◆第五話『宿の記憶』
「なにしにきたんだい」
目が合うなり、威嚇するような声が飛んでくる。
どう見ても歓迎されているとは思えないし、実際にその可能性が高い。ただ、彼女の場合はこれがいつものことだった。
翌日の昼下がり。
塔での狩りを終えたのち、アッシュはひとり《ブランの止まり木》を訪れていた。
苦笑しつつ、近くの椅子に腰を下ろす。
「そんな顔じゃ入ってきた奴、みんな引き返すぜ」
「客でもない奴に振りまく愛想はないよ」
「客だったときも変わらなかった気がするけどな」
「そうかい。昔はあたしの声を聞くだけでも喜ぶ奴はいたんだけどね」
「その話は嘘だったんじゃないのか?」
ふんっ、とブランが鼻を鳴らした。
開いていた本を上げ、いつものように顔を隠してしまう。たとえ本当だったとしても彼女の口からたしかめるのは容易ではなさそうだ。
「そういやクゥリは?」
「屋上で洗濯物を取り込んでるよ」
ブランから学ぶことを〝無駄〟と口にしていたので心配だったが、どうやら順調に仕事をこなしているようだ。
アッシュはそばのテーブルに頬杖をつきつつ問いかける。
「ブランさんから見てクゥリはどうなんだ? ここ数日、一緒に活動した印象でいい」
「なんでも器用にこなして覚えも早い優秀な子だ。ちょっとばかし愛想がないけどね」
「愛想がないって……ブランさんに言われたら終わりだな」
「うるさいね」
ジュラル島において、もっとも愛想がないミルマはブランとアイリスだ。ただ、アイリスの場合はほかの挑戦者やミルマに愛想を振りまくことがある。となれば、やはりブランの単独首位といったところだろう。
そんなことを考えていると、こつんと音がした。
どうやらブランが両手で開いた本の角が受付台に当たったようだ。
「……あの子はどうしてるんだい」
おそらくウルのことを訊いているのだろう。
他人のことなんてどうでもいいなんて素振りを見せていながら、ちゃんと気にかけているのだ。
アッシュはわずかな嬉しさからつい口元を緩めてしまう。
「やっぱ気になるのか?」
「ただ、ふと思いだしただけだよ。べつに深い意味はない」
相変わらず素直ではない。
アッシュは頬杖を外し、背もたれに身を預けた。
いまも家でこもっているウルのことを考えながら答える。
「たぶんブランさんが思ってるとおりだ」
「仕事を休んでることは耳にしてたけどね」
「一応、家まで行ってみたんだけどな。まるで反応がなかった」
そう伝えたところ、ブランが本の両端を掴んだ手をわずかに力ませた。言葉が素直ではない反面、こうしたところに出やすいようだ。
「そういや昔、ウルのことを助けたんだってな」
「……誰から聞いたんだい」
「アイリスだ」
文句を言いたげに本から顔を覗かせた。
かと思うや、苦い顔をしてまた引っ込んでしまった。
ブランとアイリスの関係性がよくわからない。
ただ、あまり突っ込んで訊けるような空気ではなかった。
「その話を聞いたときは、なんだかんだ優しいとこあるんだなって思ったぜ」
「あのときは人手が欲しくてね。ただの気まぐれさ」
これほど小さな宿だ。
人手が欲しかったと聞いてもまるで説得力がなかった。
ふと木の軋む音が聞こえてきた。
見れば、2階から大きなかごを両手で持ったクゥリの姿が映った。洗濯物が一杯に入っているせいか、階段を下りる足取りはひどく頼りない。
アッシュはすぐさま立ち上がり、彼女のもとに歩み寄った。こちらに気づいたクゥリが顔をあげ、目をぱちくりとさせる。
「あなたは……」
「よ、邪魔してるぜ」
そう挨拶をしつつかごに手を伸ばす。
が、すっと下げられてしまった。
「大丈夫です」
かごに揺られながら、ゆっくりと下りていくクゥリ。
横着するようなこともなく、無事にブランの前まで辿りついた。
「洗濯物を取り込み終わりました」
「奥に運んどいておくれ」
「はい。あの、2階の3号室と4号室前の壁の塗装がはがれていました。2階の手すりも幾つか削れて脆くなっています」
「知ってるよ」
「ほかにも痛んでいる箇所はたくさんあります」
「なにせ長いからね、この宿も」
ブランが気にも留めていない態度をとったからか。
クゥリが眉をひそめ、かごを持った手をぎゅっと握った。
「なぜ建て直さなかったのですか? 申請すれば費用は出るはずです」
「あたしの勝手だろう」
「この仕事ぶりはミルマとして不適切です」
クゥリが切り揃えられた前髪の下、切れ長の目をさらに鋭くした。ウルやシャオの可愛い顔立ちとは違い、アイリスのような美人寄りの顔立ちとあって凄みがある。
ただ、そんな顔を向けられてもブランは平然としていた。
「したいならすればいい。ただし、あたしがいなくなったあとにね」
「そうさせてもらいます」
クゥリがわずかに頬を膨らましながら、ブランのそばをとおって受付の奥へと入っていった。ブランが本に目を向けたまま声をあげる。
「次は買出しにいってもらうよ。リストはいるかい」
「すでに覚えているので必要ありません」
「そうかい」
再び奥から出てきたクゥリの手には買い物かごが握られていた。
質素気味とはいえ、挑戦者4人分。
そしてミルマ2人分の食材が必要となるのだ。
少なくない量となるだろう。
「荷物持ちってことでついてってもいいか?」
「これはミルマの仕事です。必要ありません」
ついでにクゥリと話せればと思ったが、あっさりと断られてしまった。ただ、予想外なことにブランから援護が飛んできた。
「いいじゃないか、連れていっても」
「……それは命令ですか?」
「あんたが満足するならそれでいい」
いったいどういう風の吹き回しなのか。
ただ、ブランのおかげで口実ができた。
ひどく不満げにこちらをじっと見てきたのち、宿を出ていくクゥリ。その小さな背中に続いてアッシュは歩きだし、肩越しにブランへと告げる。
「そんじゃ、ちょっと行ってくる」





