◆第九話『懐かしき再会』
翌朝。
アッシュはクララ、ラピスとともに《トットのパン工房》へと向かっていた。
隣を歩くラピスの目はぱっちりと開いている。
背筋もぴんと伸びて早朝であることを感じさせないほど凛としている。
反対に、少し後ろからのんびりついてくるクララは凄まじく腑抜けていた。いまも「ふわぁ」とあくびをもらし、目尻から涙をこぼしている。
「昨日は遅かったな」
「う、うん」
「どこ行ってたんだ?」
「それは……秘密」
クララが顔をそらしながらぼそりと言った。
後ろめたいことがあるのは明白だ。
「危ないことをしてるわけじゃないならいいんじゃないの」
ラピスがクララのほうをちらりと窺いながらそう擁護した。しかし、それがクララにとって都合が悪かったらしい。「うっ」と渋い顔をしていた。
ラピスの目が鋭く細められる。
「してるの?」
「た、たぶんみんなが思ってるような危ないことじゃないから……大丈夫」
俯きながら困ったように答えるクララ。
ただ、危険があることは否定しなかった。
とはいえ、マキナも容認している様子だったし、本当にそこまで危険ではないのだろう。
「アッシュ、心配してたのよ。夜も捜しにいってたみたいだし?」
「おい、ラピス」
べつに知られて困ることではない。
ただ、最近はクララから少し避けられていることもあり、過保護とも言える行為は嫌がられるかもしれないと思ったのだ。
「そうなんだ…………ありがと」
だが、クララの反応は意外にも素直なものだった。
先ほどよりもさらに俯いてしまって表情はよくわからないが、声音から察するに嫌がっている様子はない。
「以前より治安はよくなってるけどな。まだ夜は安全ってわけじゃないんだ」
「うん、わかってる。でも大丈夫だよ。あたしだっていつまでも子どもじゃないから」
――まだまだ子どもだ。
いつもならそう言い返していただろう。
だが、クララが強い覚悟を持って発言したことがしかと伝わってきたこともあり、言葉を呑み込むほかなかった。
話しているうちに森林地帯が終わりを告げ、中央広場に辿りついた。樹冠によって防がれていた陽光が一気に降り注いでくる。
馴染みの店、《スカトリーゴ》と同じ東側通りに店を構える《トットのパン工房》。その前にはいつもどおり多くの挑戦者やミルマによる人だかりができていた。
ふと、その中に見知ったミルマ――ウルがいるのを見つけた。どうやら彼女もこちらに気づいたようだ。尻尾を振りながら、朝の陽射しに負けないほど明るい笑顔を向けてくる。
彼女はとくに並んでいたわけではないのか。
人だかりから離れてこちらに駆け寄ってきた。
「おはようございます、みなさん。ここで待っていれば会えると思ってました」
「ああ、おはよう。会えるってなにか用事でもあるのか?」
「それがですね……」
ウルはクララのほうをちらりと見やったのち、言う。
「アッシュさんとクララさんにお会いしたいという方がいらしたので呼びにきたのですっ」
◆◆◆◆◆
「悪いな、こんな早朝に。昨日の夜にはついてたんだが、時間が遅くてな」
その人物は海を望みながら桟橋に座っていた。
軽快な動きで立ち上がり、彼は振り返る。
「久しぶりだな、アッシュ」
ルーカス。
挑戦者としてジュラル島に潜り込み、クララの監視をしていた男だ。
飄々としたところは以前と変わらない。
だが、刃物のように鋭かった空気感は幾らか薄らいでいるような気がした。
「それと姫さんも」
クララがびくっと体を震わした。
ささっと背中の後ろに隠れてくる。
いまは安心だとしても一度は命を狙ってきた相手だ。無理もない。
苦笑いを浮かべるルーカスにアッシュは言う。
「まさか呼び出し人がルーカスだったとはな」
「驚いてもらえてなによりだ」
「生きてここにいるってことは上手くいったんだな」
「ああ。おかげで俺は大金を手に入れて人生豪遊中だ」
おどけたように言うルーカス。
クララ――もと王女暗殺による報酬を受け取ったということだろう。
ただ、そのわりにはあまりいい身なりをしていないのが気になった。身に纏っている外套こそ上等のようだが、放浪者の域を出ない。
「それで、どうかしたのか? なにかあったのか?」
「べつにこれといって用事はない。ただ近くをとおる用事があったからよ。ウォレスのおっさんからついでに姫さんの様子を見てきてもらえないかって頼まれてな」
ウォレスは、両親亡きあとのクララをかくまってくれたバルバド公の臣下だ。クララのお目付け役であり、育ての親と言っても間違いないだろう。実際、クララもそれほど信頼を寄せていた相手だった。
「見た感じ、元気そうだな」
クララの様子を確認しながら、ルーカスは柔らかな笑みを浮かべた。それから視線を上げ、島にそびえるすべての塔をぐるりと見渡す。
「どこまで昇ったんだ?」
「いまは最高で赤の81階だ」
「…………冗談って感じじゃなさそうだな」
きょとんとしながら聞き返してくるルーカス。
予想どおりの反応に、アッシュは思わず得意気に笑んだ。
「ま、思いっきり苦戦中だけどな」
「それでもすげぇよ。前人未踏の領域だろ」
「仲間に恵まれた結果だ。当然、クララも頑張ってくれてる。ってか、クララがいなかったらここまでこられてないだろうしな。……俺の、俺たちの大事な仲間だ」
ウォレスに伝えるための世辞ではない。
本心からの言葉であり、また事実でもあった。
「……アッシュくん」
肩越しに振り返ると、クララが目をぱちくりとさせていた。表情は驚いているようだが、心なしか喜んでいるようにも見える。
ルーカスが、「へぇ」と感心したような声をもらした。
「実はな、姫さんの様子次第でウォレスのおっさんが連れ戻すって言ってたんだよ」
「連れ戻すっても、クララは外で生きるの厳しいだろ」
「それも承知でどっかに身を隠すってことだろう。けどま、心配なさそうだな」
そうルーカスが言い終えたときだった。
「あたしは大丈夫、だから!」
クララが前に歩み出て、大きな声を張り上げた。
いきなりのことにルーカスも驚いたようだ。
目を見開いていたが、しばらくしてふっと笑みをこぼした。
「わかった。そう伝えておく。それからこいつは伝言ってわけじゃないんだが……」
どうやらクララにだけ聞かせたいことらしい。
アッシュは目配せを受け、1歩下がる。
それを機にルーカスがクララになにかを呟いた。
直後、「っ!」とクララが声にもならない声をあげた。なにやら顔だけでなく耳の先まで真っ赤になっている。
「へへっ。ま、そういうことだ。考えてやっといてくれ」
ルーカスは悪戯が成功したとでも言わんばかりに笑っている。
「なにを言われたんだ?」
「ア、アッシュくんは知らなくていいからっ!」
全力で拒まれてしまった。
いまだかつてないほどの必死っぷりだ。
いったいなにを言われたのか。
ひどく気になるが……クララの口から聞ける日はこなさそうだ。
「そんじゃさっさと帰るとするか。これでもあんまり暇じゃないんでな」
ルーカスは身をひるがえすと、そばで待っていた船に乗り込んだ。「出してくれ」との声を受け、船頭が櫂をこぎはじめる。
別れを惜しむ隙も与えない。
なんともルーカスらしい流れるような動きだった。
「応援してるぜ、アッシュ」
「また来いよ。次に来るときまでには100階に辿りついておく」
「相変わらずの大口だな。ああ、楽しみにしとくぜ。……じゃあなっ」
最後に勝ち気な笑みを残し、ルーカスはこちらに背を向けて座り込んだ。船頭が櫂をこぐ動きはゆったりとしているが、相反して船の動きは早いものだった。
瞬く間に遠ざかり、ついには粒のように小さくなった。
「よかったな、クララ」
「うん」
しばらくの間、アッシュはクララと並んで桟橋に立ち、無言で船を見送っていた。
それからどれだけ経っただろうか。
クララが波の音を避け、ぽつりとこぼした。
「最近のこと、ごめんね」
「あ~……避けてることか」
「そ、その避けたくて避けてるわけじゃないんだけど……アッシュくんのこと、嫌いになったとかじゃ絶対にないからね」
少し焦り気味に弁解してきた。
その必死な顔を前に、アッシュはくすりと笑う。
「……そうか、安心した」
自分でも思っていた以上に気にしていたらしい。
顔が自然に綻び、すっきりとした気分に胸中が満たされた。
「この島で初めてチームを組んで、そのうえ島じゃ誰よりも一緒に過ごしてる仲だろ。もういまじゃ俺にとってクララがそばにいるのは当たり前みたいなもんなんだ」
まとまらない言葉をまとめようと頭をかいたのち、口にする。
「まあ、なにが言いたいかっていうと……これからも一緒に頑張ろうぜってことだ。相棒」
「……アッシュくん」
呆けたようにそう口にしたかと思うや、クララがふっと小さく噴き出した。
「相棒って久々に聞いた」
「そっちが先に言ったことだぜ」
「……うん、そうだったね」
昔のことを思い出しているのか。
クララは微笑みながら俯き、胸に手を当てていた。
思い出に浸りはじめたからか、しんみりとした空気が流れた。だが、すべてを吹き飛ばすような勢いで彼女はがばっと顔を上げた。こちらの手を握り、ぐいと引っ張ってくる。
「アッシュくん、早く戻ろっ。食べないできたから、あたしおなか空いてきちゃった」
なにを言い出すかと思えば……。
相変わらずの食い意地には思わず呆れてしまうが、これでこそクララだ。
アッシュは無邪気に笑う〝相棒〟に促されるがまま船着場をあとにした。





