◆第三話『クルナッツ教』
2日かけて91階を突破したこともあり、疲労回復のために完全休養となった本日。いつもと変わらない時間に起きてしまったので、店が開きはじめる頃合を狙ってひとり中央広場を訪れたのだが――。
「約束しましたよねぇ……戦ってくれるって」
ゆらりと現れたルグシャラが立ちふさがった。
待ち合わせをした覚えも予定を言った覚えもない。
戦うことに異様な執着心を見せるルグシャラのことだ。おそらく中央広場でずっと待っていたのだろう。
アッシュは肩を竦めながらため息をついた。
「やっぱ覚えてたのか」
「当然ですよぉ。わたしにとっては、こっちのほうが大事ですから……!」
「俺が言うのもなんだが、聖騎士の務めのほうを大事にしたほうがいいんじゃないか」
「わたしが強くなれば聖騎士のためにもなります」
兜からわずかに見える目はまるで疑っていない。
どうあっても戦う気のようだ。
「べつに戦うのはいいんだが……」
「だったらしましょっ、いますぐしましょっ」
握り拳を作った両手をぶんぶんと上下に振りながら詰め寄ってきた。本当にこれから戦おうとしている者とは思えない無邪気さだ。
ルグシャラはおそらくクララよりわずかに年上といった程度でまだまだ若い。それぐらいの少女が果たしてこんな調子でいいのだろうか。
「なあ、ほかに好きなことはないのか?」
「戦うことっ」
「だからそれ以外だって」
「んぅ~…………ないです」
ルグシャラは小首を傾げて唸りだしたかと思うや、あっけらかんとそう言い切った。
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「ないです。いつも同じようなもので、いつも同じような味で、いつもあんまり美味しくないものばかりですから」
たしかユルト教では過度な贅沢が許されていなかったはずだ。聖騎士は露出が多く、大衆に見られる側であるため、余計に厳しかったのだろう。
「なので、この前入ったお店のお料理はちょっと興味が湧きました。食べる前に出ることになっちゃったので残念でしたけど」
しゅんと肩を落とし、寂しげな声をもらすルグシャラ。
涎を垂らしながらメニューに顔面を押し当てるさまからして〝ちょっと〟どころではなく、凄まじく興味を抱いていたことは間違いない。
彼女の戦いに執着する心。
それを食の楽しさを知ることで変えることができるのではないか。
そんな考えがふと頭の中に浮かび上がった。
アッシュは中央広場の南東へ向け、歩きだす。
「ちょっとこい」
「戦える場所に移動ですかっ!?」
ルグシャラが軽やかな足取りで隣に並んできた。
アッシュはにっと笑いながら答える。
「いや、もっといいところだ」
◆◆◆◆◆
ユルト教の教えに反するため、無理強いはしなかった。だが、ルグシャラは「価値がわからないので贅沢じゃないです」と言ってそれをあっさりと口にした。
「んまぁああーっ」
《スカトリーゴ》に響き渡る歓喜の声。
いまが開店直後でなければ、多くの注目を浴びていたことだろう。
「なんですかこれっ、なんですかこれぇえええっ!」
眼球が飛び出しそうなほど目を開けながら、握ったスプーンを皿と口の間でおそろしい速さで行き来させるルグシャラ。
いま彼女が食べているのはクルナッツゼリー。
女性に大人気で、ウルも大好物としているものだ。
ルグシャラもれっきとした女性なため、気に入ってくれる可能性は高い。そう考えていたのだが、予想以上に好評のようだった。
いまも嬉しそうに――というより必死になってガツガツとクルナッツゼリーを口に運び、どんどん頬を膨らましていくルグシャラ。そのさまを微笑ましく見守っていると、近くから呆れたため息が聞こえてきた。
「またべつの女性ですか」
予想はしていたが、案の定アイリスだった。
その美貌から時折見せる愛想で看板娘の名を欲しいままにする彼女だが、相変わらずこちらには一度としてそんな素振りを見せてくれたことはない。それどころかいまも継続して細めた目を向けられている。
「……言っとくが、そういうんじゃないからな」
「ではいつもはそういうつもりで一緒に来ているのですね」
「それもまたべつだ」
いつもの挨拶とばかりに彼女と軽口を叩き合っていた、そのとき。ルグシャラが食べ終わった皿を突きだしながら声をあげた。
「そこのお姉さん、同じの10個追加でお願いしますっ」
そのとんでもない注文に、さすがのアイリスも目を瞬いていた。
戦闘のこともそうだが、本当に我慢ができないようだ。
「あんまり食いすぎると腹壊すぞ。あと1個で終わりにしとけ」
「じゃあ自分で買います」
「それだと価値がわかっちまうんじゃないか」
こちらが奢ることで価値をわからなくして贅沢をなかったことにしている。まったくもって詭弁でしかないが、そのうえで成り立っているのでしかたない。
ルグシャラははっとなったのちに絶望したような顔になった。かと思うや、まるで呪い殺すかのような顔を向けてきた。クララやシャオあたりなら間違いなく悲鳴をあげるような凄まじい恐怖の顔だ。
「そんな顔で抗議しても無駄だ」
「……ミロの人たちは、大体これでなんでも言うことを聞いてくれたのですが……さすがにアッシュ様には通じないですか」
打って変わって落ち込んだルグシャラ。そんな彼女とのやり取りを見ていたアイリスが「まるで親子ですね」とぼそりと呟いた。
直後、ルグシャラの目をぎょっとさせた。
「親……」
「ルグシャラ? どうかしたのか?」
そう問いかけると、彼女はにたぁっと不気味な笑みを向けてきた。
「わたしに親はいませんよ。戦争でとっくの昔に死んでますから」
「……申し訳ありません」
知らなかったとはいえ、相手の不幸な出来事に触れてしまったことに罪悪感を覚えたのだろう。アイリスが丁寧に頭を下げていた。
「いえー、べつにいーですよー。だってあなたが悪いわけじゃないですし。悪いのは全部相手の国です。だから、見つけたら殺してやるんです。あはっ」
発言こそ普段のルグシャラらしい狂人染みたものだが、どこか笑みが乾いているように見えた。深読みかもしれないが、彼女も強がっているのだろうか。
「もう1個だけ食べてもいいぞ」
「本当ですかっ」
あまりの嬉しさからか。ルグシャラが身を乗りだし、顔面を近づけてきた。そこからぐいっと顔を横向け、アイリスへと満面の笑みを向ける。
「では2個追加でお願いしますねぇ……!」
「え、ええ。承りました」
戸惑いながら注文を受けたアイリスが背を向けて去っていく。その後ろ姿を見つめながら、ルグシャラが楽しげな声をもらす。
「ふふふー、くるなっつぅ、くるなっつぅ……!」
このまま戦闘のことを忘れてくれたら最高だ。
そんなことを思っていた矢先――。
「あ、食べ終わったら戦いましょうねぇ……っ」
向けられたねっとりとした笑顔。
……どうやらまだまだ食より戦いのようだ。





