◆第九話『ユグドラシル戦①』
敵の根元に群がるたくさんの根。その中でも正面の3本の太い根がうねりながら持ち上げられると、まるで渦巻くように絡みながらこちらに向かってきた。
アッシュはとっさにそばのクララを片腕で抱いて右方へと飛んだ。ルナも無事に逃げられたようだが、重装備のレオだけは反応が遅れていた。
レオを押しやるようにして3本の根が入口側の壁に衝突。試練の間に地鳴りのような音を響かせた。
3本の根はどれも直径が人の身長よりも長い。そんな太さあって壁に叩きつけられたレオは3本の根に呑み込まれた形になり姿が見えなくなってしまった。
「レオッ!」
「……僕は大丈夫」
そんなレオのくぐもった声のあと、悲鳴のような金切声が大樹の幹――敵本体のほうから聞こえてきた。苦しみもがくように3本の根が壁から離れ、本体のほうへと引っ込んでいく。
解放されたレオは自身を盾で守りながら剣の切っ先を正面に向けていた。どうやらあの最中に迎え撃っていたらしい。しかも傷どころかまったく堪えた様子がない。
「すごぉ、あれで無傷なんだ」
「……相変わらずの硬さだね」
あまりの硬さにクララとルナも目を瞬いていた。
本当に頼もしい限りだ。
「あはは、それだけがとりえだからね」
レオは謙遜しつつ前へと駆け出した。3本の根が迎撃せんとレオ目がけてその身をしならせ、まるで鞭のように先端をぶつけはじめた。レオは打たれるたびに足を止めては丁寧に受け流し、少しずつ進んでいく。
「アッシュくん、僕の後ろに!」
「了解だっ」
アッシュはレオの背中を追いかける。視界の中、レオは凄まじい衝撃に襲われているにもかかわらずびくともしていなかった。とてつもなく強靭な肉体だ。まさに盾になるために生まれてきたと言っても過言ではないかもしれない。
レオが進んでいる間にもクララとルナが幹へと攻撃をしかけていた。ルナの火矢とクララの《フレイムバースト》が頭上を飛んでいき、幹に命中。ちょうど中間辺りの高さを赤い炎で包み込んだ。
やがて噴出した黒煙が晴れたとき、幹は広範囲に渡って黒く焦げていた。損傷を与えられたことに手応えを感じてか、かすかに歓喜の声をもらすクララ。
だが、彼女の声はすぐさま「えぇっ!?」と驚愕の声へとすり替わった。現れた無数の緑の燐光によって瞬く間に焦げが綺麗になくなり、元通りの姿になったのだ。
「一瞬で治っちゃったんだけどっ」
「ヒール持ちか……厄介だね」
クララに続いてルナも苦々しいとばかりに声もらしている。
たしかにあれは《ヒール》と同じように見えたが、あまりに効果に違いがありすぎる。まさに完全回復といった様相だった。
「ただ攻撃するだけじゃユグドラシルに損傷は与えられない!」
広間の中央辺りに達したレオがいまもなお襲ってくる根を盾で弾きながら声をあげた。
「正面の3本の根に1本だけ腐ったような色のものがあるだろう!? それが敵の弱点なんだ! アッシュくん!」
「ああっ!」
アッシュはレオに追いつくなり、その背を飛び越えた。ちょうどレオが弾いたばかりの根――わずかに紫がかった根へとアックスで斬りかかる。
分厚い肌にめり込んでいく刃。このまま裂けるかと思いきや、ガンっと鈍い音が鳴った。どうやら根の中には芯となる硬い部分があるようだ。それでも根に痛みを与えることはできたらしく苦しむように暴れはじめる。
アッシュは体が振り回される前に根の肌を足裏で蹴りつけ、食い込んだままの刃を抜いた。着地と同時、レオの声が飛んでくる。
「アッシュくん、右からっ!」
言われるよりも早くに気づいていた。アッシュは着地と同時にうつ伏せになって床にぴたりと貼りつく。と、頭上をべつの根が猛然と通過していった。少しでも遅れていたら弾き飛ばされていたところだ。
アッシュは飛び起き、レオのそばまで素早く後退する。追撃をしかけるように真上からべつの根が迫ってきていたが、レオが盾で受け流した。
びたんと根が床に叩きつけられ、激しい揺れが襲いくる。その最中、レオが肩越しに振り返って満足気な笑みを向けてくる。
「さすがだね、大物を持ってるとは思えない動きだよ!」
「そっちこそほんとに人間かってぐらいの硬さだな!」
腐った根がまたもレオの盾によって弾かれ、ひるんだ。その隙を逃さずにアッシュは前へと出て斬りつけた。腐った根が痛みで暴れ狂う中、ほかの根から追撃されないようにと素早く後退する。
と、腐った根がさらなる悲鳴をあげた。ルナの矢が次々に刺さっていたのだ。さらに根元に向かってクララの《フレイムバースト》が連続して激突していく。
振り返った先、隅にクララとルナが陣取っていた。どうやら射線がこちらと被らないように移動したようだ。
「ははっ、いい火力だね……! これならすぐに辿りつけるかもしれない!」
後衛陣による派手な攻撃で視界が炎に包まれる中、レオがなおも襲いくる根を弾き返しながらそう口にしたとき――。
敵本体から床全体を埋め尽くすように大量の根が凄まじい勢いで伸びた。1本1本はちょうど人の胴回り程度の太さだが、そのあまりの量にまるで床の材質が根に変わってしまったかのようだった。
「くるっ、みんな頭上から降ってくる葉っぱを迎撃して! ただし絶対に触れないように! ばらばらに刻まれるよ!」
レオの警告に従って天井を見上げた。
映り込んだのはゆらゆらと舞い落ちてくる緑の葉。
広間全体に及んでいるため、正確な数はわからない。
少なくとも100枚は超えているように思う。
クララとルナが迎撃をはじめる。クララは《フレイムレイ》で一度に多くの葉を燃やし、ルナもまた射線上の葉を重ねるようにして射抜いていた。
こちらも負けてはいられない。
アッシュは一度、レオの背後から離れたのち、落ちてくる葉めがけてアックスを振って斬撃を放ちはじめる。もちろん3本の根の相手をしているレオの頭上へと向かう葉も排除した。
だが、すべてを排除しきるにはあまりに葉の数が多すぎた。
ついに床へと落ちた幾枚かの葉が根に触れると同時に各所で旋風を巻き起こしはじめる。ちょうど人の高さ程度の細い旋風のため、範囲自体は広くない。どうやらただちに危険はないようだが――。
「排除しきれずに落ちた葉は根を刻んで巨人を生むんだ!」
レオが叫んだ。
その言葉どおり旋風が根をちぎっていた。ちぎられた根は膨張し、うねりながら人型へと変化していく。やがて現れたのは幾本もの根で構成された魔物だった。
大きさは人の4倍程度とトロルに近い。1体の威圧感はそれほどではないが、各所で生まれたソレは13体にも及んでいた。一歩一歩を踏みしめるように鈍重な動きで歩きだす。
「ってことはなるべく葉を排除して、巨人を出させないようにしろってことか……なかなか楽しそうな仕組みだな!」
まずは現れた根の巨人――雑魚を優先で排除すべきだろう。
アッシュは即座にそう判断し、近場に現れた雑魚に肉迫。その左膝へとアックスを横薙ぎに斬りつけた。小気味いい音を鳴らして半分程度まで食い込んだ。ひと振りで切断まではいけなかったが、上々だ。
雑魚が離れろとばかりに拳を突き下ろしてくる。アッシュは一度得物から手を放して床を転がりながら回避。すぐさま立ち上がって敵から得物を引き抜き、後退する。
敵は耐久力が高い反面、動きは遅い。これならさほど苦戦せずに倒せるだろう。そう思ったとき、敵に刻んだ傷が緑の燐光に包まれ、瞬く間に修復されていった。
「おいおい、冗談だろ……っ」
先ほどの燐光は敵本体が使った回復魔法と同じだ。つまり回復魔法がかけられる前に倒せということか。ただでさえ耐久力が高いというのに……なんて厄介な敵だ。
後衛組のほうを見れば、やはり雑魚相手に苦戦しているようだった。クララが《フレイムバースト》を撃ち込んではルナが追撃の矢を浴びせるが、雑魚はむくりと起き上がっている。
後衛組に向かっている雑魚は8体。残りの5体はあちこちに散らばっていて、レオを目指している。さすがに正面の3本の根を相手にしながら、雑魚の相手までさせるのは酷だ。
「レオ、一旦離れるぞ!」
「了解! 僕は大丈夫だから行ってあげて!」
アッシュはいましがた相手にしていたものも含め、散らばった雑魚に斬撃を浴びせて注意を引きつつ、後衛組のほうへと移動。近づいたところで一気に後衛組と合流する。
「火力を集中させて1体ずつ確実に仕留めてくぞ!」
「わ、わかった!」
「了解! 牽制も任せて!」
隅の壁を背にしたこちらを囲むように雑魚たちがどしんどしんと重みのある足音を鳴らしながら近づいてくる。もっとも近い雑魚に向かってアッシュは肉迫、その腹に向かってアックスを思いきり振り下ろし、食い込ませた。
呻くこともせずに敵がこちらを掴むように開いた手を伸ばしてくる。が、それがこちらに届くことはなかった。ルナが敵の腕に向かって矢を幾本も放ったのだ。
その隙にアッシュは得物を引き抜いた。
敵の背後へと回り込み、ハンマーを背中に叩きつける。
前のめりに倒れ込んだ敵から飛び退くと、クララによる《フレイムバースト》が轟音とともに激突。その雑魚を黒こげ状態にし、消滅させた。
「次だっ!」
いくら鈍重とはいえ、1体にかけていられる時間はそう長くない。アッシュは素早く次の雑魚に狙いを定め、後衛組と協力して1体ずつ確実に排除していく。
流れるような連携攻撃だった。これまで長くともに戦ってきた成果といっても過言ではないだろう。おかげで思ったよりも早くに殲滅できた。
いましがた倒れた雑魚が消滅するさまを横目に見ながら、アッシュは軽く息をつく。
「これで全部か……」
「ただでさえ高耐久なのにまさかヒールつきなんてね」
「厄介すぎっ、もうこれと戦いたくないよ~」
ウィグナーたちは火力不足が原因で攻略できなかったと言っていたが、たしかにこれは生半可な攻撃では苦戦しそうな相手だ。
突然、とてつもなく低い呻き声が試練の間に響き渡った。
敵本体のほうを見ると、腐った根がそり返る形で天井に向いて先端から消滅していた。どうやらレオはひとり3本の根を相手しつつ敵の弱点を削っていたようだ。
「ここからは僕も未知の領域だ! みんな、注意して!」
おそらく狂騒状態に入ったのだろう。
敵の姿に変化が現れていた。
その雄々しい幹の上部――ちょうど枝葉が多く茂りはじめる辺りから、ずずずと鮮やかな緑で染められた光る彫像が出てきた。それは女性の姿を模っており、まるですべてを包み込むかのように両手を広げてこちらを望んでいる。
その慈愛に満ちた姿に思わず見惚れてしまいそうになったが、はっとなった。さざめいた大樹の頂から、はっきりと視認できる緑色の風が生成されていたのだ。
それらはひとつに集まっていくと、やがて鷲を思わせる鳥の姿を模った。ばさりと広げられた翼は、その先端が左右の壁につくほどに大きい。まさに風の巨鳥といった様相だ。
風の巨鳥は威嚇するようにけたたましい声をあげると、大樹の肌に沿って一気に降下。床の上をすべるようにしてこちらに向かってきた。





