◆第九話『いまを望む』
赤の塔7等級階層に踏み入ってから5日後。
今日も今日とて多くの巨人や妖精を狩り、帰還。ログハウスにて食事を終えたあと、アッシュは夜の中央広場へと繰り出していた。
淡い黄金色の光とともに騒がしい声をもらす幾つかの酒場。それらを横目に見ながら歩き、辿りついた馴染みの店――《喚く大豚亭》の扉を開ける。
「ブッ――って、お主か。アッシュ」
こちらの顔を見るなり、倒れ込みかけた中年男のクデロが踏みとどまった。相変わらずエール命のようで、カップを平行に保ってこぼさずにいる。
「なんだよ、最後まで言わないのか?」
「う、うるさいわ。知人にやってやるほどワシは暇ではない!」
そんなことをいかめしい顔で言ってきたクデロだが、カウンターから飛んできたミルマの声で一変する。
「クデロさ~ん、どうかしたのー!?」
「なんでもない! ブヒィイイイイイイイッ!」
店内だけでなく中央広場にこだまするほどの声をあげ、どすんと倒れ込むクデロ。その姿をアッシュはじっと見ていると、酔いだけとは思えないほど真っ赤な顔で睨まれた。
「は、早くいけ!」
看板おじさんも大変のようだ。
アッシュは意地悪く笑いつつカウンターへと向かった。
店員のミルマにエールを1杯注文する。
「面白いよね、クデロさん」
「あんたのために頑張ってるんだぜ、あれ」
「知ってる。はい、どうぞ」
ミルマはくすくすと笑いながら、エールを渡してくれた。
果たしてクデロの恋路が上手くいっているかどうかはわらからないが、悪くない感触のようだ。頑張れクデロ、とアッシュは胸中で応援しつつ振り返る。
「アッシュく~ん!」
隅の席でレオが手を振っていた。
待ち合わせをしていたわけではないが、この酒場にくるときは彼と飲むのが常だった。アッシュは迷うことなく彼のもとへと向かった。
「おつかれ」
「おう」
席につくなり互いにカップを打ち合わせ、ごくごくとエールを飲む。やはりここのエールは最高だ。戦闘続きで乾いた喉を潤すだけでなくすかっとした気分にさせてくれる。
「調子はどうだい?」
「今日、赤の塔64階の踏破印を刻んできたところだ」
「どう? 一気にきつくなったでしょ」
「だな。思ってた以上だ。とくに巨人の耐久力がしんどいな」
「たしかにあれはねー……聞くところによると、あれを纏めて範囲攻撃で一気に倒す、なんてこともするチームもあるみたいだね」
「マジかよ」
あまり想像できない絵面だ。
よほどの耐久力、火力がないとできないだろう。
ただ、もしできたならかなりの効率でジュリーを貯めることができそうだ。
「とりあえず7等級の武器交換石は手に入れたし、クエスト込みだが属性石も10個とれたぜ」
「いい感じだね。そろそろ緑の60階かな?」
「ああ、明日挑むつもりだ」
レオが感嘆の声をもらしたかと思えば、なにやら難しい顔をしていた。
「アッシュくんのことだから事前情報は欲しくないかもだけど、初見殺しがあるからこれだけは伝えておこうかな」
事前情報を入れたくないのはたしかだが、なるべくの話だ。ともに行動する仲間がいる中、初見殺しとまで言われれば聞かないわけにはいかない。こちらの反応を見て善しと判断したか、レオが話を継ぐ。
「ピュトンって言うんだけどね、強力な毒を使ってくるから《ピュリファイ》の魔石は絶対に用意すること。それも最低5個以上の強化ね」
「そんなにきついのか」
「うん。下手すると取り返しがつかなくなるぐらいにね」
取り返しなんて言葉を使うほどとは。
これは素直に従ったほうがよさそうだ。
「わかった。クララに言っておく。忠告ありがとな」
「僕にとってアッシュくんたちは大事な友人だからね。当然のことだよ」
レオは友人を第一に考えて行動している。
初めて出会ったときから変わらない。
本当に彼には世話になりっぱなしだ。
だからか、なにか力になってやれないかという思いが先立った。彼自身から頼まれたわけでもないのに疑問が口をついて出てしまう。
「なあ、レオは8等級を目指さないのか」
「……突然だね」
「なんとなくな」
少し困ったようにレオは目線をそらした。
カップを揺らしながら、その中を覗き込む。
「目指さないんじゃないよ。ただ、僕の力が足りなくて突破できないだけなんだ」
「そうは感じないけどな」
「おかしいな。アッシュくんの前で戦った覚えはないんだけど」
「勘って奴だ」
いつもふざけてばかりのレオだが、ときおり感じたことのないような凄みを見せることがある。それこそ三大ギルドのマスターと同等……いや、それ以上のものだ。
――英雄。
彼からはその気質が見え隠れしている。
「じゃあ、その勘は外れだね」
当のレオはとぼけたように肩をすくめていた。
「仮に……仮にだよ。力があったとしても僕はいまのままでいい。これ以上望むことはないよ。いまが幸せなんだ」
初めて出会ったとき、彼はこう言っていた。
――逃げてきたんだ、と。
もしかすると〝そのこと〟と〝レオが現状を望むこと〟が関係しているのかもしれない。
踏み込むべきかどうか。こちらが悩みだしたのをまるで悟ったように、レオがぐいっとカップをあおってエールを飲み干し、立ち上がった。
「なくなっちゃったからおかわりもらってくるよ」
「あ、ああ」
カウンターへと向かう最中、知り合いに声をかけられ、へらへらとした顔で応じては尻を触ろうとするレオ。そんな彼のいつもの変態ぶりを見ながら、アッシュは思う。
レオをチームに入れてくれというウィグナーの願い。
できれば応じるつもりで考えていたが……。
生半可な気持ちで決めるべきではないかもしれない、と。





