なかった。
それどころか全員一致で決まった。
アッシュは仲間と顔を向き合わせた。
全員で頷き合ったのち、神アイティエルへと望みを口にする。
「俺たちが望むのは――」





