◆第九話『偽りの平和』
しばしの間、静寂が辺りを包んだ。
周囲に集まった者たちも事態を静観している。ただ、いくつもの目がいましがた名を挙げられた者――オルティスへと集まっていた。
「キヴェールも面白いことを言うようになったものだ。大方、聖下のお心を少しでも安心させようとしたのだろうが……このような状況下だ。少し冗談が過ぎたな」
オルティスは仕方ないなとばかりに苦笑すると、まるで何事もなかったかのように歩み寄ってきた。
「さあ、聖下。小話はほどほどに急いでここから移動を――」
「潔く認めてはどうか、オルティスよ。もはや、この聖王ノダスの目はお前の色を見極めている」
これまで抱いていた疑念と、キヴェールの決死の告白が繋がったのだ。冗談であると捨て置ける段階にはもうない。
逃れられはしない。
そうした想いをノダスは目に宿し、オルティスを見据えた。
「……ダグライ帝国を滅ぼそうとしたあなたがいけないのです」
空気が一変した。
オルティスから人の気配という温かさが失われた。
代わりに彼の体がひどく冷たいものが溢れだす。
「本来は、我々がこの島に来ている間に聖王暗殺が行われる予定だった。だが、あなたが天啓により予想外の行動をとったことでその予定が狂ってしまった……どうやら天啓とやらは本当に機能しているようだ」
それは聖王としての力だけではない。
神の存在をも否定するような物言いだった。
「……ミロに誓いをたてた聖騎士とは思えぬ発言だ」
「誓いは本物だ。わたしは誰よりもミロを思っている。あなたよりも、ずっと」
「我々がなによりも優先すべきは民を救い、民に安寧を与えることだ。繁栄が先にあってはならない」
「繁栄がなければ救うことも、安寧を与えることもできはしない。理想だけでは国は成り立たないことをあなたは知るべきだ」
「矛盾の上で成り立った偽りのものになんの意味がある。民が真実を知ればどう思うか」
「ならば知らなければいい。知らなければ、民は〝幸せ〟だと思いながら一生を終えられるのだ」
真にミロを想ってのことか。
国を裏から操ることに快楽を覚えてのことか。
オルティスの胸中を推しはかることはできない。
ただひとつだけたしかなことがある。
それは互いの道がはっきりと分かれているということだ。
「いずれにせよ、ダグライとしてもあなたの死は絶対だったらしい。わたしの予定は狂ったが、こうして変わらぬ結果が近づいてきている」
いまも南東の浜辺から激しい戦闘音が聞こえてきている。
どれだけ挑戦者たちが力を持っていたとしても多勢に無勢。防衛線が決壊し、この中央広場に狂人たちがなだれこんでくる可能性は高い。
「わたしが死ねば、ミロは少なからず混乱するだろう」
「そのときはまた新たな聖王を祀り上げればいい」
「国の混乱はすぐに収まるものではない。それはお前が優先する〝繁栄〟に反しているのではないか」
「長期的に見ればあなたがいないほうが円滑に繁栄への道が開けることは間違いない」
聖王の選定は教会の大司教によって行われるが……。
オルティスの口振りからして、すでに腐敗の手はそこまで及んでいるのだろう。いや、及んでいたというより、ずっと昔からそうだったのかもしれない。
「しかしオルティス、お前の席はもうないぞ。ここにいる多くの者がその真実を聞いている。いかにこの島が絶海の孤島とはいえ、留めることはできないほど大きな事実だ」
「そのとおり……ゆえに、聖騎士とダグライの関係を知った者すべてを消す必要がある」
オルティスから放たれた殺気に周囲の挑戦者たちも警戒を強めた。中には武器を手にした者もいる。だが、オルティスに焦った様子はまるでない。それどころかひどく落ちついている。
「わたしは最小限の被害で収めようとしていたのだ。だが、すべてあなたのせいだ」
偶然か、必然か。
その言葉に呼応するかのごとく中央広場が突如として混乱に包まれた。
「狂人たちが来たぞ!」
浜辺からではない。
おそらくすでに上陸していた狂人たちだろう。
あちこちで応戦する挑戦者たち。だが、狂人のおそろしい膂力の前に苦戦しているようだった。吹き飛ばされ、幾人かが宙を舞っている。
「天はもう、あなたを見放している。聖王……いや、ただのノダス・サリュアンゼ。ミロの繁栄のため、ここで死んでもらうぞ」
オルティスが鞘から抜いた剣を振り上げた。
陽光を受けて煌く刃がこちらへと落とされる。
最中、ノダスは刃の先に映る天へと祈りを捧げた。
願わくは、ミロが真の平和を掴めるように、と。
ガキンッと甲高い金属音とともに視界が遮られた。
陽光が遮られ、割り込んできたものが黒い影となって見えた。慣れた目が、やがてそれを正確に認識しはじめる。
真っ赤な鎧に頭を完全に覆う兜。
しかし、その体格は戦士には見えない小柄なもの。
この姿は紛れもなく、ミロが誇る聖騎士のひとり――ルグシャラだ。
刃同士の擦れる音に紛れ、オルティスの低い声が聞こえてくる。
「ルグシャラ、どけ。団長命令だ」
「どうしてどかないといけないんですかぁ? わたしはなにも間違ったことはしていませんよ?」
ルグシャラは臆するどころか、あっけらかんと答えた。
だが、その華奢な体でオルティスの刃を受けつづけているからか。その腕は限界が近いと言わんばかりに小刻みに震えている。
「――代々、ミロは聖騎士の手によって守られ、そして繁栄してきた。聖王はただの飾り。正しきはこちらにある。ルグシャラ、もう一度言うぞ。どけ、団長命令だ」
「どっちが正しいとか、ぶっちゃけてど~でもいいんですよね~」
「ならばなぜ邪魔をするっ!?」
「話してませんでしたけどぉ~、実はわたし、ダグライにお父さんとお母さん殺されてるんです。聖騎士に入ったのもダグライ帝国をぶっ潰せるからだったんですよねー」
ルグシャラは呑気な声で応じると、先ほどまでの震えが嘘のように力強く剣を振り切り、オルティスを後退させた。
ルグシャラは聖王だから守ってくれたわけではない。
正しさを求めて動いたわけでもない。
ただ、己の復讐のために動いたようだった。
彼女は対の長剣をガキンと打ち鳴らし、ゆらりと動きだした。
「だからぁ、聖騎士がダグライと手を組んで戦争を起こしてるっていうなら、いまから聖騎士はわたしの敵で~す……あはっ」





