◆第七話『戦場の傍らで』
「なんだい、あれは……」
ヴァネッサは空を見上げながら驚愕に目を見開いた。
突然、空のあちこちに細い亀裂のようなものが現れたかと思うや、そこから黒い靄が溢れるように出てきたのだ。
それもジュラル島の上空だけでなく、遥か遠方の空にも同じ変化が起こっている。憶測でしかないが、世界中に影響が及んでいる気がしてならなかった。
「やはりアッシュさんたちと関係があるのでしょうか」
そうこぼしたのはオルヴィだ。
そばには彼女以外にもチームのメンバーが揃っていた。マキナチームもいる。全員、アッシュたちが神への挑戦から帰ってくるのを《スカトリーゴ》の椅子を借りて待っているところだった。
シビラが険しい顔つきで空を見つめる。
「前回の大きな地震が起こったときと状況が似ている。あれもアッシュたちが100階を突破したあとだった」
「まぁ、無関係じゃないだろうね」
ただ、そうなると幾つか疑問が残る。今回の異変が戦闘の激しさから起こったものだとしても、前回はいったいどうして起こったのか。あのときはまだアッシュたちは戦闘すらしていなかったはずだ。
なにより疑問なのは──。
「これが神の力……なのでしょうか。わたしには悪魔の力に見えてなりません……」
そう怯え気味に声をもらしたのはリトリィだ。
たしかに彼女の言うとおり、いまも空を覆うものはあまりに禍々しかった。仮に神によるものであったとしても、邪に類する存在である可能性が高い。
ジュラル島を創ったという、神アイティエル。その使いであるミルマを見る限り、人に害なす存在ではないと思っていたが……。
湧きあがった疑心が胸中から溢れそうになったとき、空の靄から水が滴り落ちるように幾つもの影が降ってきた。遥か遠方にも落ちたようだが、大半がジュラル島に落ちている。
うちひとつが《スカトリーゴ》のそばの通りに音もなく落ちた。水溜りのように広がったのち、王冠を作るように隆起。ちょうど人の3倍ほどの大きさの卵型から人型へと変貌した。
空に黒い靄が現れたときに動揺する段階はすでに終えている。ヴァネッサはすぐさまそばに置いていた大剣を持ち、影の人型――敵へと駆ける。
相手もまたをこちらを敵とみなしたか。迎撃にと右腕を伸ばしてきた。動きはあまり速くない。その場で踏みとど張り、敵の腕を斬りとばした。
直後、すぐそばをシビラが駆け抜けた。そのままの勢いをもって敵の胸部へと剣を突きつけるが、ガンッと鈍い音が鳴り響く。
「なっ」
シビラが驚愕の声をあげる。
彼女の攻撃は重さこそ控えめなものの、鋭さはこちらを上回る。得物の等級からしても彼女の攻撃だけが徹らないなんてことは考えにくい。
「らぁああああッ!」
側面から肉迫したドーリエが敵の脳天に振り下ろすが、わずかに俯かせるだけで潰すには至らなかった。腕だけが柔らかい可能性もあると踏んでか、シビラが敵の残った左腕を切断するよう剣を走らせるが、しかし甲高い接触音が鳴るだけに終わった。
ヴァネッサはすぐさま敵の首を刎ねる軌道で大剣を振るう。が、やはり2人と同様に弾かれてしまった。なぜ初撃だけが徹ったのかはわからない。だが、共通することはある。攻撃をしかけた全員が赤の属性石を武器に装着していることだ。
「オルヴィ、リトリィ! 赤属性以外の魔法だ!」
「わかりましたっ」
「了解ですっ」
2人が生成したのは《ストーンウォール》だった。どちらが先に生成したかはわからないが、ひとつ目は敵のうねる足を液体のように弾き飛ばしたが、ふたつ目はガンッとつきあがることなく敵の足で栓をされたように止まった。
「特定の属性に耐性を持っているわけではないのかっ」
「1発でも食らえば耐性を持つみたいだねっ」
ただ、わかったところで対応するには難しい状況だった。ほかの属性石をはめた装備が手持ちにないからだ。オルヴィとリトリィは《ウォール》と《レイ》でほかの属性を持ってきていたはずだが……。
「マスターっ! わたしんとこ、いま、青と緑いけますっ!」
そう叫んだマキナとともに彼女のチームが加勢に入ってきた。
まずはマキナが繰りだした剣の一撃が敵の左腹部を裂いた。血飛沫のように黒い液体が散る中、さらに弓使いザーラによる矢が敵の額を小突いた。
追撃でレインの《フロストレイ》が敵の胸を撃ち、マキナとは反対側からユインが強烈な拳を突き込む。
と、敵がぐらりと上半身を揺らがせた。その隙を逃さずヴァネッサは大剣を振るい、敵の身を上下に両断した。飛んだ上半身が液体のように石畳にべちゃりと落下したのち、下半身もろとも蒸発したように消滅する。
ヴァネッサは安堵しつつ、マキナたちに向かって笑みを向ける。
「よくやった」
「まっ、敵がほとんど棒立ち状態だったのでっ」
「たしかに攻撃こそ大したことはないが、面倒な敵だね」
これがいまもあちこちに落下している。すぐさま脅威になるものではないと思われるが、これからも降りつづければ面倒なことになりかねない。そうして空を睨んでいると、視界の端で難しい顔で自身の拳を見つめるユインが映り込んだ。
「どうしたんだい、ユイン?」
「いえ……マキナさんと同じ緑属性で攻撃したのですが、まともに当たった感触ではありませんでした。多少の衝撃は与えられたと思うのですが」
ユインとマキナの攻撃の間にはザーラとレインの攻撃が入っていた。ザーラの攻撃は近接組と同じく緑属性だったためか、敵を射抜くには至らなかった。
だが、次のレインの攻撃は青属性だった。ここでべつの属性が加わりユインの攻撃が徹ったことになるが、彼女曰く首を傾げる結果だったらしい。
「もしかすると耐性が残っていたのかもしれない」
「ただ、最後のあたしの一撃はすんなり入ったよ。ほとんど最初と同じだ」
考えを口にしたシビラに、ヴァネッサは自身の持つ情報を伝えた。
「つまり、様々な属性でまんべんなく攻撃する必要があるということか」
「だろうね。倒し方さえわかればこっちのもんだ」
「ああ、ほかのところにも落ちていたようだし、みんなにも報せたほうがいいだろう」
シビラの言葉に頷きつつ、ヴァネッサは周囲を見渡す。と、豪快に吹き飛んだのちに消滅していく人型の影が視界に映り込んだ。
あんなことができるチームはほかにひとつしかない。
出所に目を向ければ、やはりそこにはベイマンズのチームがいた。彼らの魔術師であるロウは普段から複数の魔法を撃てるようにしているうえ、頭がキレる。攻略法にすぐさま辿りついてもおかしくはない。
なぜ中央広場にいるのかは、こちらと同じだろう。彼らもアッシュたちの結果が気になってしかたなかったに違いない。
ベイマンズたちもこちらに気づいたようだ。
目が合うなり、大声で話しかけてくる。
「おい、ヴァネッサ! こいつはどうなってんだ!?」
「あたしが知るわけないだろうっ!」
事情を知るにはもっと適切な場所があるはずだ。
そう言い聞かせるように、ヴァネッサは中央広場の北側へと目を向けた。
◆◆◆◆◆
ヴァネッサは自身の仲間と、ベイマンズチームとともに雪崩れ込むようにしてベヌスの館に入った。勢いのまま真っ先に目に入ったミルマへと詰め寄る。
「この状況、あんたたちは把握してるんだろう? いったいどういうことか説明してくれるかい?」
「申し訳ありません。この件について話すことは禁じられています」
「やっぱり知ってるみたいだね」
ミルマが世界の異変を把握していることは間違いないようだ。
「これだけ大事になっているのだ。我々も当事者として事実を知る権利があるはずだ」
シビラが詰問するようにそう告げた。
彼女の考えはもっともだが、相手はミルマだ。長であるベヌスか、主たるアイティエルからの命令とあらば、絶対に折れることはない。
それでも状況が状況だ。
挑戦者とミルマたちが睨み合う緊迫した時間が流れはじめた、そのとき。
「わたしからお話しします」
背後から凛とした声が聞こえてきた。
振り向いた先にいたのは、《スカトリーゴ》の看板娘アイリスだ。これまで対応してくれていたミルマが動揺した様子で聞き返す。
「アイリスさん? でも、この件は……」
「問題ありません。アイティエル様からお許しは得ています」
果たしてそれが真実なのか。
ほかのミルマたちが疑念に満ちた顔を見せたが、アイリスは怯むことなく言葉を続ける。
「たとえ、お許しを得ていなかったとしても変わりはありません。なぜなら、今回の件が失敗すれば……この世界は終わることになるのですから」
「世界が終わるだって? どういうことだよ?」
ベイマンズのきょとんとした間抜け顔から放たれた声を皮切りに、アイリスから現状の説明がされた。
ジュラル島が創られた経緯から、神アイティエルの半身には5人しか挑めないこと。そしていま、アッシュたちが世界をかけて戦っていることまですべてだ。
「まさかそんなことになっていたなんて……」
「や、やばすぎじゃんっ」
ユインとマキナが顔をこわばらせながら困惑してした。自分たちの預かり知らぬところで世界の命運が決まるのだ。無理もない反応だ。
明かされた事実に多くの者が絶句する中、ベイマンズが怒りの混じった声をあげた。
「けど、アッシュの奴、そんなことひとつも言ってなかったぞ」
「決まってるだろう。あたしらを心配させないようにってことだよ」
「はぁ? 心配って俺らはあいつの子供じゃねえんだぞっ」
ベイマンズの口振りは荒いが、心境的にはこちらも同じた。
頂に到達すればすべてがわかること。そう信じて、あえて詳しいことをアッシュに訊かなかったが……まさかこんなことになっているとは思いもしなかった。踏み込まなかった自分にわずかながら苛立ちを覚えてしまう。
と、いきなり地面が上下に激しく揺れはじめた。
これまでもたびたび地震が起こっていたが、比べ物にならない大きさだ。ベヌスの館内の調度品や装飾品が騒がしい音をたてて倒れていく。間もなく揺れは収まったが、周囲の光景は先ほどとは打って変わって惨憺たるものだった。
「これが神との戦いか……」
「なんて規模だよ……」
ヴァンとドーリエが揃って息を呑むように揃ってこぼした。ほかの者たちも動揺を隠し切れないといった様子の中、ベイマンズが落ちついた様子で息を吐きだした。
「でもま、そういうことなら問題ないだろ」
「……どういうことですか?」
アイリスが目を瞬いたのち、訝しげな目を向ける。
「だってアッシュたちだぜ。どうせなんとかするだろ」
投げやりにも聞こえるが、違う意味合いを持っている。
これは絶対的な信頼からくる言葉だ。
「ベイマンズの言うとおりだ。アッシュたちなら、きっと勝てるはずだ」
「はい。アッシュさんたちなら、絶対に大丈夫です」
ロウに続いて、確信を持って口にするユイン。そばではオルヴィも「当然です。わ・た・く・しの夫なのですからっ」と普段どおりの調子で声をあげている。
彼らだけでなく、あちこちでアッシュチームを知る者たちが頷いては顔から不安を取り除いていった。先ほど世界の終わりへと繋がるかもしれない異変を肌身で感じたあととはとても思えない光景だ。
「……そう、ですね」
アイリスもまた穏やかな笑みを浮かべていた。
とにもかくにも事情は把握できた。となれば、ここでのんびりしている暇はない。ヴァネッサはひとり大剣を担ぎ、出口へと歩を進める。と、シビラから早々に声がかかかった。
「ヴァネッサ、どこへ行く?」
「決まってるだろう。掃除だよ、掃除。アッシュたちが帰ってきたとき、ここがぼろぼろじゃ祝ってやることもできないだろう」
アッシュたちに加勢することはできない。
だが、彼らの場所を守ることぐらいはできる。
シビラが勝ち気な笑みを浮かべ、抜いた剣を見せつけてくる。
「ならば、ひとりで行かせるわけにはいかないな」
「うちらもいきますよ、マスターッ!」
「俺が先に言おうとしてたってのによ。まあいい。この際だ。どっちが多く狩れるか勝負といこうじゃねえか」
マキナチームやベイマンズチーム。
ほかにも居合わせたものたちが戦いに臨まんとしている。
「はっ、好きにしな」
アッシュは強者との純粋な戦いを望んでいる。今回の神との戦いが、世界の命運をかけたものとなってしまったことは本意ではないだろう。現状の、下の世界に危害が及んでいる状況も同じはずだ。
ゆえに、せめてこの力が及ぶ範囲ではアッシュの憂いを失くしたかった。
ヴァネッサは通りに出るなり、いまも激しく鳴動する空を見上げる。
――下はあたしらに任せな。だから……あんたは楽しんできな。





