◆第二話『天の尖兵』
盾を貫いてなお、敵の剣は勢いを失っていなかった。
粉々になって飛び散る破片の中、その鋭い切っ先がレオの胸を捉えんと突き進む。
アッシュはとっさに踏み出していた。
敵の横合いからハンマーアックスの刃側で斬りかかる。
が、敵が引き戻した剣によってあっさりと防がれてしまった。気持ち悪いほどに無造作かつなめらかな動きだ。しかも少なくない衝撃を与えたはずだが、敵はその場からいっさい動いていない。
甲高い金属音が鳴り響く中、アッシュはすぐさま得物を引いた。二撃目を繰り出そうとするが、すでに敵の剣の切っ先が眉間まで迫っていた。
瞬時に体を仰け反らせる。
視界の中、猛然と通りすぎた剣を前にアッシュは血の気が引いた。
冗談ではない。
これほどまでに速い攻撃をしてくる敵は初めてだ。
ハンマーアックスのような重量級の武器では勝負にならない。
アッシュは上体をねじりながら得物を敵の剣へと当て、上方へと押し上げた。その最中、得物を敵へ投げつける。
あっさりと避けられてしまったが、攻撃が目的ではない。アッシュは腰裏に差したソードブレイカーとスティレットを引き抜くと、敵へと肉迫。連撃をしかける。
耳が痛くなるほどに多くの甲高い衝突音が鳴り響く。
攻撃速度はハンマーアックスのときとは比べ物にならない。だが、こちらの刃が敵の体に届くことはなかった。まるで吸い付いてくるように敵の剣が阻んでくるのだ。
おまけに翼持ちとあって敵はかすかに浮いている。そのせいか上手く敵の重心を捉えられず、ひらひらと舞う紙を相手にしているようだった。
そんな身軽な動きに相反して攻撃のほうは信じられないほど重かった。
交差するたびに腕がちぎれそうなほど骨が軋む。
このまま続けてもジリ貧だ。
「アッシュ!」
真後ろから聞こえてきたのはラピスの声。
横へずれると、彼女が槍を構えながら敵へと突っ込んでいった。勢いの乗ったその一撃にはさすがの敵も完全には衝撃を殺しきれなかったか。剣の腹で受け止めたものの、かすかに後方へと押しやられていた。
アッシュはここぞとばかりに猛攻撃をしかけた。
ラピスも中距離に位置しつつ、こちらにあわせて攻撃をしかける。
さすがに2体1とあってか、天使の隙をついてその硬質な体に何度かわずかな傷を加えることはできた。だが、当たるたびに無機質な金属音が鳴るだけで破壊には至らない。
「離れて!」
ルナの声が飛んできた。
アッシュはラピスと交差する形で敵へと一撃を加え、離脱する。と、直後に緑の風を纏った青き矢――ルナの《レイジングアロー》が敵に命中した。
相変わらず矢とは思えない衝撃音が響く。後方へと弾き飛んだ敵が奥の壁に背中を打ちつけた。かすかによろめいているが、まだ倒れる気配はない。凄まじい耐久力だが、遅れて飛んできたクララの《フロストバースト》がその息の根を止めた。
もとより生気など感じられなかったからか。
天使の倒れた姿はまるで壊れた彫像のようだった。
攻撃力、敏捷性、耐久性。
どれをとっても竜を大幅に上回る。
考えたくはないが、これほどの敵が9等級階層では雑魚として徘徊しているのだろう。
天使が無数の燐光となって散りゆく中、ガチガチと金属が擦れ、かち合う音が聞こえてきた。音の出所――門の中へと目を向けた瞬間、アッシュは思わず目をむいてしまう。
「冗談だろ……」
侵入者を我先に排除せんとしてか、天使が何体も詰まっていた。先ほどの戦闘に鑑みても、複数相手ではこちらに勝ち目はない。
「撤退だ! レオもしんがりはいい! 全力で駆けろ!」
仲間たちが指示に応えて入口の転移門へと走り出した。
その間にも1体が抜けだしたのを機に詰まっていた天使たちが溢れるように飛びだしてきた。5体どころではない。少なくとも10体はいる。
アッシュはそばに落ちていたハンマーアックスを拾いなおし、通路へと放り投げた。少しでも時間稼ぎになればとの考えだったが、虚しくも弾かれるだけに終わってしまう。
アッシュは舌打ちしたのち、仲間に合流して全力で駆ける。ちらりと後方を窺う。敵の移動速度があまりに速い。このままでは確実に追いつかれる。
「《ツナミ》、使う!?」
先頭を走るクララが肩越しに振り返りながら訊いてきた。
「いや、奴ら浮いてるだろ! 効かない可能性が高い!」
「だったら……!」
クララが振り返って右掌を突き出した。
連動して彼女の周囲の虚空に幾つもの巨大な魔法陣が浮かんだ。その数、20。
魔法陣から放たれたのは《フロストバースト》だった。いまだかつてこれほどの数を同時発動したことはなかった。まさに圧巻の光景だった。
1体ごとにおよそ2発ずつ命中。
あちこちで氷片とともに蒸気が舞い上がる。
並大抵の魔物なら間違いなく仕留められていただろう。だが――。
「む、無傷なの……」
クララが絶望したような声をもらした。
すべての天使が赤い属性障壁を展開していた。
どれもが9等級相当なのか、完全に防いでいる。天使たちは剣で属性障壁を斬り裂くと、床のわずか上をすべるようにして再び迫ってくる。
「クララ、足を止めるな! 走れ!」
アッシュはそう指示を飛ばすが、クララは走り出そうとしなかった。それどころかフラついて膝をついてしまう。
「あ、あれ……?」
いったいどうしたというのか。
彼女は息を荒くし、虚ろな目で俯いている。
アッシュは即座にクララのそばまで駆け寄り、その体を脇に抱きかかえた。彼女の状態がどんなものであれ、いまはなにより逃げることが先だ。
華奢なこともあって重さ的な負担はない。
ただ、腕を振れないこともあって速度が少なからず落ちた。
後ろを振り向く余裕はない。
だが、天使たちが間近まで迫っている気配をひしひしと感じていた。
「アッシュくん、早く!」
「急いで! もう近くまで迫ってる!」
クララの《フロストバースト》がわずかながら敵を足止めできたからか、ほかの仲間は転移門に辿りついていた。ただ、こちらはどう足掻いても間に合いそうにない。
「アッシュ、避けて!」
ルナが《レイジングアロー》を撃ってきた。
真後ろから追る天使目がけて放ったのだろう。完全に直撃コースだ。こちらが躱すこと前提とはなんともルナらしい攻撃だ。
アッシュは限界まで進路を変えずに駆けたのち、矢を躱した。とおり過ぎる際、猛烈な風に吹かれ、髪が踊り狂った。矢が敵に当たった瞬間を目にしたかったが、あいにくとそんな余裕はない。
それに後方から聞こえてきた音だけで充分に結果は把握できた。先頭を翔けていた天使に当たり、複数の天使が巻き添えを食らったのか。騒がしい金属の衝突音が響いている。
いまの攻撃で敵を倒せたわけではないだろう。
だが、おかげですぐそばまで迫っていた敵の気配は消え失せた。
アッシュは仲間たちに迎えられる中、クララを抱えたまま転移門へと飛び込んだ。





