◆第十五話『焦がれた力』
「こっちだッ! 俺は生きてるぞッ!」
レオの前に立っていた敵がおもむろにこちらへと向いた。ゆらりと体を倒すようなしぐさから輪郭がぶれ、気づいたときには目前まで接近。剣を薙いでくる。
そのおそろしい速さに戦慄しつつ、アッシュは前方へと頭から飛び込んで回避。落ちていたレオの長剣を手に取り、受身を取ってすぐさま起き上がった。背後から迫る死の気配に体が反応し、振り返りざまに剣を振る。
やはり敵の剣はすでに振り下ろされていた。大剣とは思えないほど鋭く、静かな剣筋。まともに受ければ押し潰されることは間違いない。外側へといなすが、それでも少なくない衝撃が抜けてきた。
両腕だけでなく肩までしびれ、思わず顔を歪めてしまう。だが、敵はしびれが収まるまで待ってはくれない。羽根を振るかのような軽やかさで次なる薙ぎを繰りだしてきた。
回避も、いなす余裕もない。
逆立てた剣をなんとか割り込ませるだけで精一杯だった。
目に見えていた光景が線となって流れ、遅れて全身へと衝撃が襲いくる。自分がいまどんな体勢なのかはわからない。わかるのは地面の上を凄まじい勢いで跳ね転がっていることだけだ。
やがて勢いが止まり、視界も固定される。
敵が王の貫禄を見せつけるかのように、マントをなびかせながらゆったりとした足取りでこちらへと歩いてきている。
気絶してもおかしくない一撃だった。
だが、自分の意志で長剣を振れたという事実が意識を繋ぎ止めてくれていた。
「はは……ようやくだ……ようやく……」
歓喜のあまり体に感じていた痛みが飛んでいた。
――また剣を振りたい。
その一心で再び立ち上がろうとした、そのとき。
心臓をわしづかみされたような痛みが襲ってきた。さらに体の皮膚が呻き、筋肉がうねり、骨が疼きはじめる。体中が暴れているような感覚だ。
以前、《アイティエルの鎖》をつけて長剣を持ったときと同じ症状だった。異様な速さを見せる心臓の鼓動から伝播するように視界がちかちかと明滅し、思考が途切れ途切れになりはじめる。
さらに眩暈にも近い感覚に見舞われたとき、胸中にどす黒い感情が湧きあがった。呼応するように脳裏に黒と赤ばかりで彩られた幾つもの光景が凄まじい速さで流れはじめる。
まるで絵の具をこぼしたようなものばかりではっきりとはわからない。ただ、そこにはたしかな怒りや憎しみ、悲しみが蔓延していた。
――殺せ。生きるものすべてを殺し尽くせ。
脳へと直接響いた声に促されるように、アッシュはいま一度立ち上がった。
こちらの復帰に反応したのか、天使の王が再び目にも留まらぬ速さで接近し、斜めに大剣を振り下ろしてくる。
――立っているのはただひとり。自分だけでいい。
胸中を支配する感情に身を任せ、振り上げた剣で力任せに弾き返そうとした、そのとき。憎悪に満ちた己の顏が剣身に映り込んだ。
「ッ!」
アッシュは足をしかと踏み込み、敵の大剣を受け流した。勢い余った敵の大剣が地面に食い込み、大きな亀裂を作り出す。
わずかな硬直の隙を狙い、長剣を突き出す。が、いつの間にか引き戻された大剣によって弾かれてしまう。
がら空きになった懐を攻められる前にアッシュは素早く後退、敵を牽制するように深く腰を落として身構える。
敵との接近を望んでか、いまにも足が駆けだそうとしていた。アッシュは思い切り歯を食いしばり、己の足をその場にとどめる。
「黙ってろよ……」
いまも暴力的な感情が全身を駆け回り、敵を殲滅しろと命令してくる。強く抗えば抗うほど全身を締めつけられるような感覚に見舞われていく。
敵がゆらめくように駆けだし、瞬く間に距離を詰めてきた。すでに振られた大剣がこちらの脳天をかち割ろうと迫ってきている。
抵抗を続けているせいか、体は固まったように動かなかった。このままでは死しか待っていない。いまも囁いてくる負の感情に身を任せれば楽に敵を倒せるだろう。だが、それでは意味がない。
与えられた最強の力ではない。
求めるのはただひとつ。
この身が築き上げてきた力。
そして己の意志で振れる、剣。
「これは俺の体だ――――ッ!」
アッシュは咆哮とともに地を踏みしめ、腰を落とした。
すでに頭上まで迫った大剣へと長剣をそえ、下方へと流しながら体の位置をなめらかにずらす。すぐそばの地面に激突した大剣が轟音を響かせる中、前へと駆け抜け、すれ違いざまに敵の横腹を裂いた。
血は出ていない。
だが、王の口から初めて呻き声が漏れた。
激情したかのように敵がすぐさま追撃をしかけてくる。繰りだしてきたのは、その身ごと1本の矢と化したかのような豪快な突きだ。相変わらずの凄まじい移動速度だが、すべてがくっきりと見えていた。
敵の大剣の切っ先へと、長剣の切っ先をわずかにずらして接触。大剣の刃先をなぞるように前へとすべらせ、敵の側面へとつけた。左肩、太腿を刻み、その硬質な肌に傷をつける。
敵が瞬時に引き戻した大剣で薙ぎを放ってきた。敵との膂力の差を考えれば純粋な力勝負は愚策だ。ゆえにいなす方向での戦闘を選んだが、それ以外ができないわけではない。
アッシュは傾けた長剣をもぐりこませ、敵の大剣を上方へとそらした。耳をつんざくような鋭い接触音が響く中、互いの剣身の接触点がちょうど中央に達する。
瞬間、力任せに敵の大剣を大きく弾き上げた。敵が大剣を掲げたような格好になり、懐ががら空きになった。そこへ飛び込み、胸部に突きを見舞って即座に離脱する。
勢いよく振り落とされた敵の大剣が空振りに終わり、地面へと激突。大きな亀裂を作り上げていた。その光景を目にしながら、アッシュは息を整える。
足も手も思ったように動く。
そこに制限はいっさいない。
――これだ。これが俺の剣だ。
いつの間にか暴走していた鼓動が収まっていた。
体を苛むうずきも消え失せていた。
残っているのは熱のみ。
ただ、これは《ラストブレイブ》と《アイティエルの鎖》のせめぎ合いから生じたものではない。長年、待ち焦がれていた得物との再会に体が、心が興奮しているのだ。
再び敵との接近戦が始まった。敵の豪快ながら静かな攻撃を躱し、いなしては一撃を入れ、離脱を繰り返す。いまと長剣を持っていないときとでは見える世界が違った。
昔からそうだった。
長剣を持てば驚くほど体が軽くなった。
戦闘中でありながら視野が広くなった。
もう負ける気がしない。
敵の大剣を弾き、またも胸部へと一撃を加えた。通常の人間であれば間違いなく致死に値するが、天使の王はしかとその場に存在している。
だが、これまでの少なくない損傷を与えたことが影響したか。王の猛りにあわせて周囲の地面に幾つもの魔法陣がそこかしこの地面に描かれた。すぅっと引き上げられるようにして50体の天使たちが出現してくる。
どれも近接ばかりだ。
ただ、厄介な種類が混ざっていた。
剣型が20、槍型20。
そしてハンマーを持った巨体の天使10体――。





