◆第ニ話『4人の仲間』
敵はぬっと首を伸ばして顔を近づけてきた。
黒一色で凹凸があるだけの、いわば彫像のような造りだ。その目がどんな感情を抱いているかはわからない。ただ、値踏みされているかのように感じてならなかった。
頭を前に傾ければ、頭突きができる程度の近さだ。
両断する絶好の機会だが、まるで体が動かなかった。
威圧をされたわけでも、石化魔法をかけられたわけでもない。本能的に恐怖を感じ、体が竦んでしまっているのか。
がりっと音がするほど唇を噛んだ。
突き抜けた痛みで怯えを無理やりに押し殺し、剣の柄を掴む。
ここまで接近された状態では下手に逃げれば背中を斬られかねない。いまは合流を後回しにし、眼前の敵の相手をするしか道はない。
アッシュは咆哮とともに薙ぎを繰りだすが、しかし斬ったのは虚空のみ。敵が恐ろしいほどの速さで顔を引いたのだ。代わりに敵の腹から極太の棒が突きでてきた。まるで液体を思わせるなめらかな変化だが、それにはたしかな感触があった。
避ける間もなく棒の先端に腹を突かれ、気づけば後方へと飛ばされていた。体のあちこちを打ちつけながら跳ね転がる。待っているだけではいつ止まるかわからない勢いだ。
体を強引にねじり、得物の切っ先を足場に打ちつけた。金属のこすれる音が止まり、ようやく勢いも止まる。腹に感じる痛みに顔を歪めそうになるが、自身に落ちた影のせいでそれどころではなかった。
見上げた先、敵が覆い被さる形で両手を伸ばしながら迫ってきていた。かなりの距離を、かなりの速さで飛ばされたはずだ。にもかかわらず、もう距離を詰めているとは思いもしなかった。
すぐさま反応せんとするが、勢いを止めるために力を使ったせいか体が硬直に見舞われていた。敵の腹が口を思わせる形状で開いたかと思うや、巨大化。こちらを呑み込む勢いで迫ってくる。
口の中からは、怨嗟にまみれた悲鳴が無数に聞こえてきた。そこに救いはないと断言できる。呑まれれば自我を失うだろう。つまり、死と同じ。
ついに闇の世界に呑み込まれるかと思った、瞬間――。
ドンッとけたたましい爆発音が響き、敵の横っ腹周辺で黒煙が巻き上がった。これはルナの矢だ。敵はかすかに体を揺らしただけに終わったが、こちらを呑み込む動きを止めていた。
足のない下半身を床に戻し、にゅるんと胴体を引き寄せる。と、ゆるやかな動きで遥か遠くにいるルナのほうを見はじめた。表情からは感情を読み取れない。だが、いったい誰が食事の邪魔をしたのかと言わんばかりの激情が溢れでているように感じた。
このままではまずい。アッシュは本能に突き動かされるがまま、敵の胸部と腹部を斬り裂いた。たしかに肉を斬った感触を覚えたが、次の瞬間には敵の体は元どおりに戻っていた。
敵がこちらも見ないまま、わずらわしいとばかりに手を払ってきた。なんとか剣を割り込ませることには成功したが、恐ろしい威力にまたも突き飛ばされてしまう。
「逃げろ、ルナッ!」
こちらが警告するより早く、敵は仕掛けていた。
その美しく長い髪から伸ばした幾本もの触手をルナへと放っていたのだ。
距離があるため、こちらの声が届いたかはわからないが、ルナは早々に駆けだしていた。だが、敵から伸びた触手は逃がさんとばかりに追いかけている。
走りながら必死に矢を射て触手を撃ち落としていくルナ。だが、すべてを迎撃するには至らなかった。5本の触手が先端を尖らせ、彼女の身を貫かんと迫る。が、間に割って入る形で岩壁が足場から突きだした。それも10枚。
手前の岩壁から順に触手によって破壊されていく。そのあっけなさにすべてを貫かれるかと思いきや、最後の9枚目が四散したところで勢いが止まった。ルナが隙をついて駆けだし、残った5本の触手に矢を放って追い返していく。
先の岩壁は間違いなくクララのものだ。
ふと、ルナの位置が南側から東側に寄っていることに気づいた。
敵が先に放った無数の刃や、黒い波をルナだけで防ぐのは厳しいと思っていたが、どうやら機転を利かし、魔法が届くようにとクララとの距離を縮めていたようだ。
少し視線を左にそらせばクララとラピスの姿を捉えられた。ラピスの全速力に、クララが適度に《テレポート》を挟みながらなんとかついてきている格好だ。
と、敵が今度はクララたちのほうに顔を向けた。おそらくまた邪魔してきた相手を狙うつもりだろう。なんとも目移りしやすい敵だ。こんなにも近くに敵意を剥きだした相手がいるというのに――。
「さっきから余所見ばっかしてんじゃねぇよ……ッ!」
アッシュは敵の背後から飛びかかった。右腕、左腕、さらには背中を斬り裂く。が、次の瞬間には離れた肉体が元どおりになるうえ、敵は痛がってくれさえしない。ならば、と後頭部目掛けて剣を突きだすが、触手と化した髪に受け止められた。
敵がそのままぐるりと首をひねり、顔をこちらに向けてくる。ようやく振り向いてくれたことに高揚しつつ、次なる攻撃をせんと剣を引いた、直後。
敵が金切り声をあげた。
呼応したように敵から黒い靄を伴った衝撃波が同心円状に放たれた。あまりの激しさに前へ進もうとしていた勢いをそがれただけでなく、構えすらも強制的に乱されてしまう。
その隙を狙ったかのように敵が右手を伸ばしてくる。その先端の長い爪が眼球を貫かんとしてくるが、紙一重のところで身をよじって回避に成功した。
本能の赴くまま、即座に敵の顔面へと反撃をしかけるが、敵が残した左手であっさりと弾かれてしまう。ただ、もとより一撃で落とせるとは思っていない。すぐさま剣を引き戻し、突きを繰りだすが、またも放たれた衝撃波に邪魔をされてしまった。
その間に体勢を整えた敵が攻勢に出てくる。絶好の機会を潰されたことに苛立ちは感じたが、次の機会に仕掛ければいいだけのこと。アッシュはまたもその場を凌いで反撃へと移ろうとするが、みたびの衝撃波に襲われてしまった。
「ちぃっ」
どうやら衝撃波は敵にとって特別な攻撃でもなく、恒常的な攻撃として備わっているようだ。それもおそろしいことに2拍程度という短い間隔。そのたびに強制的に構えが解除されるため、厄介なことこのうえない。
敵が奇声をあげると、触手と化した髪までも攻撃に参加してきた。手数が多いだけでなく、すべてが恐ろしい速さと威力を持っている。致命傷こそ避けられているものの、時間を経るごとに傷が増えていく状況に陥ってしまう。
視界の中に幾度も自身の赤い血が割り込んでくる。反撃もままならない状況とあって、ただただ回避に専念するしかない状況にもどかしさを感じた。だが、いまは耐え凌ぐしかない。
ちらりと視線をそらせば、いまだ膝をついたままのレオが映り込んだ。意識はあるようだが、戦線に復帰するにはおそらくクララの《ヒール》が必須だろう。だが、彼女が魔法をかけるにはまだまだ距離が遠い。
いまはなにより全員が合流できる時間を作ることが最優先だ。ゆえに、この場でなんとしても敵を食い止める必要がある。
「あぁああああああああッ!」
アッシュは裂帛の気合とともに前へと踏み込んだ。ただ躱すだけでは敵の注意を引くのに不十分かもしれない。その考えから強引に反撃も織り交ぜていく。
敵は人型でありながら自在に体を変化させるため、攻撃の軌道予測がほぼできない。ゆえに、見てから反応するしかなかった。頭の中が焼き切れそうなほど集中し、体のすべてを使って回避に力を注いだ。
視界に映り込む赤色がさらに増えるだけでなく、ぼやけはじめた。意識も朦朧としはじめている。だが、まだ戦える。そう奮起して踏みだした足に力が入らなかった。がくんと体が下がる。隙を逃さんとばかりに敵の触手が眉間に迫ってきた。
その先端は長い爪のごとく尖っている。このままでは頭部を貫かれる。そうなれば間違いなく死ぬ。
視界の右端から飛んできた矢が敵に命中するなり、爆発した。ルナの矢だ。巻き上がった黒煙を吹き飛ばす格好でさらにラピスが槍を突きだしながら飛びこんでくる。あっけなく敵に防がれてしまうが、おかげで立て直す時間を作れた。
なんの示し合わせもなく、ラピスと即席で連撃を組み合わせ、敵の両手と触手による攻撃を弾き返していく。
「アッシュッ、大丈夫っ!?」
「ああ、おかげでな!」
いつの間にか体が温かな光に包み込まれていた。これはクララの《ヒール》だ。どうやら魔法が届く距離まで辿りついたようだ。つまり――。
敵が仕留め損ねた獲物を追撃するかのように、腹から極太の棒を突きだしてくる。が、視界に割り込んできた影がそれを強引に受け止めた。
「待たせたねっ」
大きな背中越しに、レオがにっと微笑んでくる。ただ、あまりの衝撃にやせ我慢しているのが丸分かりだった。すぐさま解放せんとアッシュは敵の腹から出た棒を斬り裂いた。
「なんとか間に合ったみたいだね」
「ほんと距離長すぎだよっ」
背後からルナとクララの声が聞こえてきた。
敵は思っていた以上に強大だ。
しかも、おそらくまだ真の力を見せてはいない。
これほどの相手にひとりで勝てると思っていた自分がひどく滑稽に感じる。ただ、そんな自分とは対照的に、仲間たちがなによりも頼もしく感じた。
アッシュは思い切り息を吐きだしたのち、仲間とともに敵へと対峙する。
「さあ、ここからが本番だ……!」





