◆第八話『悪戯の仕返し』
シビラの部屋をあとにし、アッシュは中央広場をうろついていた。
委託販売所で相場確認をしたり、試しに武器に10個目のオーバーエンチャントを試して失敗したり。雑貨屋や野営道具専門店の《クルミン》も覗いてみたり。
いまや習慣となったことをこなしていると、ルナとラピスとばったり出会った。2人とも衣服でも買っていたのか、手に提げた袋がふくらんでいた。
「よっ」
「彼女の料理、どうだったの?」
ラピスが開口一番にそう訊いてきた。
無表情ながら目が少しだけ細められている。
「美味かったぜ。思っていた以上にな」
「……そう」
目をそらし、そっけなく答えるラピス。
ほんのりと頬がふくらんでいるように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
そんな彼女をよそに、ルナが顔を覗き込むようにして訊いてくる。
「ボクの料理とどっちが美味しかった?」
「それを訊くのはちょっと勘弁してくれ」
「ごめん、ちょっと意地悪だったね。でも、対抗意識が湧いてきたから今日は頑張っちゃおうかな」
そうして得意気かつ挑戦的な笑みをルナが浮かべたとき、傍らでラピスが決意するようにぐっと片手に拳を作った。
「わたしも今日は少し手伝いを――」
「するなら簡単な料理に切り替えだね。って、そんな泣きそうな顔しないでも」
「な、泣いてなんかないわ。ただ、わたしだって頑張れば少しぐらい……」
いまでは2人もすっかり仲良しだ。
あまり他人とつるんでこなかったラピスなだけに、チームに入ったばかりの頃は打ち解けられるかと心配していたが、いまでは杞憂だったとはっきり言えるほどに馴染んでいる。
そんな微笑ましい光景を目にしつつ、アッシュは視線を辺りに巡らせた。いつもはいるはずの人物がどこにもいない。
「……そういやクララは一緒じゃないのか?」
「アッシュが出かけたあと、ひとりでどこか行っちゃったわ」
「マキナのところか」
「かもね。夕食はいいってことだけ聞いてる」
どうやらはっきりとは行き先を伝えていないらしい。これまで外泊するときは〝マキナのところに泊まる〟と聞いていただけに少し気になった。
「クララの奴、最近変じゃないか?」
「変って……具体的にどう変なの?」
ラピスが小首を傾げながら問い返してくる。
「いや、前はなんかべったりだったろ。それが最近はなんかよそよそしいからさ」
「早くも兄離れが訪れたんじゃないの」
「それならそれでいいんだけどな」
今度はぎこちなく感じるほど距離があいていた。
もとに戻るならまだしも――本当に不可解な反動だ。
ルナがきょとんとしながら上目遣いを向けてくる。
「アッシュ、もしかして寂しいの? なんだったらボクが代わりにくっついててあげよっか。ご希望ならクララみたいに夜も一緒にベッドで――」
「……ルナ?」
「おっと」
ラピスの牽制するような目を受け、ルナが両手を挙げて一歩引く。
完全に言葉を介さずに意思疎通していた。
2人のやり取りに怪訝な目を向けると、ルナがにこっと微笑み返してきた。
「なんでもないよ」
「女同士の秘密」
続いてラピスもそう答える。
2人の間でなにか取り決めのようなものができているようだが……なにか疎外感のようなものを覚えてやるせない気分になった。
「ま、クララのことに関しては、心配いらないと思うけどね」
安心させようとしてか、ルナが笑みを向けてくる。
彼女がそう言うなら本当に心配はいらないのだろう。
だが、自分が深く関わっている気がするからか。
どうしても放っておく気にはなれなかった。
――あとでマキナのところにでも様子を見にいってみるか。
女同士の集まりを邪魔するつもりはない。
ただ、いまはクララの無事を確認したい気持ちが強かった。
「さ、荷物持ちも来てくれたことだし、ついでに夕食の買出しもすませちゃおっか」
◆◆◆◆◆
「誰かな~。こんな時間にくるのは~。ユインちゃんかな~」
呼び鐘を鳴らしてから間もなく扉が開けられた。
中から出てきたのは寝衣姿のマキナだ。
普段は髪を片側で結っている彼女だが、いまは頭のてっぺんでまとめ、額をあらわにしている。そうした格好や髪型のためか、心なしかいつもよりあどけなく見えた。
「ま、まさかアシュたんが夜這いにくるなんて……っ」
こちらを見るなりマキナが目をぱちくりとさせた。
口もあんぐりと開け、ひどく間抜けな顔になっている。
「悪いな、こんな時間に」
「ぶーぶーっ、ちょっとぐらい乗ってくれてもいいと思うんだけどー。わたしだって女の子なんですけどー」
唇を尖らせ、抗議してくるマキナ。
アッシュはため息をついたのち、抑揚なく言う。
「そうだな、夜這いしにきた」
「やーん、アシュたんってば。たしかにソレイユいち、いやっ、ジュラル島いち可愛いわたしを狙うのはわかるけど、でも、わたしはそう軽い女じゃあないよっ」
「それでクララの奴、来てないか?」
「んーん、来てないよー」
わずかでも冗談に付き合ってもらえて満足なのか。
マキナは何事もなかったかのように切り替え、平然とそう答えた。
「どうかしたの?」
「いや、昼からずっと戻ってなくてな。マキナのところに来てるもんだと思ってたんだが……ほんとどこ行ったんだ」
「あー……」
「なにか知ってるのか?」
「へっ!? あ、あぁ~……とくになにも聞いてない、かな」
目が泳いでいるうえに声も上ずっている。
「……本当か?」
「うんうん、ほんとほんとっ」
「誤魔化すの下手すぎるだろ」
「うっ……知らなくはないけど、でも、このマキナ。ララたんの親友として教えるわけにはいかないねっ」
隠すのは無理だと判断したようだ。
かかってこいとばかりにマキナが胸を張る。
寝衣姿のせいで決して小さくはない彼女の胸がうっすらと確認できていた。わずかに服を押し上げながら、たゆんと揺れている。……彼女の様子からしても、あえて見せているわけではないらしい。
ひとまずクララの行方をマキナが知っているとわかってほっとした。行き先を知りたいところだが、それがわかっただけでも充分だ。そう思っていたのだが……。
「まっ、ど~~~~してもこの口を割らせたいってんなら、ちゅーでもしてみるんだね。そうしたらぺらぺらーっと喋っちゃうかも」
調子に乗りはじめたマキナを見て、悪戯心が湧いてきた。
アッシュは一歩踏み込み、マキナの左手を取る。
「そうか、キスか」
ばたんと後ろで扉が閉まる中、彼女の腰に左手を回し、ぐいと引き寄せた。小柄なこともあって細い腰だ。肌触りのよい寝衣越しに彼女の体温もほんのりと伝わってくる。
「え……? あ、あの……アシュたん? ちょっと本気デスカっ!?」
流れるように近づいたからか。
マキナはなにがなんだかわからないといった様子で混乱している。
「キスで口を割るんだろ?」
「い、いや、たしかにそうは言ったけど、ね? ほら、ほんの冗談で……って、う、嘘でしょぉぉ……」
懸命に弁明するマキナの声は次第に弱まっていった。
ぷっくりとした瑞々しい唇。
くりんとそった長いまつげ。
儚げに揺れるうるんだ瞳。
そこにはもう普段の破天荒な彼女の姿はない。
ついには互いの吐息までをも感じられるほどに唇が近づいた。マキナが体を強張らせ、目もぎゅっと閉じようとした、瞬間――。
「こっちも冗談だ」
アッシュは顔と手をぱっと離した。
マキナはどうやら腰を抜かしてしまったらしい。
壁にふらふらともたれかかり、ずるずるとすべり落ちていった。ぺたんと床に尻をつけたまま、呆けた様子で胸を押さえている。
「いつもは自分からけしかけてくるくせに、いざとなったらこれかよ」
「あ、あれは酔った勢いだよっ!」
そう声を荒げるマキナだが、いまだ顔は赤いままだ。
「それに女の子とちゅーしたことはあるけども……男としたことは……ないし」
「じゃあ、今後は男相手にそういう態度はやめとけ。そのうち痛い目見るぞ」
マキナが俯きながらこれでもかというほど頬を膨らませた。しまいには脚を引き寄せ、膝に顔を埋めてしまう。完全に拗ねてしまったようだ。
……少し悪戯が過ぎたらしい。
「今日はいきなりきて悪かった。そんじゃ、またな」
そう言い残し、アッシュは部屋をあとにした。
暗く静まった通りを歩き出してからすぐに後ろで慌しく扉が開く音がした。振り返る間もなく、先ほどまで聞いていた声が飛んでくる。
「人を選んでやってますから大丈夫ですよーだ! アシュたんのば~~かっ!」
最後の最後で仕返しをされた気分だ。
アッシュはふっと笑みをこぼしたのち、手を軽く挙げて別れを告げた。





