◆第一話『聖王ノダス』
なぜそんな人物がここにいるのか。
シャオに視線で問いかけると、慌てた様子で答えが返ってきた。
「し、新人さんですっ」
つまり資格は持っているということだ。
もっとも外見からして己の力だけで突破したとはとても思えない。おそらくそばに控える聖騎士の手を借りたのだろう。
「新人、ね……人生的には大先輩だけどな」
「シャオもそう思うですっ」
ずっと思っていたことを言えたとばかりに清々しい顔をするシャオ。そうしたこちらのやり取りを見て、ノダスの護衛と思しき聖騎士が威嚇するように片足を踏みだした。
「お前たち、聖下になんと無礼なっ」
「よい、キヴェール」
聖王ノダスは護衛の聖騎士──キヴェールを制したのち、おうように口を開く。
「この島において我々が新参者であることは間違いないことだ。ミロの道理を強いる理由も、権利もない」
どうやらノダスは踏ん反り返るだけの王ではないようだ。
たしなめられたキヴェールはノダスに頭を下げたのち、居住まいを正した。かと思うや、兜の正面をこちらに向けてきた。顔が見えないのでわからないが、恥をかかされたとでも思って睨んでいるのかもしれない。
「聖下、なぜこのような場所に……」
改めてオルティスが疑問を投げかけていた。
彼の顔はノダスが現れて以降、ずっと驚愕したままだ。
「わたしもまたこの島へと導かれたのだ。真意こそいまだ鮮明にはわからぬが……ただ、来たことに意味はあったようだ」
ノダスがオルティスに続いて、いまだ怯え気味のルグシャラを見やりながら言った。
オルティスたちは〝たったひとりの英雄からミロへの協力をとりつける〟といった旨の使命を帯びているようだった。そしてその使命を果たせなかったからか、オルティスがばつが悪そうに目を伏せる。
「……申し訳ございません」
「いや、謝らなければならないのはわたしのほうだ。もとよりこれはわたし自らが行うべきだったのだろう」
ノダスがこちらの前に立つと、その深い皺を動かして目をゆっくり開いた。
瞳の色素が薄くなっている。
だが、彼自身が持つ深みからだろうか。
見ていると吸い込まれるような深淵に感じられた。
「あなたさまが英雄とお見受けしますが、間違いないでしょうか」
「……誤魔化しても無駄、なんだろうな」
返事はない。
オルティスたちがすでに目をつけていたからか。
あるいはこちらを間近にしてか、確信しているようだ。
「ただ、俺自身はそんなたいそうな呼ばれ方をするような人間じゃない」
「……名を訊いても」
「アッシュ・ブレイブだ」
「では、アッシュ・ブレイブさま。どうか我々ミロにお力をお貸しいただけないでしょうか」
それはすでにオルティスから話を聞いていることを前提とした切り出しだった。
ジュラル島という足を踏み入れるだけでも面倒な場所に来たこと。そこに聖王自ら出向いたことでどれだけ本気であるかはわかるが、だからといって心が変わることはない。
「オルティスにも言ったが、俺は戦争なんかに手を貸すつもりはない。大体、世界が滅ぶなんてどうやったらわかるんだって話だ。たしかに戦争はあちこちで起こってるけどな。それで世界が終わるわけじゃないだろ」
疑心を含め、思っていることを伝えた。
だが、ノダスには動じた様子も、また悲観した様子もない。ただ静かに目を伏せたのち、まるですべてを望むようにその顔を天へと向けていた。
「わたしには世界があげる悲鳴が聞こえるのです。たび重なる人の争いによって負の力が蔓延し、いまや世界は崩壊の一途を辿っています。このままではいつ崩壊してもおかしくはありません」
「悪いが、言葉だけじゃやっぱあんたの妄想としか思えない」
そうばっさりと切り捨てたからだろう。
キヴェールが1歩前に踏みだし、またノダスに無言で制されていた。
「あとこれもオルティスたちに言ったが、あの力はあんたたちが思ってるような神聖なものじゃない。おそらく誰が見ても〝悪〟と見るものだ」
アッシュは説明しつつ、オルティスに視線を向ける。
彼ははっと正気を取り戻したかと思うや、俯いた。つい先ほど経験したばかりの映像を思い出しているのだろう。息を呑んだのち、訥々と話しはじめる。
「たしかに彼の力は凄まじく、そして同時に恐ろしいものでもありました。あれは人の手に余るものです。我々ミロに相応しい力である、とはわたしも思えません」
「……ルグシャラの怯え方を見れば、おおよその見当はつく」
ノダスは状況を察し、納得したような声をもらした。
意外と話がわかる相手かもしれない。
そう思ったのも束の間、彼はまたしても揺るがない瞳をこちらに向けてきた。
「しかし、どれだけ強大な力であっても、それは力でしかありません。使う者、そして目的さえ正しければ、それは正義にもなりえます」
「……仮にこの力があんたの大切なものを奪った力だとしても変わらないのか」
「刃物は命を奪う道具ですが、食を紡いで命を救う道具でもあります」
「あんたの言いたいことはわかる。だが、だとしてもこれは人の手で扱いきれる〝道具〟じゃない」
応じる意志がないことをどれだけ示してもノダスには折れた様子がない。オルティスたちには《ラストブレイブ》を実際に見せることで納得してもらったが、このノダスという男には通用しないかもしれない。
そうして睨み合いにも近い、緊迫した空気が辺りに満ちはじめたときだった。
「あ、あの~……シャオ、帰ってもいいでしょうか」
シャオがおそるおそる手を挙げた。
ノダスとの話に夢中ですっかり忘れていた。
「いいんじゃないか。見たところ挑戦者として来たわけじゃないみたいだしな。もしなにかわからないことがあってもご友人がたくさんいるから問題ないだろ」
「……申し訳ない、案内人殿」
聖王が軽く頭を下げ、キヴェールもそれに倣う。
と、シャオが慌てて両手を胸の前でブンブンと横に振った。
「いえいえっ、いいのですいいのです。これも立派ななんでも屋……ではなくて案内人への道ですから。ただ眠いのでここはお言葉に甘えて帰還させていただきま――」
「お、あそこにいるのアッシュじゃねぇかっ」
シャオの言葉を遮るように覚えのある声が聞こえてきた。
声のほう――東側通りに目を向ければ、見知った3人組の男が映り込んだ。大柄な戦士に、小柄な戦士。そしてローブ姿のすらっとした魔術師。
《レッドファング》幹部のベイマンズチームだ。ロウ以外はすでにできあがっているのか、上機嫌な足取りだ。彼らは噴水広場へと入り、完全に脱出する機を逃したシャオを避けて前までやってきた。
「よぉ、アッシュ。こんな遅い時間になにしてんだ? てか、こいつらなんだ? 見たことない顔ばっかだが、新人か?」
「あ~、悪いがいまちょっと取り込み中だ」
というよりできれば《レッドファング》の面々とは遠ざけたかった。理由はもちろん、オルティスとルグシャラがダリオンを大衆の前で完膚なきまでに叩きのめしたことがあるからだ。
ただ、さすがにここまで接近されれば気づかれずにやり過ごすなんてことはできなかった。目ざとく気づいたヴァンが「あっ」と声をあげた。
「こいつら……ダリオンをのした奴らっすよ!」
「……噂の聖騎士たちか。だが、聞いていたのは2人だったはずだが」
ロウが鋭い目つきで聖王含むミロ出身の者たちを睨む。
「不意打ちじゃねえって話だし、あいつら自身も手を出されることを望んでなかった。俺たちも子どもの喧嘩に出しゃばるつもりはなかったが……俺もあいつらの親って立場なんでな。こうして出会っちまったらおめおめと笑顔で別れるなんてことはできねぇよな」
ベイマンズが背から2本の小斧を抜き、構えた。
先ほどまでの酔いどれの顔はどこにもない。
完全に戦士の顔だ。
「聖騎士だかなんだか知らねぇが、強い奴を探してるって話だったな。だったら俺が相手になってやるぞ」
「付き合いますよ、ボス。俺も弟分に手を出された手前、放っとくわけにはいかねえっすからね」
ヴァンもまた短剣――レリックを抜いた。
その鋭い切っ先をオルティスたちに向け、戦闘態勢に移る。
「この人たちはべつに怖くないので……お口直しに使わせてもらいます……」
ルグシャラがゆらりと立ち上がり、オルティスとともに身構えた。
いまにも荒れそうな光景を前に、アッシュは思わずため息をついてしまう。
「……やっぱりこうなるか」
どうにかならないか。
そんな思いを込めて試しにロウに視線を送ってみたが、無理だとばかりに首を振られた。
あまり知人同士が争うところを見たくはないが、非があるのは完全にオルティスたちだ。こればかりは介入しようがない。
「どうやら手荒い真似をしたようだな」
ノダスも事情を察したようだ。
厳しい目をオルティスたちに向けていた。
「おい、そこの爺さん。怪我したくなかったらどいてろ」
「じ、爺さんっ!? このお方をどなたと――」
ベイマンズの発言にキヴェールが裏返った声で反応した、その瞬間。
南側から荒い足音が聞こえてきた。
数は2……いや、3か。
どれも尋常ではない速度だ。
見つけた知人に駆け寄るなんて呑気なものではない。
これは間違いない。
――いまから戦闘へと臨む音だ。
アッシュは剣を抜きながら振り向く。
「全員、構えろッ!」





