◆第十話『ピュトン戦・前編』
――緑の塔60階、試練の間。
キシャア、と耳障りな鳴き声が響き渡った。奥のゴブレットに炎が灯り、あらわになった主を前にクララが「ひぃ」と短い悲鳴をもらす。
その姿はまさに大蛇というほかなかった。
人ひとりを簡単に呑み込めそうなほど大きな口から覗くのは、まるで竜のごとく猛々しい歯たち。また先が2つに割れた長い舌をちろちろと動かしながら、シャーと耳障りな鳴き声をもらしている。
その身を覆う深緑の鱗はどれも斜方形で、まるで宝石のような光沢を持っていた。鱗は1枚1枚が黄色の細い線で縁取られ、胎動するようにゆるやかに明滅している。
ピュトン。
それが主の名前だった。
「行くぞ! 2人とも援護頼む!」
アッシュは即座に前方へと駆けだした。得物は7等級のハンマーアックス。打撃と斬撃を繰り出せるうえ、2種の属性攻撃を放てる。その使い勝手のよさに惚れ込んでのことだが、のちに挑むことになるだろうベルグリシを見据えての選択でもあった。
ルナの火炎矢が、続いてクララの《フレイムバースト》が頭上を駆け抜けていく。どちらも7等級の武器交換石によって最大強化された攻撃とあって、以前よりも纏う炎の勢いは増している。だが、それらを前にしても敵は回避行動すらとらなかった。
代わりに顎を大きく引いた。
あわせて琥珀色だった目を紅色に変える。
ダイアウルフの火吹きを彷彿とさせるその挙動を前にし、アッシュは急停止した。すぐさま片手で腰裏から抜いたスティレットを振り、属性障壁を張る。
勘は当たった。
大きく開けられた敵の口から放たれたのは視界を埋め尽くすほどの激しい火炎。ルナの火炎矢、クララの《フレイムバースト》をあっさりと呑み込んでしまう。
万が一にそなえてハンマーアックスの裏に身を隠していたが、どうやら属性障壁で火炎を防げてはいるようだ。しかし、左右から襲いくる熱までは防ぐことができなかった。防具越しに伝わる熱に肌が疼き、思わず呻いてしまう。
幸いなのは後衛組まで火炎が届いていないことか。
「アッシュくん!」
「大丈夫だ! それより……ちぃ、緑の癖に火ぃ吐くのかよ!」
予想外の攻撃に見舞われ、出鼻をくじかれてしまった。火炎で覆われていた視界が晴れるなり、巻き返しをはからんと一気に踏み出す。が、今度は右方から巨大な影がしなるように迫ってきた。敵の尻尾だ。
アッシュはとっさに尻尾との間にハンマーアックスを割り込ませた。尻尾側に寝かせた腹に足裏を乗せる。接触と同時に自ら上方へと打ち上げられ、襲いくる凄まじい衝撃をなんとか逃がした。
「どうあっても近づかせる気はないってことかよ!」
これだけ警戒するあたり頭部が弱点なのは間違いないだろう。アッシュは着地と同時に再び迫ってきた尻尾を全力で飛び越えたのち、後衛組に向かって叫ぶ。
「俺が敵の注意を引く! ルナは敵の頭部を狙いつづけてくれ! さすがに火炎を連続で吐くなんてことはできないはずだ」
「了解!」
「クララも基本同じで頼む! ただ、敵がなにをしてくるかわからないからいつでも切り替えられるように準備しといてくれ!」
「わかった!」
こちらが尻尾の相手をしている間、後衛組の攻撃が敵の頭部へと次々に命中していく。衝突と同時に火炎を迸らせ、さらに激しい音を響かせる。
まだ1ヶ所のゴブレットにしか炎は灯っていないが、すでに全箇所に灯ったときよりも試練の間は明るくなっていた。
いい調子だ。
このままなら上手く削りきれるかもしれない。
こちらも尻尾の回避に余裕が出てきた。
可能なら敵の体力を削いでおきたい。
アッシュは敵の注意を引きつつ、左方のゴブレットが置かれたへこみ――壁龕に近づいた。敵の尻尾が間近にまで迫ったのを機に壁龕へと飛び乗る。と、壁に激突した尻尾がとてつもない音を響かせた。
揺れる足場にふらつきながらも壁龕から飛びだし、アッシュは落下の勢いとともにアックス側で敵の尻尾を斬りつける。ぐさっと小気味よい音が鳴り、身の半分以上まで食い込んだ。一度で断ち切るつもりだったが、さすがに太すぎたようだ。
痛みを感じてか、尻尾が悶え苦しむように暴れはじめた。アッシュはすぐさま足裏を押しつけて得物を引き抜き、離脱する。
びたんびたんと床に叩きつけられる尻尾。その動きを見極め、先ほど一撃を加えた箇所へと再びアックス側を刺し込んだ。
さすがに肉厚とあって抵抗感なしとはいかなかったが、なんとか断ち切ることに成功。ずしんと重量感のある音を鳴らして切り離された尻尾が床に転がった。
敵が耳をつんざくような悲鳴をあげる。
様子から察するに大幅に体力を削ったのは間違いないだろう。
そう思ったとき――。
切り離された尻尾が膨張と収縮を繰り返しはじめた。さらにその鱗を縁取る黄色の線が紫色に変わり、忙しなく明滅する。
見るからに異常な光景を前にアッシュは半ば反射的に距離をとっていた。3歩ほど大きく飛び退いたとき、ぶちゃっと凄まじく不快な音を鳴らして尻尾が破裂。弾けた鱗を押しやるようにして紫色の液体が勢いよく飛びだしてきた。
アッシュはさらに後退するが、しぶきとなった紫の液体が頭上から降ってきた。慌ててハンマーアックスを盾に見立てて防いだ。付着した液体はジュゥと音をたてて蒸発する。見れば、飛び散った大量の紫の液体も同様に消滅していた。
「レオが言ってた毒ってのはこれか……」
初見殺しで《ピュリファイ》が必須と言われていたが、なんとか防ぐことには成功した。この程度なら次も食らうことはないだろう。
ふいに視界の端で赤い光がちらついた。
どうやら敵が火炎を吐いて後衛組の攻撃をかき消したようだ。こちらにまで火炎が迫っていたので素早く属性障壁を展開して防ぐ。
その最中、敵の尻尾が火炎の中へと引き戻されていた。火炎の勢いは相変わらず激しいが、かすかに尻尾の様子を窺うことができた。
紫の液体を垂らしながら、ぐねぐねとうねる肉の断面。そこから多くの汁が飛び出したと思うや、肉が伸びるようにして一気に再生。一瞬にして尻尾は元通りになっていた。
アッシュは思わず舌打ちする。
「せっかく切り落としたってのに……再生持ちかよ」
火炎を吹き終えたとき、敵がひと際大きく咆えた。
おそらく狂騒状態に入ったのだろう。
いったいどんな攻撃をしてくるのか。
そう思いながら身構えたとき、敵が顎を引いた。
また火炎を吐いてくるのかと思ったが、その目は紫に染まっていた。これまで火炎を吐いていた紅の目ではない。
――紫。
そこから連想される攻撃はひとつしかなかった。
アッシュは急いで振り返り、声を張り上げる。
「すぐに壁龕に上がれ! 急げ!」





