◆第十話『ユグドラシル戦②』
風の巨鳥は止まることなく床にぶつかると、その形を大きく崩した。うねりながら左右の壁まで隙間なく覆ったのち、波のように猛然と押し寄せてくる。
中央より前目に位置していたレオが誰よりも先に風の波に呑み込まれた。盾、剣を床に打ちつけたにもかかわらず、そのあまりの勢いに後方へと押しやられている。
なんとか吹き飛ばされずにすんでいるが、重装備のレオだからこそだろう。
あんな突風をまともに受けたら後ろの壁に叩きつけられる。とはいえ、《ストーンウォール》で防ごうにもすべてを呑み込むような風だ。左右、上方からすり抜けてくる可能性が高い。
それにもしも破壊された場合、飛んでくる破片のことも考えれば《ストーンウォール》の使用は得策ではない。ならば少しでも衝撃を和らげるためにとれる行動はひとつ――。
「壁に貼りつけ!」
アッシュは背後の壁に向かって体の正面をぴたりとくっつけた。クララ、ルナも続いて倣う。3人揃って不恰好な姿だが、そんなことは言っていられない。
彼女たちが壁に触れてから間もなく風の波が叩きつけてきた。どん、っと背中から大きな壁に押されたような感覚。とても風とは思えない衝撃だ。
胸が圧迫されて苦しい。なんとか衝撃を和らげようと手足を壁に突き立てて反発するが、思ったような効果は得られない。そばからクララ、ルナの呻く声が聞こえてくる。
いったいいつまで続くのか。
早く終わらなければ彼女たちの意識が飛んでしまうかもしれない。そう思ったとき、ちょうど風の勢いが止んだ。ほっと息をつくが、まだ終わりではなかった。今度は風が下から上へと吹き上げたのだ。
まるで打ち上げられたように3人揃って天井近くまで持ち上げられる。そこで今度こそ風は止んだが――。
高さが高さだ。このまま落ちれば常人なら間違いなく死ぬ。ひとりならどうにかできるが、いまはクララとルナがいる。案の定、クララが下を見て慌てふためいていた。
「え、えっ!? これ落ちたら死んじゃうよっ」
「クララ、《ストーンウォール》!」
「あっ」
最近では《ストーンウォール》を常に持ち歩くように言っていた。ほかのウォール系とは違って足場にも利用できる汎用性の高さからだ。すぐに下方の壁から突き出した岩の壁に3人で着地する。
そのままクララが階段状に生成した《ストーンウォール》を足場に下りていく。その最中、レオはまたも正面の根を相手にしていた。風の波が止んだのを機にすぐさま攻撃を再開したようだ。
「レオ、無事か!?」
「なんとか、ねっ!」
鞭のようにしなりながらレオに襲いかかる正面の根。その攻撃は相変わらず凄まじいが、初めとは違って数が2本に減っていた。レオが盾で弾いた根に剣を突き刺し、抜きながら叫ぶ。
「腐った根が再生してない! たぶん弱点が変わったんだと思う!」
「となると、やっぱあの彫像か!」
「おそらく……ね!」
かなり上方の木肌から手前に突き出した女性像。
どう頑張っても近接攻撃は届きそうにない。
大樹の根元からならスティレットの光の笠で辛うじて届くかもしれないが、接近すれば間違いなく正面の根の標的がこちらに向くだろう。
となれば――。
「クララ、ルナ!」
ちょうどもとの床まで下りてきたところで後衛組が攻撃を開始する。
クララが放った《フレイムバースト》は彫像に触れる直前、緑の薄い光膜に阻まれ、散るように消滅してしまう。ルナの矢はそのまま命中するが、突き刺さることはなかった。カンッと虚しい音をたてて落ちていく。
「また効かないのっ!?」
「こっちは徹ってるみたいだけど、かなり硬いみたいだ!」
ルナには攻撃し続けてもらうか。
とはいえ、先の攻撃を見る限りあまり効いているようには見えない。なにかほかに方法は――。
「みんな、くるよ!」
広間に響いたレオの声。
ほぼ同時、床を覆うように大量の根が入口側へと伸びてきた。
アッシュは半ば反射的に天井を見上げたところ、思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。
「はは……冗談だろ」
予想どおり舞い落ちてきた葉。
その数がほぼ上空を覆うほどの数だったのだ。
「さっきより多いってか、多すぎなんだけどっ」
「とても処理しきれそうにないね……」
「でもやるしかないっ」
アッシュは一心不乱になってアックスを振って斬撃を放ち、後衛組とともに舞い落ちてくる葉の迎撃していく。クララのストックを利用した無茶な魔法もあってかなりの数を迎撃できたが、もとの数が数だ。迎撃しきれるはずもなく――。
落ちた葉が旋風となって床に巡った根を切断した。あちこちでうねるようにして膨張した根が巨人となって出現する。ざっと数えただけでも40は超えている。そのあまりの数にクララがたじろいでいた。
のしりのしりと迫ってくる雑魚たち。
巨躯なこともあって、その光景はまさに壁といった様相だ。
1発で突破すると言ったが、撤退を選択肢に入れていないわけではなかった。
アッシュは頭を振って素早くゴブレットを確認する。灯っているのは5箇所。あと少しで転移魔法陣は発動するが、まずは現状を乗り切らなければならない。
雑魚の群れに突っ込んだ。全体の注意を引きつけながら1体に狙いを定めて確実に減らしていく。だが、数が数なだけに倒した感じがまるでしなかった。それに――。
アッシュは槌のように振り下ろされた敵の拳を紙一重のところで避けた。直後、敵の拳を中心に尖った岩が床から突き出してくる。
雑魚の攻撃にハンマーの属性攻撃が追加されていた。おおよそ属性石5個分程度の効果だが、それでも脅威度は格段に上がった。
いまの属性攻撃でふくらはぎ周辺をかすかに切られたが、大した傷ではない。すぐさま体勢を整え、再び敵の中で暴れはじめる。
ふと視界の中で敵が背を向けて遠ざかっていくのが見えた。いったい何事かと思えば、レオが斬撃を放って敵を釣っていた。
「僕が5体持つよ!」
「囲まれるぞ!」
「大丈夫! これぐらいならなんとかなるよ!」
言葉どおりの2本の根を相手にしながらレオは雑魚の攻撃をさばいていた。頑丈なだけではなく、あの器用さ。本当に7等級で収まる器の挑戦者ではないと改めて思い知らされる。
「えぇ、まだ倒せてないのに!」
突如として聞こえてきたクララの声。
気づけば辺りに影が差していた。
雑魚と交戦しつつ頭上を見れば、そこには大量の葉。
アッシュは舌打ちしたのち、叫ぶ。
「ひとまずいま出てる奴らは後回しだ! 葉の数を減らすぞ!」
そうして落ちてくる葉を各々で迎撃しはじめるが、雑魚を相手にしながらでは限界があった。
排除しきれなかった葉があちこちで旋風を巻き起こし、新たに50体以上の雑魚を生成。もとからいた雑魚とあわせれば100体近いだろうか。もう試練の間の大半が雑魚で埋め尽くされた形だ。
どこを見ても敵だらけの状況にいやけが差してくるが、嘆いている暇はない。
アッシュは敵の足下だけでなく、その肩や頭を飛び越えながら翻弄しつつ攻撃を加えていく。広範囲に渡って敵の注意を引きつけてはいるが、あまりに多すぎた。もれた15ほどの雑魚が群がって隅に陣取った後衛組のほうへ向かっていく。
「クララ、《ストーンウォール》で一旦、上に避難しろ!」
「わ、わかった!」
クララが《ストーンウォール》で生成した高台にルナも乗り、無事に避難はできた。だが、下りてこいとばかりに雑魚たちが壁を激しく殴って揺らしている。さらには肩車をしてよじのぼろうとする雑魚たちもいた。
それらの迎撃に後衛組は必死で連携どころではない様子だ。
「これは……どんどん溜まっていく気がするね……!」
ルナがもらした懸念。
その可能性は大いに考えられた。
長引けば長引くほど雑魚が群がり対処しきれなくなる。いや、すでにさばききれる量は超えている。これでまた木の葉が落ちてくれば、もう逃げ場はどこにもなくなるだろう。
すでにゴブレットの炎は6箇所に灯っている。転移魔法陣は発動しているため、入口側の壁中央まで辿りつけば撤退できる。だが、そこに行き着くまでにも多くの雑魚がひしめいている。仮に行けたとしても後衛組だけだろう。
いまも中央で戦っているレオが逃げ切るのはもはや不可能に近い。
どうする――。
そう逡巡しはじめたとき、甲高いいななきが聞こえてきた。いやな予感に見舞われながら大樹の頂へと目を向ける。
それは悠々とはばたくようにして浮いていた。
――緑の風で形作られた巨鳥。
レオの声が試練の間に響き渡る。
「風の波がくるッ!」
「えぇ、敵いっぱいいるのに!? 嘘でしょっ!?」
クララの悲鳴じみた叫びも虚しく、風の巨鳥は容赦なく急降下。その姿を巨大な波へと変貌させ、襲いかかってくる。雑魚たちも風の波に呑まれ、もみくちゃになって転がってくる。あんなものに巻き込まれれば間違いなく押し潰される。
アッシュは即座に入口側の壁へと走った。得物を背になおしながら、近場の雑魚を踏み台にして大きく跳躍する。ほぼ同時、背中を叩かれたような感覚に見舞われた。風の波が押し寄せたのだ。
一気に壁へと追いやられ、正面からばしんと叩きつけられる。胸を強く打ったこともあり、思わずむせ返ってしまう。
軽く視線を下向ければ、次々に雑魚たちが壁に激突していた。その体を構成するのが根だけなこともあり、もう個体の区別がつかないほどにぐちゃぐちゃだ。
そんな根ばかりのほうへと体が落ちはじめる。だが、このまま雑魚の群れの中に入ることにはならない。今度は風が吹き上げてくるからだ。そうなれば体は一気に天井付近まで打ち上げられる。
――天井付近まで。
その言葉を脳で反芻したとき、アッシュははっとなった。予想どおり吹き上げてきた強烈な風に上方へと打ち上げられる中、叫ぶ。
「クララ! 天井付近で俺に足場を! あと、そのまま敵本体のところまで壁伝いに道を作ってくれ!」
「えぇ!?」
クララが戸惑いつつも、こちらがもっとも高い場所に達した瞬間に足場を作ってくれた。さらに指示どおり壁伝いに《ストーンウォール》を次々に生成してくれる。アッシュは彼女が作ってくれた岩壁の道をひたはしっていく。
後衛組もかなり高い位置に生成した《ストーンウォール》を足場にしていた。あそこなら当分は敵の攻撃にさらされずにすむだろう。
とはいえ、行動を再開した雑魚たちがいまも後衛組を目指して自分たちの体を積み上げていた。ルナが必死に迎撃しているが、頑丈なこともあってなかなか落としきれていない。もうあまり時間はない。
《ストーンウォール》を生成、維持中のクララから不安な声が飛んでくる。
「いったいなにするつもりなの!?」
「決まってるだろ! あの彫像に直接ぶちかますんだ!」
アッシュは背負っていたハンマーアックスを抜きなおし、敵本体との距離を詰めていく。すでに中間は越えた。右方の眼下に目を向ければ、試練の間中央でいまだレオがひとり奮戦している。
初めは彼が担当していた雑魚もいまでは20体近くにまで及んでいる。ほぼ包まれているような状態だ。レオはなんとか盾で弾いたり剣で牽制したりと耐えてはいるが、さすがに厳しいようだ。その顔は苦痛に歪んでいる。
「レオ、もう少しだけ耐えてくれ!」
そう声をかけた直後だった。
レオが相手をしていた――敵正面の根の2本のうち1本がこちらに向かってきた。足場の《ストーンウォール》を潰しつつ、こちらにぶつかる軌道だ。このままでは落下はまぬがれない。
迫る巨大な根。
衝撃にそなえて得物で身を守ろうとした、そのとき。
根が急にうねり、その先端を天井に向けてもがきだした。
何事かと根元のほうへと辿ると、その先でレオが剣を深く突き刺していた。
「これは僕が止めるッ! それが僕の仕事だッ!」
執念と思える叫びだった。
だが、根に気をとられすぎたようだ。
彼の背後から3体の雑魚が接近していた。
その巨大な拳をレオの背中へと繰り出そうとする。
「レオ、後ろッ!」
気づいたレオが盾を割り込ませようとするが、間に合いそうにない。ついに、その雑魚の拳が触れるかと思われた瞬間。遮るようにして5本の炎柱が噴出してきた。ひるんだ雑魚たちの腕をルナの矢が正確に射抜いていく。
「《ストーンウォール》も出してるからあんまり出せないけど……」
「背後はボクとクララがどうにかする! だから、レオはそのまま根を押さえて!」
彼女たちは自分たちの足場に近づいてくる雑魚の迎撃をやめたようだ。きっとこの攻撃が失敗に終われば、あとはないと悟っているのだ。
「クララくん……ルナくん……っ!」
感動したようにかすかに目を潤ませたレオが軽く頭を振ると、今度は決意に満ちた顔で正面を向いた。力強く前へと踏みだし、2本の根へと果敢に剣を繰り出しはじめる。
「雑魚は僕に……いや、僕たちに任せて――行ってくれっ、アッシュくんっ!」
その叫びは魂をも震わせるような、そんな意志のこもったものだった。
アッシュはすぐさま止めていた足を動かした。聞こえてくる大小様々な轟音。見なくとも激しい攻防が繰り広げられていることが伝わってくる。
本当に頼もしい仲間たちだ。
彼らに応えるためにも絶対に1撃で倒しきらなければならない。
並んだ8枚の岩壁を踏み、ついに彫像にもっとも近い足場に到達した。大樹が邪魔をしてこれ以上近いところに足場を作れないようだったが、充分届く距離だ。
アッシュは彫像へ向かって跳躍した。視界の右端から鞭のように1本の根が迫ってきているのが映り込んだが、心配はいっさいしなかった。
レオが必ず止めると言ったのだ。
次の瞬間には視界から根は消えていた。アッシュはふっと人知れず笑ったのち、得物のハンマー側を敵へと向けた。空中で体を前方にくるりと回転。勢いをつけ、しかと彫像を視界に収める。
――これで絶対に決める。
「ぉぉぉぉぉおおおおお――――ッ!」
咆哮とともに全体重を乗せた一撃を彫像の脳天へと叩きつけた。
須臾に感じた強い抵抗。両手から腕、肩にまで伝わってくる凄まじい衝撃。これほどまでに勢いをつけた攻撃でも砕けないのか。
……いや、ヒビは入っている。
だが、勢いはもうない。
だったらもう乗せられるものはひとつしかない。
――行って!
――行け!
――行ってくれ! アッシュくん!
聞こえた仲間の声。
それらに自身の想いを乗せ、アッシュはさらに叫んだ。
「ぁぁぁぁぁぁああああああああ――ッ!」
みちりと軋んだ手に痛みを感じたと同時、得物から伝わってきていた抵抗感が消え失せた。ばりん、と硝子が割れたような破砕音。視界の上端に粉々に砕けた彫像が映り込んでいた。
アッシュは緑に発光する破片とともに落ちていく。その最中、まるで大地が鳴いたかのような、低い呻き声が聞こえてきた。
どうやら彫像が敵本体の核で間違いなかったようだ。試練の主――ユグドラシルが消えはじめていた。空気に溶けるように色を薄くし、ついにはその姿が見えなくなる。
強敵だった。おかげで本当に倒したのかと疑念がなかなか消えなかった。だが、試練の間に入ってからずっと居座っていた存在感はもうない。床一面を覆っていた雑魚たちももういない。
間違いない。
ユグドラシルを倒したのだ。





