◆第二話『ダグライ帝国の影』
中央広場の南側通りから横並びに向かってくる3つの影。
どれも成人男性と思しき姿だ。ただ、質素な布着が破裂しそうなほど筋肉は膨張し、目は血を焼いたような赤黒い色をしている。とても正常な人間とは言いがたい。
――狂人。
そう表するのがもっとも適切だろう。
3体の狂人は常人の域を遥かに超えた速度で噴水広場へと侵入。身が頭部大の小斧を振り上げながら飛びかかってきた。
アッシュは誰よりも先に前へ踏みだし、わずかに先行する正面の1体と対峙する。構えた長剣に相手の斧が触れた、瞬間。純粋な力では勝てないと悟った。すぐさま体全体をなめらかに動かし、相手の勢いをそらす。
接近の際に確認したが、相手の得物は塔産の武器ではない。
残る2体が両脇を駆け抜けていったが、後ろには聖騎士たちやベイマンズチームがいる。彼らならまず心配はいらないだろう。それよりもまずは眼前の狂人の相手が優先だ。
まるで獣のような低い唸り声を出しながら飛びかかってきた。まともに撃ちあえば腕を持っていかれるのは必至。受け流し、相手の体勢を崩しながら対応していく。
――それにしても。
鼻の奥にツンとくる、葉を焦がしたようなこの臭い。
「デモニアかっ」
かつてジュラル島に蔓延していた悪魔の嗜好品――デモニア。吸うことで身体能力を大幅に強化できるものだ。
「気をつけろ! 力で真っ向から撃ち合うな!」
アッシュはそう叫びながら、いまも襲いくる小斧を躱した。振り下ろされた斧の刃が地面に突き刺さり、大きな亀裂を走らせる。本当に戦慄するほど凶悪な威力だ。ただそれがあだとなって刃が地面に固定され、上手く引き抜けないようだった。
純粋な力では負けるが、武器の強度ではこちらが遥かに上回る。アッシュはその小斧の腹を刺し、貫いた。すぐさま引き抜き、さらに斧身へと長剣を思い切りぶつけるように撃ち砕いた。
通常の人間なら得物を失えば怯むだろう。
だが、狂人は怯むどころか斧を捨てて素手で飛びかかってきた。
相手はデモニアで狂人化しただけの人間だ。
そこに悪意があるかはわからない中、痛めつけるのは本意ではないが……このままずっと相手をしているわけにもいかない。
「――恨みはないが、大人しくしてもらうぜ」
突きだされた右拳をアッシュは身を低くして躱し、そのまま相手の背後へと回り込んだ。相手はまともな思考をしていない。ただ刻んだだけでは沈黙させられない。
瞬時に両の膝裏、両肩を骨ごと貫いた。前のめりに倒れていく中、狂人が振り向きざまに獰猛な顔を向けてくる。このままでは暴れつづけそうな気がしたのでさらに後部を柄尻で強打し、意識を奪った。
直後、その体が砂のように細かい粒となり、風に吹かれたように消えていった。
「……消えた?」
まるで塔の魔物が消滅したときのようだった。
見れば、ベイマンズチームや聖騎士たちも狂人1体ずつを戦闘不能に追いやっていたが、やはり先の1体と同様に消滅していた。
「……意識を失った途端、消滅したな」
「ぶっ叩いてどこのもんか吐かせてやったのによっ」
驚くロウに、悔しげに舌打ちするヴァン。
そんな2人とは相反して、ベイマンズだけは険しい顔をしていた。
「どこの奴なんかは確認するまでもねぇ。ダグライ帝国だ」
ダグライとは北方大陸にある大国のことだ。
侵略国として有名な国でもある。
アッシュはベイマンズへと問いかける。
「どうしてわかるんだ?」
「胸元に刻んであった、下向いた三角の黒い模様だ」
ベイマンズが自身の胸元を親指でトントンと突きながら言った。
戦闘中、たしかに黒色でなにか描かれていたのは確認できた。ただ、それがどうしてダグライのものであると断言できるのか。その理由をベイマンズが続けて語りはじめる。
「あそこの人間は16歳になると胸に印を刻むんだよ。一生、国のために尽くしますってな。いや、国のために命を捧げるって言ったほうが正しいか」
ダグライ帝国は近隣国ガソンからさらった子どもで人体実験をしていた国だ。そしてベイマンズは、そのさらわれた子どもたちのひとりだった。ダグライ帝国について詳しいのはそのためだろう。
「あいつら、ジイさんを狙ってた。……あんた何者なんだ?」
言いながら、ベイマンズはノダスへと鋭い目を向けた。
キヴェールが代わりに返答する。
「神聖王国ミロが聖王、ノダス・サリュアンゼ様だ」
その発言にいち早く反応したのはヴァンだった。
わかりやすいほど目を見開き、動揺している。
「聖王って……あの聖王かよ。俺でも知ってる有名人じゃねえか。ってロウさん、妙に落ちついてますね」
「聖騎士が護衛をするほどの人物だ。一目見た瞬間からある程度予想はしていた。ただ、わたしも内心では驚いている。どうしてこのような島に聖王がいるのか、と」
ヴァンとは打って変わって冷静なロウは、〝聖王がいること〟よりも〝聖王が島を訪れた理由〟が気になっているようだった。いまもこちらを一瞥してきたあたり、関係があることは察しているに違いない。
「聖王……そういうことか」
ベイマンズはひとり納得したような声をもらしていた。
そんな彼にヴァンがおそるおそる問いかける。
「ボ、ボス。どうして聖王だからダグライに狙われるってことになるんすか?」
「ダグライはミロと隣り合わせなうえ、長く敵対してんだよ」
「そりゃあ狙われるのも当然っすね」
すっきりしたとばかりにヴァンが頷く。
そんな中、ノダスが瞳に悲しみの色を宿していた。
「デモニアを過剰に摂取した成れの果て……それが彼らだ」
以前、デモニア使用者がモグスと呼ばれる男の呪術によって操られていたことがあった。その際も同様の力を発揮していたが、どうやら過剰摂取でも陥るようだ。
「デモニアの製法について、きみたちは知っているかな?」
ノダスからの問いに誰も答えなかった。
訪れた無言の中、ルグシャラが嬉々として正解を語る。
「生きた人間を埋めて、殺した土で栽培した葉が使われてるらしいですよぉ」
明るい声に反して内容はひどいものだった。
アッシュはベイマンズチームとともに思わず顔をしかめてしまう。
ノダスからさらなる事実が明らかにされる。
「ダグライはそのデモニアの原産国だ」
「……あのクソな国ならやっててもおかしくないな」
「許せないっすね。人間をなんだと思ってんだ」
ベイマンズに続いて、ヴァンがそう吐き捨てた。
「そう、断じて許してはならない。ゆえにダグライ帝国は我々の手で粛清するのだ」
神聖王国ミロが掲げる世界平定。
その第一歩の地は、おそらくダグライ帝国に設定されているのだろう。そう思うほど聖王ノダスの目と声は決意に満ちていた。
ひとまず大まかな全容はわかったが、気になることがひとつだけあった。
「なあ、ちょっといいか。あんたら、おしのびで来てるんだろ?」
「もちろんだ。聖下の身に危険が及んではいかないからな」
「思いっきり足取り掴まれるどころか、襲われてるじゃねえか」
そう指摘したところ、キヴェールが半歩下がってうろたえていた。ルグシャラが詰め寄り、顔を覗き込むようにして迫る。
「キヴェールさん、バラしたんですかぁ?」
「な、なにを根拠に言っている! わ、わたしは違う! わたしは聖下を裏切ったりはしないっ!」
「本当にぃ?」
「我らが神シュラアハに誓う! 本当の本当だっ」
ルグシャラの執拗な詰問にたじたじになるキヴェール。兜で顔は見えないが、汗まみれになっているのがありありとわかる声の上擦り方だ。いかにもあやしいが……。
「下がるのだ、ルグシャラ。彼は信頼できる人間だ。……おそらく道中で嗅ぎつけられたのだろう」
聖王ノダスの見解は違ったようだ。
注意を受けたルグシャラが渋々離れていく。
キヴェールはというと、心底ほっとしているようだった。
「嗅ぎつけられたってことはまた来るかもってことだろ」
「たしかに充分な警戒が必要だろう」
オルティスが険しい顔で首肯した。
そばではルグシャラが「でもでもぉ」と浮かれた声をあげる。
「どうせ消えちゃうなら命の心配もいらないですよねぇ。だったら今度はもっと簡単に撃退できると思います……っ!」
実際、相手の体を気遣う必要がなければルグシャラたちなら問題なく迎撃できるだろう。ただ、関わりのない人間からすれば問題視するべき点はそこではない。
ロウがねめつけるようにノダスへと目を向ける。
「とはいえ、これはあなた方の問題だ。今回はしかたなかったが……できれば今後は巻き込まないようにしていただきたいところだ」
暗に島から出ていけと言っているようなものだ。
ただ、ノダスは〝たったひとりの英雄の力〟を欲してこの島を訪れた。その目的が果たされるまでおそらく出ていくことはないだろう。
「ま、とりあえず一旦安全になったってことで……おい、シャオ。もう大丈夫だぞー」
噴水のそばで座り込んだシャオに声をかける。
狂人たちが襲来してから、ずっとあの調子だった。
シャオの弱々しく垂れていた耳、尻尾がぴくぴくと動きだした。合わせて両膝に埋めていた顔も上げられる。と、涙目状態で怯えきった顔があらわになった。
「ほ、本当ですか……?」
「ほら、もう戦闘音も聞こえないだろ」
おそるおそる周囲を見回して確認するシャオ。
やがて安全であるとわかった途端、何食わぬ顔で立ち上がった。
「べ、べつにシャオは怯えてませんでしたよっ」
「そうだな。戦闘の邪魔にならないように隅っこにいただけだよな」
「うぅ……」
そうして軽口を叩いて弄っていると、視界の端でベイマンズが背を向けたのが映った。
「帰るぞ」
「え、あいつらぶっ飛ばさないんすかっ」
返答しないまま歩きだしたベイマンズに慌ててついていくヴァン。
聖騎士とのケリをつけなかったのは、狂人たちの邪魔が入って興がそがれたこともあるかもしれない。ただ、それ以上に狂人たちがベイマンズが忌み嫌うダグライ帝国の者だったことが大きな理由であることは想像に難くない。
そうした心情を察しているからだろう。
ロウが複雑な顔であとを追って去っていった。
「もう遅いし、さすがに俺も帰らせてもらうぜ」
アッシュは聖王と聖騎士たちの顔を見回しながら言った。
1歩前に出た聖王がその皺にまみれたまぶたを持ち上げる。
「またお伺いしてもよろしいでしょうか」
「何度来ても無駄だけどな」
そう返して、アッシュは中央広場をあとにした。
聖王登場からベイマンズチームと聖騎士のいざこざ。さらにはダグライ帝国の狂人による襲撃、と真夜中に起こった騒動はこうして幕を閉じた。
だが――。
訪れた静かな中央広場にはいつもと違って生温かく、そして肌にまとわりついてくるような、いやな空気がいまだ残っていた。





