◆第七話『景色の流れ』
翌朝、アッシュはひとり中央広場を歩いていた。
目的地はウルの家だ。
一昨日に訪ねたときの様子からして出てきてくれる可能性は低い。だが、だからといってなにもしないという選択肢はなかった。
それに本日チームの活動は休み。
最悪一日中でも粘る覚悟はある。
北側通りを目指して噴水広場を突っ切ろうとしたとき、少し先のベンチに小柄なミルマが座っているのを見つけた。色素の薄い髪に丸まった背中……。
間違いない。あれはブランだ。
彼女は足をぶらぶらと揺らしながら噴水をじっと眺めている。
「珍しいな、こんな時間に外にいるなんて」
そう声をかけながら、アッシュはブランの前に立った。
早朝に《トットのパン工房》で並ぶ姿を見かけることはある。だが、それ以外はほとんど見ない。いつ買い物をしているのかと思うほどだ。
「あたしがいなくてももう宿は回るからね。こうして暇をつぶしてるのさ」
いきなり声をかけたというのにブランに驚いた様子はなかった。そればかりかひどく落ちついている。
このままウルのところに行くつもりだったが……せっかくの機会だ。ブランと少しだけ話したい。
「隣、座らせてもらうぜ」
そう断りを入れてベンチに腰を下ろした。
ブランが身をそらし、警戒した素振りを見せる。
「やっぱりあんた、あたしまで狙って――」
「それもありかもな」
「……冗談に乗るんじゃないよ」
調子が狂ったのか、ブランが困惑気味に顔をそらした。かと思うや、彼女はそこから流れるように周囲の景色を見つめだした。
深い皺で縁取られたその目はどこか遠いところを見ている。長い年月を生きてきたミルマだ。もしかすると見えている景色が違うのかもしれない。
「島の建物はミルマが造ったって話だけど、やっぱいまと昔じゃ大分違うのか?」
「違うもなにも別物だよ。ほとんどが建て替えや改装してるからね。あの《ベヌスの館》だって何度も改装してるぐらいさ」
「まったく想像がつかないな」
ずっと昔から変わっていないのでは。
そう思ってしまうほど中央広場の景色は洗練されている。だが、やはり中央広場にも〝ときの流れ〟はあったのだ。
「いまじゃ挑戦者に人気な《スカトリーゴ》やあんた行きつけの豚の酒場だってまだなかった。ま、島全体で見てもずっと残ってるのは数えるぐらいさ」
「《ブランの止まり木》はそのうちのひとつってわけか」
あの宿がどれだけのときを生きたかは知らない。
ただ、あの老朽具合からしておそらく改装も間に挟んでいないだろう。
ブランは少しだけ寂しげな顔を見せつつ話を続ける。
「建物だけじゃない。人の景色ってのも変わったよ。来るのは血の気の多い奴ばかり。それはもう、あちこちで喧嘩が起こっていたもんさ」
決して平和な記憶ではない。
だが、語るブランの顔はどこか誇らしげで楽しそうだ。
「それがアルビオンって奴らが出てきてから減っていってね」
「思想はあれだったが、一応治安の維持には貢献してたからな」
「ただ、ピリピリと張りつめた空気は好きじゃあなかったけどね」
「いまはどうなんだ?」
そう問いかけると、ブランが再び周りを見はじめた。顔のあちこちに刻まれた皺をいっそう深くし、ふっと柔らかく微笑む。
「悪くはないね」
言葉だけ見れば手放しで褒められたものではない。ただ、あの素直ではないブランの口から発せられたのだ。間違いなく最大限の賛辞だった。
「変わりはじめたのはあんたが来てからだよ」
「買ってくれるのは嬉しいが、俺にそこまでの影響力はないぜ」
「きっかけってのはいつだって小さなもんさ。あんたから始まって色んな奴が動いた。そして島の空気が変わった。そんなもんだよ」
ブランからこんな風に言われたことは初めてだ。
アッシュはにっと笑いながら応じる。
「素直に受け取っとくとするか。俺はブランさんと違って頑固じゃないからな」
「ふんっ、その生意気っぷりだけは相変わらずだね」
そう悪態で返してきたかと思えば、ブランはすぐに毒気を抜いた。
「けど……あの子がすぐに懐いてたのも頷けるよ」
ぼそりと呟かれた言葉。
ブランは付き合いが少ない。
ウルのことを言っていると気づくのは容易だった。
「なあ、これからウルのところに行くつもりなんだが、一緒に会いにいかないか? ブランさんが来てくれればウルも出てきてくれるかもしれない」
「余計、出てこなくなる気がするけどね」
「わかってるんだろ。どれだけウルがブランさんを慕ってるか」
ブランがもどかしげに顔を歪めた。
彼女にとってウルが大切な相手であることは間違いない。
そしてそれは逆も然りだ。
「……だとしても、あたしの柄じゃないよ」
「柄とかそういうの、気にするときじゃないだろ」
「あたしはこの生き方を貫いてきた。いまさら変えられはしないよ」
不器用にもほどがある。
どうにかして説得しようとするが、まるで逃げるようにブランはベンチから立ち上がった。振り返らずに、さらりとその言葉を告げてくる。
「少し早いが、明日には島を出るよ」





