◆第一話『神の洗礼』
各頂から塔に応じた色の柱が上方へと迸った。
赤に青、緑。そして黒と白。それら5種の柱の勢いたるや、天にも届くのではないかというほどだった。だが、透明な壁に阻まれたかのようにすべてが半ばで途切れてしまう。
おそらくあそこが封印の境目なのだろう。
そう認識した瞬間、視界が白く飛び、全身がふっと持ち上がるような感覚に見舞われた。ただ、なにが起こったのかを考える間もなく足は地についていた。
戻った視界には、塔の頂に立っていたときよりも多くが青空によって支配されていた。一瞬、空の上に浮いているかのような錯覚を抱いたが、違った。どうやら鏡面のように青空を映しているようだ。
アイティエルが敵の瘴気を消し、戦いやすいようにしてくれている、とは聞いていたが……想像以上に美しく幻想的な舞台だ。思わず見惚れてしまいそうになったが、はっとなった。
これから戦うのは神だ。それも負に満ちた存在だという。にもかかわらずいまだに察知できていない。
慌てて視線を巡らせる。
境界を越える場所が近いほど大きな穴が開く可能性が高くなる。ゆえに、いまの塔と同じ配置、距離間で舞台へと上げる。事前にそう説明をされていた。
それほど遠くない距離に、同じく島の北端にそびえる黒の塔から上がったラピスの姿を見つけた。辛うじて全身の輪郭が捉えられる程度の大きさだ。ただ、島の東西に立つ赤と青の塔から上がったレオとクララの姿はほぼ点としか認識できなかった。
南側の緑の塔から上がったルナにいたっては姿すら見えない。ただ、代わりに映るものがあった。黒いなにかだ。人型のような形状だが、やはり距離のせいで全体像がはっきりと掴めない。
異質な存在であることは視覚的にわかる。ただ、やはり存在感はない。塔の試練の間に君臨していた主たちのほうがよっぽど強そうだと感じられるほどだ。
とはいえ、現状は各々が孤立している状況だ。
好機として攻撃を仕掛けるのは危険すぎる。
アッシュはラピスと一瞬だけ向き合ったのち、互いに逆方向へ駆けだした。
全員が離れて舞台に上げられることは事前に伝えられていた。そのため、敵の場所に応じた初動を幾つか決めていた。敵が中央に立っていた場合は、〝南側から上がったルナのところに集まる〟だ。
アッシュは西のレオ側から、ラピスは東のクララ側から迂回してルナを目指す。
駆けながら、中央に目を向ける。依然として敵に動きはない。まさかこのまま棒立ちなんてことはないだろう。いったいいつ動きだすのか。
決戦というには、敵と対峙してからあまりに静かな時間が流れている。なんとも不気味な感覚に落ちつかないが、気にしてばかりはいられない。敵の確認だけはおこたらずにひた走る。
やがて、レオの後ろ姿がはっきりと捉えられるようになった。騒がしい鎧の音も聞こえてくる。このまま敵が動きだす前にレオと合流し、一気にルナのもとまで辿りついてしまおう。
そう決め込んで強く地を蹴った、瞬間――。
思わず膝を折ってしまいそうなほどの、ぞっとする怖気を感じた。さらに耳をつんざくような奇声が聞こえてくる。鼓膜を突きぬけ、骨まで震わすような不快な音だ。出所は間違いなく敵だ。
思わず耳を塞ぎそうになったが、辛うじて留まった。敵から黒い物体が勢いよく天へと伸びると、瞬く間に見上げるほどの高さに到達。まるで大樹から伸びる枝葉のように円形に広がったのち、無数の刃を降らしてきたのだ。
1本1本がおよそ人程度とかなり大きい。そのうえ、見える範囲すべてを覆う規模だ。逃げ場はどこにもない。アッシュは舌打ちしつつ、剣を抜いた。降り注ぐ刃を迎撃していく。その大きさと勢いもあいまってただの1本を弾くだけでも全身の骨が軋む。
足を止めれば幾らか楽に迎撃できるかもしれないが、いまはなによりレオと合流するのが先だ。なおも降り注ぐ黒刃を弾き、また足場に刺さった黒刃を避けながら、レオとの距離を着実に縮めていく。
視界の中、レオは盾を構えたまま足を止め、貝のようにじっと身を守っていた。動くのは難しいようだが、さすがの硬さとあってあまり堪えてはいないようだ。
と、黒刃の雨が止んだ。
足場に刺さった黒刃もふっとかき消えている。
見上げた先、上空の黒い物体が敵の頭上へと引き返していた。そのまま敵の身へと勢いよく戻ったかと思うや、跳ね返る格好でまたも空高く舞い上がった。先ほどよりも高い壁となったそれは、全方位に波となって襲いくる。
似たような魔法に青の塔8等級魔法の《ツナミ》がある。だが、あれとは規模が比べ物にならない。いま、目の前にしている黒い波は、塔だけでなくジュラル島をも呑み込むのではないかというほどの規模だ。
ただ属性障壁を張るだけで凌げるだろうか。いや、厳しいだろう。気合でどうにかなる域を超えている。
「アッシュくん、僕の後ろにっ!」
レオが黒い波に向かって盾を構えていた。
とてもでないが、ひとりでは防ぐのは厳しいと考えていたところだ。
黒い波の勢いは凄まじく、もう間近まで迫っていた。アッシュは急いでレオのもとへと向かった。辿りつくなり彼の前を駆け抜けながら足場を剣で削り、属性障壁を展開する。そのままレオの右足を掴み、滑り込んで振り子のごとく回り込んだ。
ほぼ同時、黒い波に呑まれた。
属性障壁による抵抗があったのかすらもわからない。ただ視界が黒で包み込まれ、ねっとりとしたいやな空気に辺りが満たされる。息ができないうえ、目を開けることもままならない。さらにとてつもない圧が全身を押し潰さんと襲ってくる。
――早く終わってくれ。
永遠にも似た一瞬の中、そう強く願ったとき、視界が晴れた。どうやら黒い波による攻撃が終わったようだ。少しの間、辺りを満たしていた黒い液体も瞬く間に敵のもとへと引き戻されていく。
手足は満足に動くし、大きな痛みはない。無事に凌ぎきれたのは間違いなく《アイティエルの加護》と、ずっと盾を構え続けてくれたレオのおかげだ。
がちゃん、と金属音が聞こえてきた。
レオが片膝をついて崩れた音だ。
「レオっ!?」
「だ、大丈夫。少し膝にきただけだか――」
レオの返事が途絶えた。
彼の体もまたいきなり視界から消えた。
重い衝突音とともに右方へと飛んでいったのだ。
代わりに眼前に立っていたのは、黒だけで形作られた人だ。
腰から下に足はなく、蠢く物体によって支えられている。だが、そのほかはアイティエルとほぼ同じ容姿だ。当然ながら、その造形は美しいとしか言いようがないほどに洗練されている。
だが、見惚れるような美しさではない。
本能から目をそらし、また接触を拒みたくなるような禍々しい空気を孕んでいる。
これが五つの塔に君臨する、最後の敵。
そして――。
――世界の負の力を吸いつづけた神アイティエルの半身。





