◆第一話『壊れかけの人形』
眼前に現れた光球が弾けた。
視界が真っ白で埋め尽くされた中、凄まじい暴風が全身を叩いてくる。
二の足だけではとうてい耐えられそうにない。
アッシュは即座に這いつくばり、仲間へと叫ぶ。
「みんな、吹き飛ばされるなよ!」
いまいるのは空中に浮いた白塗りの柱廊だ。
ただし、ただの柱廊ではなくあちこちの床が欠けている。
高さはまったくわからないが、暗闇だけははっきりと確認できるため、落ちれば死が待っていることだけは間違いなかった。
レオは重装備とあって難なく暴風に耐えているが、ラピスとルナは軽装なうえ身も軽いのでずるずると後方へ追いやられている。クララにいたっては転がっては《テレポート》でなんとか耐えている状態だ。
完全に陣形が崩壊してしまっているが、ここ白の塔ではお馴染みの光景だった。
やがて風がやみ、荒ぶる髪がさらりと垂れた。
同時に視界も晴れた。
と、アッシュは眼前の光景を前に思わず顔を引きつらせてしまう。そこに先ほどの攻撃をしかけてきた敵──ブラフマーが立っていたのだ。
四方を望むように配された4つの顔に、隙はないとばかりにうねる4本の腕。2本の足で立っていることを除けば人からかけ離れた形状だ。
こちらの顔面をわしづかみしようと1本の腕がぬっと伸びてくる。
「アッシュッ!」
後方から聞こえたルナの声に応じ、アッシュは左方へ転がった。すぐそばの空間を黒い靄を纏った矢が貫いていく。
ブラフマーによって矢は掴まれてしまうが、10等級弓の特殊効果により矢が2本に分裂。残った1本が抜けた。が、それすらも顔面すれすれのところでべつの手に掴まれてしまう。
凄まじい反応だが、何度も戦ってきた敵だ。
仲間の誰もがこれで倒せる相手ではないと知っていた。
クララによって放たれた《フレイムバースト》が直後に敵へと命中。よろめいたところをレオが盾で体当たりをかましつつ、剣で突き。さらには腹をラピスの槍が貫く。敵が苦しげに奇声をあげる中、アッシュは背後へと回り込んでその首を飛ばした。
転がった頭部が慟哭をあげながら焼けた紙のように消滅していく。これで倒したかと思いきや、敵の体が白い光で包まれた。途切れた首からぐねぐねと肉が溢れ、瞬く間に頭部が再生する。
アッシュはすぐさま追撃の薙ぎを繰り出すが、ブラフマーは早々に後退してしまう。入れ替わるように真っ白なオートマトン2体がこちらに向かってきた。
先ほどブラフマーに《ヒール》をかけたのは、あの2体だろう。白の塔のオートマトンは厄介なことに《ヒール》を使える。しかもその回復力は反則と思えるほどに異常なものだ。
「もう、せっかく倒しかけだったのにっ!」
クララがルナとともにすぐさまオートマトンへと攻撃をしかけるが、どちらも光の膜によって弾かれてしまう。白の塔オートマトンが持つ特殊能力、《バリア》だ。物理だけでなく魔法も3回まで防ぐ効果を持っている。
レオがオートマトンに盾で勢いよくぶつかりにいった。相手の勢いを殺したのちに、もう1体にも突進をかます。
「アッシュくん、ホムンクルスまで来てる!」
レオとオートマトンたちの向こう側、大きく後退したブラフマーのそばに人型の魔物が現れていた。その身は成人男性よりもわずかに大きく、筋骨隆々としている。塔の色にちなんでか、肌は白い。
ホムンクルス。
四肢の動きは人とあまり変わらないが、その戦闘能力は常人の域を遥かに超える。
「一番厄介な組み合わせだなっ。レオ、後衛組と人形を頼めるか!?」
「任せておくれっ!」
アッシュはラピスと視線を交わし、ともにレオを追い抜いた。そのまま奥のブラフマーやホムンクルスのもとへと駆ける。と、ホムンクルス2体が迎撃せんと向かってきた。その腕を変形させ、刃へに見立てて腕を振り抜いてくる。
アッシュはラピスとともに攻撃を回避する。虚空を裂いた鋭い音に身が竦みそうになる中、さらに敵は恐ろしい速さでもう片方の手を刃に変形させ、振り下ろしてきた。こちらもなんとか躱せたが、そばの地面が深くえぐられた
相手が攻撃直後で硬直した隙を狙い、アッシュは駆け抜けざまに一閃。敵の胴体を上下に両断し、消滅させた。ラピスはもう1体へと素早い突きを3回繰りだし、倒しきっていた。
ここ最近、ラピスの成長が著しいが、ここにきてまだ伸びているようだった。
ホムンクルスたちの肉体が細かい粒となって消滅を始める。が、その粒たちが突如として白光しはじめた。みるみるうちに粒は元に戻っていき、あっという間にホムンクルスを元の姿に戻してしまった。
ブラフマーが《リザレクション》と呼ばれる、消滅した対象を復活させる魔法を使ったのだ。しかもブラフマーの場合、腕の数だけ同時発動が可能という、なんとも恐ろしい力を持っている。
アッシュは蘇ったばかりのホムンクルス1体の首を飛ばし、さらに胸を刺して即座に処理。すぐさまブラフマーへと全速力で駆けだす。
「ちぃっ、ラピス、任せる!」
「ええ!」
こちらが接近する間にもまた《リザレクション》を使ったようだ。背後から聞こえてくる戦闘音が激化している。先ほど即座に倒したものの、ホムンクルスも決して弱くはない。長時間、ラピス1人に任せるのはかなり危険だ。
アッシュは駆けながら幾度も属性攻撃を放ち、ブラフマーを牽制。そのまま肉迫し、勢いのまま薙ぎを繰りだす。敵が素手で受け止めようとしてくる。その掌に触れる直前、手首をひねって無理やりに軌道を下向けた。振り抜き、敵の右膝を斬り落とす。
敵が体勢を崩すが、途中ですぐに立て直しはじめる。見れば、すでに右膝が再生を始めていた。シヴァと同様、《ヒール》がなくとも生半可な攻撃ではすぐに再生されてしまう。ゆえに高火力の攻撃を叩き込まなければ倒せない。
アッシュは地面を思い切り踏み込み、体を横に回転させる。勢いに任せて剣を振り抜き、敵の首を切断。敵の頭が宙を舞う中、さらに回転し、もう一撃を繰りだす。敵が2つの手で受け止めようとしてくるが、関係ない。
アッシュは煌きが最高に達した剣を以って《ソードオブブレイブ》を発動。2つの手だけでなく、その先の胴体をも上下に両断した。
ブラフマーが消滅を始めたのを機に周囲を確認する。と、仲間たちもオートマトン2体とホムンクルス2体を倒しきったところだった。敵がいないうちに進めるだけ進みたい。
アッシュは首を振ってまたも周りを見渡す。
正規の道から少し外れた右方に浮く床を見つけた。
なにやらほかとは違って変に小奇麗だ。
戦闘とは無縁な空気が漂っている。ほかの塔でも似たような場所を見つけていたので間違いない。安全地帯だ。
「あそこに安全地帯がある! 急げ!」
◆◆◆◆◆
アッシュは《テレポート》で渡ってきたクララを抱き止めた。ありがと、とクララがわずかに照れながら離れる中、最後にラピスが渡ってきた。
完璧な着地に見えたが、彼女は勢いがつきすぎたとばかりに正面から近づいてきた。さすがにそのままだとぶつかりかねないので肩を掴んで止める。と、ラピスもまた「ありがとう」と口にした。
そのわざとらしい挙動にアッシュは思わずふっと笑ってしまう。当のラピスは頬を赤らめながら慌てて離れると、拗ねたように抗議の目を向けてきた。
「な、なにっ」
「いや、なにも」
本当に島に来た当初からは考えられない変貌ぶりだ。
アッシュはひとり笑いを堪えながら腰を下ろした。
仲間たちも思い思いの格好でくつろぎはじめる。
「相変わらずのきつさだけど、この調子ならここも突破できそうだね」
「これまでどおりならもう半分は越えてるだろうしね」
クララとルナが柱廊の先を見つめながら言った。
ミロとダグライによる騒動からすでに3ヶ月が経った。
あれからも適度に休みを挟みつつ、塔をひたすら昇りつづけ――。
到達階は赤94、青96、緑96、白95、黒93階まで達した。
ほかの階層ならば遅い、という評価になるかもしれない。だが、10等級階層の難度に鑑みれば間違いなく悪くないペースだと自信を持って言える。全員が武器を10等級に格上げできたことも大きいだろう。だがそれ以上に――。
「にしても天破シリーズの効果、思った以上だな」
「ええ、これがないとたぶんどこも95階以上は厳しいかも」
アッシュはラピスとともに防具を一新していた。
腰周りには威厳を象徴するようにマントのようなものがひらひらとついている。一見して邪魔にも見えるが、動きを阻害されることはない。色合いは淡い白に意匠が黒といったものとなっている。
《天破》シリーズには、天を落とすといった意味があるらしい。もしかすると天を白に、黒を人ととして見立てているのかもしれない。
効果は敵への損傷を大幅に増加。敏捷性を増加。魔法耐性を増加。さらに神聖対象への損傷を大幅に増加、と盛りだくさんとなっている。
10等級の敵はオートマトンを除いてほとんどが〝神聖対象〟となるようなので、もっとも効果的な装備といっても過言ではなかった。
ちなみにクララのローブもルナと同じ《ヴァルキリー》シリーズに変わっている。9等級の防具だが、ルナと同じく〝標的にされにくい〟というセット効果を期待してのことだ。
ふいにルナがきょろきょろしはじめた。
「なんか変な音が聞こえるね。ばちばちって」
「実は俺もさっきから気になってたんだよな」
焚き木で鳴る音に近いが、どこか違う。
小さな炸裂音ともとれるようなものだ。
「え、あたし全然聞こえないんだけど」
「あはは、2人は耳がいいからね」
首を振りはじめるクララを見て、レオが笑う。
大したことはないと思っていたが、このままではクララの気が休まる暇がなさそうだ。アッシュは立ち上がって音の出所――損壊した柱が1本立っているだけの床へと向かう。
「そこの柱の裏っぽいな」
「あたしも行くっ」
アッシュは離れた床に飛び移った。
クララも遅れて《テレポート》でやってくる。
先ほどよりも音が近い。
やはりこの柱で合っているようだ。
足を滑らせながらこっそりと柱の裏を窺う。
と、そこにいたのは座り込んだオートマトンだった。
「うげ、人形っ!?」
「待てっ」
魔法を撃とうとしたクララの腕を慌てて掴んで制した。
いまだ倒す気満々に掌を広げながら、クララが疑念の目を向けてくる。
「ど、どうして?」
「なんか様子が変だ」
改めてオートマトンの様子を確認する。
真っ白な外見は白の塔に出てくる通常型のオートマトンとほぼ同じだ。若干、こちらのほうがひと回りほど体がでかいか。ただ、なにより違ったのは壊れかけで座り込んでいる点だ。
ばちばちという音は、その破損箇所から出ていたらしい。腹の中央にはなにか拳大の球がくりぬかれたように穴があいている。
そうしてまじまじと観察していたところ、オートマトンの両目が急に黄色く輝いた。直後、人の声に似た、やけに高い音が訥々と聞こえてくる。
「ワタシ、バゾッド。ココロ、モッタ、オートマトン」





