◆第十一話『ピュトン戦・後編』
敵が頭を突きだすと同時、口を大きく開いた。
溢れるように吐きだされたのはやはり紫色の液体――毒だった。
まるでツナミのごとく勢いと量をもって押し寄せてくる。高さは人ひとりとほぼ同等。跳躍で波は躱せるが、そのあとに足をつければ意味はない。
アッシュは急いで近場の壁龕へと逃げ込んだ。
顔を出して後衛組の様子を窺う。
彼女たちは転移魔法陣近くの壁龕に急いで上がろうとしていた。先に上がったルナがクララを引き上げはじめる。だが、すでに毒のツナミは近くまで迫っていた。
「後ろ、きてるぞ!」
ルナが力を振り絞ってクララの引き上げに成功する。直後、毒のツナミが壁に衝突した。まるで地鳴りのような音が響く。
間一髪で彼女たちも波に呑まれずにすんだが、そこで安堵はできなかった。壁に衝突した毒はその勢いを殺さずに上方へと跳ね上がり、クララたちのいる壁龕を綺麗に埋め尽くしてしまう。
「クララ、ルナッ!」
跳ねた毒は瞬く間に落ちたが、壁龕内にも幾らか入ってしまっていた。彼女たちは壁龕の奥に身を隠したため、その姿が見えない。無事なところを確認できないこともあって気が気でなかった。
試練の間を覆い尽くしていた毒がまるで潮が引いていくかのように高さをなくしはじめる。やがてすべてが綺麗に消えたとき、後衛組が壁龕から顔を出した。
「こっちは大丈夫! 少しかかっちゃったけど、クララの《ピュリファイ》のおかげでなんとかなったよ!」
ルナが弓を振りながら無事な姿を見せてくれる。
ただ、そばではクララが険しい顔をしていた。
「でもこの毒、かなり強力みたいだからかかりすぎると体力がもたないかも!」
その言葉を証明するように彼女たちの顔色はあまりよくなかった。これは早く勝負を決める必要があるようだ。
敵はいまも広間の奥で長い舌をちろちろと出しながら泰然と構えている。
アッシュは素早く壁龕から飛び出し、一気に距離を詰めようとした、そのとき。
敵が威嚇するようにキシャアと奇声をあげ、頭から床に飛び込んだ。衝突することなくその身はまるで吸い込まれるように床の中へと入っていき、ついには尻尾まで綺麗に消えてしまった。
「え、消えちゃった!?」
クララの驚愕する声が響く中、足下をなにかが通過していくような音が聞こえた。さらに壁のあちこちに加えて、上方からも聞こえてくる。
「床や壁の中を移動してるみたいだ! 気をつけろ!」
どこに出てきても反応できるように、また敵の注意を引くようにとアッシュはあえて中央に位置どる。かすかに聞こえる敵の移動音を逃さないよう耳を澄ましていると、頭上で止まった。遠く離れた天井から敵が顔だけを出す。その目の色は紅――。
狂騒状態に入ったからか、これまでより圧倒的に素早い動作で火炎を吐いてきた。アッシュは素早くスティレットを左手で振るい、生成した属性障壁で頭上から襲いくる火炎を防ぐ。心なしか火炎の勢いも増している気がする。脳が茹で上がりそうだ。
「ちぃっ」
ようやく火炎が止むと、入れ替わるようにして後衛組から攻撃が放たれた。火炎矢と《フレイムバースト》だ。どちらも命中し、敵の顔を包むほどの火炎を迸らせる。
だが、これまでと違って敵は呻きすらもしない。火炎が消えたとき、その身にもかすかなこげ痕があるだけでほとんど堪えていない様子だった。しかもその痕は再生能力によって瞬く間に消えしまう。
敵が早々に顔を壁の中に引っ込め、再び移動をはじめる。
「もしかして火炎耐性上がってる……!?」
「どうやらそうっぽいね……」
「緑の主なのに!」
渋い顔をする後衛組。
おそらくその見解は当たっている。
となれば近接攻撃を叩き込むしかない。
そう思っていたのだが――。
敵は火炎、または毒を吐いてから壁の中に引き上げるまでが素早く、とても接近する間がなかった。近くに顔を出してくれればいいのだが、敵はそれを警戒しているようで一定の距離以上を常に保っている。
「くそっ!」
3度目となる毒のツナミが引いていく。
壁龕から出てきた後衛組の顔は疲労で歪んでいる。
敵は毒を吐く際、広間の奥に陣取る。
そのため、彼女たちが回避場所に選んだ壁龕のみ毒を受けてしまうのだ。広間の奥に向かって左右の壁龕に移動できればいいのだが、現状はその余裕がない。
このままではじりじりと削られていくだけだ。
撤退の言葉が頭にちらつき、アッシュは思わず舌打ちしてしまう。
せめて近接攻撃並に威力のある遠距離攻撃ができればいいのだが……。
そう考えはじめたとき、はっとなった。
「あるじゃねぇか……とっておきのが!」
アッシュは思いつくなり、後衛組に向かって指示を飛ばす。
「クララ、ルナ! 次にまた敵が顔を出したら火炎攻撃を頼む!」
「え、でも効果ないよ!?」
「それでもいい!」
めくらましにでもなればいい。
広間奥に向かって右方の壁から敵が顔を出した。相変わらずの目にも留まらぬ速さで火炎を吐いてくる。アッシュは属性障壁を展開後、すぐにスティレットを収める。いまはまだ必要のないものだ。
敵の火炎が勢いを失ったのを機に一気に翔けだす。視界の右端からは作戦どおり後衛組が放った火炎攻撃が向かっていた。命中した火炎が敵の顔を包み込み、その視界を奪う。
いまだとばかりにアッシュは片足を床に叩きつけると、勢いを殺さずに体を横回転。ハンマーアックスをぶん投げた。
ぐるんぐるんと回転したそれは、噴き上がった火炎が晴れると同時に敵の口先に到達。運よくアックス側だったらしく、思い切り食い込む形で突き刺さった。敵が悶え苦しみながら頭部を振ってハンマーアックスを振り落とす。
「やった!」
「まだだ! まだ生きてる!」
敵の傷はすでに再生を始めていた。
さらにずずずと壁の中に引っ込もうとしている。
おそらくいまを逃せば完全に回復されるだろう。
だが、そうはさせない。
「本命はこっちだ!」
アッシュは抜いたスティレットを右手に持った。
体を横に開いたのち、素早く突きだし、引く――。
まるでスティレットの刃を模ったような白い光の笠が撃ちだされた。先日、ラピスに相談して会得した9個の属性石を装着した武器のみが放てる特殊攻撃だ。
光の笠は猛烈な勢いで虚空を突き進み、瞬く間に敵に到達。その獰猛な歯たちを破壊し、その先の肉をあっさりと貫いた。
そこに核となるものがあったのか、はたまた損傷が蓄積していたのかはわからないが、敵は糸が切れたように頭部を床に打ちつけた。
ずしんと重々しい音を鳴らしたのち、その身を砂のように変化させると、ついには塵と化して風に吹かれるように消滅していった。
アッシュはスティレットを剣帯に収めたのち、息をつきながら腕で額の汗を拭った。
「すごいすごい! いつの間にあんな攻撃できるようになったの!?」
クララが興奮した様子で駆け寄ってきた。
「つい最近だ。属性石9個から武器ごとに特殊攻撃が追加されるみたいでさ」
「スティレットではいまのがそうってことかな?」
「ああ、ちょっと出しづらいんだけどな。かなり強力だぜ」
アッシュはスティレットを持たずに先の突きを繰り出す動きをしてみせる。
「光の笠か……ピアシングショットってところだね」
歩み寄ってきたルナが思案顔で言った。
なんともぴったりな技名だ。
「いいなぁ。あたしもそういうの欲しい」
「魔法は充分派手だし、威力もあるからいいだろ」
「えー、劇的な変化欲しいじゃん!」
拗ねるクララをよそに、アッシュは口の端を吊り上げながらルナに言う。
「弓のほうはかなりやばそうだぜ」
「それは楽しみだね」
ナクルダールの使っていた緑属性の弓――落雷攻撃しか知らないが、おそらく他属性にもあれほど特殊な攻撃がそなわっているとみていいだろう。
あれを仲間のルナが使えばいったいどうなるのか。アッシュは自分のことのように考えてしまい、いまから楽しみでしかたなかった。
「なにはともあれ、攻略成功だ!」
レオの助言あってこそだが……。
前回、赤の塔で苦戦したあとの一発攻略だ。
勝利の喜びは格別だった。





