◆第十話『黒の加護』
視界の中、ルグシャラが獣のようにオルティスへと飛びかかった。双方の刃が触れ合い、騒動の中でもはっきりと聞こえるほど大きな音を響かせる。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ! あははははっ!」
およそ正常な人間とは思えない狂気の声をあげながら対の剣を振り回すルグシャラ。復讐対象とあってか、普段以上の力を発揮しているようだ。
加えて型などというものがない予想外の攻撃ばかりだからか、オルティスも受けに回らざるを得ない状況となっていた。ついに2人は近場を離れ、あちこちを駆け回るように戦いはじめる。
周囲で挑戦者たちが狂人を迎撃しているが、それらが霞むほどに聖騎士2人の戦闘は熾烈なものだ。ただ、どちらも聖騎士の強みである《ミロの加護》を使っていなかった。
実のところ《ミロの加護》は絶対ではない。
人間の体力や精神といった活力を糧に発動している。いわば魔法のようなものだ。常に発動しつづければ、いずれ消耗する。ジグラノは本当にいつまでも使いつづけることができていたが、彼女は例外だ。
「キヴェール、なにをしている! 手を貸せ!」
オルティスが苛立った声をあげた。
告白をしてからというもの、ずっと俯いたままだったキヴェールがびくついた。怯えた目でオルティスを一瞥したのち、またも俯いてしまう。
「わたしはっ、わたしは……!」
「……キヴェールよ。お前は勇気を出し、罪を明かした。あれとは違う。お前はこちら側の人間であり、そしてわたしの友だ」
「聖下……わたしにそのような言葉を頂く資格など――」
「ミロを想う気持ち。それはわたしの心にしかと届いている。資格というものがあるとするならば、それはもう充分に満たしているはずだ」
ノダスはキヴェールの目を見据えながら力強く頷いた。
その兜の下から「ひくっ」と呻き声が聞こえてきた。鼻をすする音も聞こえてくる。久しく彼の素顔を見ていないが、泣き顔を想像するのは容易かった。
「う、うぁぁああああああああっ!」
キヴェールが剣を抜き、オルティスへと向かっていく。
「ルグシャラァッ、手を貸すぞ!」
「なんですかぁ!? 邪魔しないでくださいっ」
「こちらが合わせる! きみは好きに戦えばいい!」
「だったら、文句はありません……っ!」
ルグシャラの奇抜な攻撃の合間を縫う形でキヴェールが攻撃を繰りだしていく。危なっかしいことこのうえないが、不思議と息が合っているようにも見えた。
オルティスも聖騎士2人が相手とあってか、《ミロの加護》を使用しはじめる。ただ、それでも完全に防戦一方といった様子だ。
「どいつもこいつも使えない奴らばかりだ……!」
オルティスが《ミロの加護》でルグシャラの攻撃を防ぎ、自らの剣でキヴェールを弾いた。距離があいたのを機に「ちぃっ」と舌打ちをする。
「なぜわからない! ミロを思えばこそ! この崇高なる使命は我々聖騎士だけが果たすことができるのだ!」
理解できないとばかりに声を荒げるオルティス。
その姿はまるで子どもが癇癪でも起こしているかのようだった。
ノダスはその姿を見据えつつ、ずっと疑念に思っていたことを口にする。
「あの心優しきジグラノがあるときを境に国を去った。あれは……お前の蒙昧な心に気づいたことが原因だったのではないか」
「彼女の名をッ! わたしの前で出すなッ!」
どこかまだ冷静な心を残していたオルティスだが、〝ジグラノ〟の名で一気に感情をせき止めていたものが瓦解したようだった。
「へぇ……ジグラノさんに……わたしの恩人に悪いことしたんですね。だったら余計に刻んであげないとですねぇ……っ!」
身を低くし、いまにも飛びかかろうとするルグシャラ。ただ、そんな彼女を前にしてもオルティスはまったく構えようともせず、それどころかゆっくりと周囲を見回していた。
狂人たちの襲来に混乱していた場は収まりつつある。初めこそ押され気味だった挑戦者たちだが、幾人かの手練によって次々に制圧されていた。そんな様子を見てか、落胆したようにオルティスが言葉をこぼす。
「……やはりわたし自らがやらねばならぬか」
「なにを余所見してるんですかぁっ」
ルグシャラがついに肉迫し、オルティスの顔面目がけて突きを繰りだした。が、オルティスは避けようとしなかった。すっと持ち上げた右手でルグシャラの剣を握るようにして受け止めた。
手で剣を握るとは血迷ったか。
そう思ったのも束の間、オルティスは剣を握りつぶした。さらに刃の破片が散る中、驚愕の声をもらすルグシャラの顔へとその拳を真っ直ぐに突き込んだ。
素手で硬質な兜を殴る行為もまた無謀にも見えたが――。
予想に反して兜が破損し、ルグシャラは勢いよく吹き飛んだ。地面をすべるように転がったのち、呻きながら顔を上げる。兜は完全に壊れ、その顔があらわになっていた。
オルティスが見せた力は、およそ人間のものとは思えない威力だ。恐る恐る視線をオルティスに戻したところ、彼の聖騎士の鎧が赤から黒へと変わり果てていた。その裏では《ミロの加護》もまた黒味を帯びている。
そのおぞましい姿に、ノダスは思わず息を呑んでしまう。
「……オルティス、そこまで墜ちていたか……っ」
デモニアによって狂人化したダグライ帝国の戦士を思わせる姿だ。ただ、これまでの狂人とはまるで雰囲気が違う。《ミロの加護》が黒く変貌していることもそうだが、なによりほかの狂人とは違ってオルティスは暴れ狂っていない。
いずれにせよ、オルティスが異様な存在と成り果てたのは間違いなかった。
「色が変わっただけで……っ」
いま一度襲いかかったルグシャラだが、その剣はオルティスの身に届くことはなかった。黒く変貌した《ミロの加護》が自ら動きだし、弾き返したのだ。
ルグシャラがまたも吹き飛ばされ、地に転がってしまう。すぐさま起き上がろうとするが、体が上手く動かないようだった。
本来の《ミロの加護》は守りに徹するだけで、自ら危害を加えるようなことはしない。オルティスの《ミロの加護》は色だけでなく、どうやらその性質すらも変わっているようだ。
「ルグシャラッ! くっ、おぉおおおおおおおっ」
「役立たずめ、どいていろ」
続いたキヴェールもオルティスが軽く振った剣によってあっさりと弾き飛ばされてしまった。展開された《ミロの加護》も硝子が割れるように四散し、消滅している。
「終わりだ、ルグシャラ」
オルティスがゆったりとした足取りでルグシャラの元へと向かっていく。ルグシャラは意識ははっきりしているものの、いまだ起き上がれないようだ。
このままではルグシャラの命はオルティスによって摘まれてしまう。そう思ったとき、突如として現れた4人の男たちが立ちふさがった。
ルグシャラがきょとんとしながら口を開く。
「あなたたちは……弱い人」
「うるせぇ、あんときゃ油断しただけだ!」
そう応じたのはリーダー格と思しきバンダナを巻いた大男だ。彼はオルティスを威嚇するように戦斧を構える。
「お前ら聖騎士はクソだと思ってるが、俺たちはボスにこの場を任された。〝狂人〟が現れたなら戦うのが筋ってもんだろ」
「狂人とは……あのような意志なき者たちと一緒にするな。わたしはいま、神にもっとも近い存在となったのだ」
「神? はっ、そんな禍々しいもん出しまくっといてなにが神だ」
「これこそが世界を救う色だ。よく覚えておくといい」
その声に呼応して黒い《ミロの加護》が渦巻くようにして暴れはじめた。猛烈な突風に見舞われたバンダナの男たちはその場に立っていられず、遠くへとあっさり吹き飛ばされしまう。
風の渦はそのままオルティスの身を包み込むと、弾けるように散った。黒点が飛沫となって散りゆく中、ノダスは思わず目を見開いてしまう。
オルティスの背から黒い翼が生えていたのだ。
そこに《ミロの加護》の姿はもうない。
ほかの狂人たちによる襲撃が収まっていたからか、その光景は中央広場にいた誰もが目にしていた。挑戦者たちの間に動揺が走る中、狂人襲撃にもっとも貢献していた戦士2人がいち早く動きだす。
「ダリオンッ! てめぇ……うちの奴らをよくもっ」
「落ちつけ、ヴァン! 相手はどう見ても異常だ! ちぃ……おい、誰か! いますぐにベイマンズたちに報せろ!」
彼らはおそらくこの島でも上位に入る実力を持つ戦士たちだろう。だが、そんな彼らを前にしてもオルティスはまるで動じていないようだった。
「この力を手にしたいま、わたしにもう敗北はない」
自身の力を誇示するかのようにオルティスが黒い翼をはばたかせる。幾本もの羽根が舞う中、先の挑戦者2人に続いて多くの挑戦者たちがオルティスへと向かいはじめた。





