◆第十四話『己が信念のため』
「きみにとってジグラノは相性的に最悪だと思ったが、どうやら予想が外れたようだな」
仲間が倒れたというのにニゲルは平然としていた。
シビラは歯を食いしばり、かちあわせた剣へとさらに力を加える。
「ジグラノはずっとあなたを信じていた。彼女にとってあなただけがすべてだった。そんな彼女を利用して、あんな……」
「そう、彼女は忠実だった。きみとは違う」
まるで駒でも扱うような――。
人を人とも思っていない者の目だ。
なぜこんな男を信じていたのか。
なぜこんな男に憧れていたのか。
シビラは力の限り剣を振り抜き、ニゲルを弾き飛ばした。さらに緑の斬撃を放つが、しかしニゲルの剣によってあっさりと断ち切られてしまう。
「あなたは間違っている! 犠牲の上に成り立った平和の世界なんてまやかしでしかない!」
「なんの犠牲もなく実現できると思っているのか。きみのそれは子どもが抱く夢と同じだ」
「子どもでもいい! わたしは、わたしが信じた道をいくまでだ!」
互いに剣の切っ先を地面にこすらせ、振り上げる。虚空を斬りつけ、切っ先が天へと向いたとき、緑の渦巻く風が発生する。属性石を9個装着することで可能になった長剣の属性攻撃だ。
彼もまた9等級の武器。
属性石も同じく緑で9個装着ずみだった。
互いの渦巻く風がぶつかり合い、周辺に激しい風を散らしはじめる。
シビラは風がやむよりも早く、《ゆらぎの刃》を生成して突っ込んだ。緑の風を抜けた先、堂々と待ち受けるニゲルが映り込む。そのまま斬りかかる勢いでシビラは剣を振り上げる。
が、ニゲルの姿がすっと色を失くしたように消えた。
もちろん幻覚でもなんでもない。
9等級の魔法――《テレポート》だ。
彼は達人級の剣の使い手でありながら豊富な魔力を有する奇異な存在だった。
忘れていたわけではない。ただ、《テレポート》の魔石を彼が入手したのは2日前。見るのも2度目なこともあり完全に反応が遅れた。
振り向いたとき、すでにニゲルの剣が間近まで迫っていた。突き出された切っ先がこちらの体を捉える――瞬間。
なぜかニゲルが素早く剣を引いた。
いったいなにをしているのかと思った、そのとき。
視界の左端から1本の矢が飛んできた。
それをニゲルは剣で弾く。さらに向かってきた青白い極太の光線――《フロストレイ》を素早く生成した緑の斬撃をもって相殺する。
シビラはいまのうちにとニゲルから距離をとった。
「うわぁ、あっさり防がれちゃった……」
「さすがに簡単にはいかないか……」
そう言ったのはアッシュ・ブレイブのチームメンバーの2人。どうやら先の攻撃は彼女たちのものだったようだ。
たしか弓使いがルナ。
ヒーラーがクララといったか。
「助けてくれたのは感謝する。だが、下がっていろと言ったはずだ」
シビラは厳しい声音で言う。
だが、彼女たちは引き下がることなく、その場に留まっていた。
「それもいいかと思ったけど……冷静に考えたら彼がいる限りはどこへ逃げても同じだと思ってね」
「そ、それにアッシュくんが言ってたから! シビラはいい奴だって!」
――いい奴……か。
アッシュとはそれほど長い時間を過ごしたわけではない。にも関わらずそんな評価をされていたとは思いもしなかった。ただ、その評価はこちらも同じだった。
アッシュの仲間ならそれだけで信用に値する。
「この男は強い。おそらく島にいる誰よりも。わたしひとりではとうてい勝てそうにない。だから……すまない。2人とも手を貸してくれ」
「もちろんっ!」
「言われなくとも!」
そう応じながら、クララとルナが身構える。
先ほどまでひとりで戦う気でいたこともあり、彼女たちの存在が本当に頼もしく感じた。
構図的にはこちらから見て正面にニゲル。
その左側の少し離れたところにクララとルナが構えている状態だ。
「3人か。これはわたしも本気で戦う必要がありそうだ」
ニゲルがゆっくりと視線を巡らせたあと、無造作に剣を下ろした。なめらかに腰を落とし、左手を地面に押しつける。その腕につけられた2本の腕輪が触れ合い、からんと音を鳴らす。
――まずい。
「2人ともっ、彼から距離をとれッ!」
急いで叫ぶが、遅かった。
ニゲルを中心とした巨大な魔法陣が地面に描かれた。腹に響くような音が聞こえたのは一瞬。隆起した地面によって体が上空へと勢いよく打ち上げられ、視界に映っていた景色が一気に下へと流れる。
9等級の魔法、《アースクエイク》だ。
地面のあちこちが広範囲に渡ってせり上がっていた。
クララとルナもまた空中に打ち上げられている。
ニゲルがせり上がった地面の上を《テレポート》で移動しながら、クララたちのほうへと向かっていた。クララが《テレポート》を魔法と判断したのだろう。左手を突きだして《サイレンス》を試みたようだが、ニゲルの体に巻きつけるように発生した黒い影は弾けるように散った。
「無駄だ」
ニゲルは妨害魔法をひどく嫌っている。それもあって常日頃から防具には黒の属性石をふんだんに装着し、耐性を高めに高めている。おそらく属性石7、8個程度の強化では彼への妨害魔法は効かない。
ニゲルがせり上がった地面に剣を走らせ、虚空を斬るように振り上げた。それも2度。放たれた2つの渦巻く風が向かう先はクララとルナ。打ち上げられたこともあり、回避もとれずに彼女たちは成すすべなく直撃を受けた。まるで殴られたように弾かれ、遠くへと飛ばされてしまう。
地面に叩きつけられた彼女たちは気を失ったか。
揃って動かなくなってしまった。
ニゲルが《テレポート》を使って彼女たちのほうへと向かっていく。おそらくトドメを刺すつもりだろう。
シビラは体が落下を始めたのを機に下方へと《ゆらぎの刃》を生成。無理矢理に着地した直後、またも《ゆらぎの刃》を使って自身の体をニゲルのほうへ向かって撃ちだした。
ニゲルとの距離が一気に縮まる。横合いから思い切り斬りかかるが、直前で剣を割り込まれた。だが、勢いではこちらが勝っていたからか、遠くへと弾き飛ばすことに成功する。
「彼女たちをやらせはしないっ」
シビラは再び生成した《ゆらぎの刃》で自身を撃ちだす。
すでにニゲルは地面に着地し、体勢を整えていた。
剣の切っ先とともに鋭い目をこちらに向けてくる。
「もう仲間気取りか」
「貴様よりもよっぽど信頼できる仲間だ!」
互いに突きだした剣の切っ先が触れ、ずれた。
刃先がこすれ合い、透き通った金属音を響かせはじめた、瞬間――。
ニゲルの剣がかすかに跳ね、こちらの剣を弾かれてしまう。
最小限の動きだったこともあってか、彼に硬直はない。
「ではわたしは敵として容赦なく相手をさせてもらおう」
ニゲルによって素早く振り抜かれた剣に右脇腹を裂かれた。
「くは――ッ!」
シビラはニゲルの横を通り過ぎたのち、体勢を崩したまま地面を転がった。かなり深めに斬られた。あまりの痛みに意識が途切れそうだ。見たくはないが、おそらくかなりの血が流れている。
だが、早く起き上がって剣を構えなければ殺される。
その一心から、シビラは痛みを堪えてなんとか立ち上がった。
視界の中、ニゲルが悠然と歩いてくる。
長い間、彼とともに魔物を狩り、その実力のすべてを知った気でいたが――どうやら間違いだったらしい。思っていた以上だ。まったく底が知れない。
ただ、もとより単純な打ち合いで勝てるとは思っていなかった。
シビラは剣を地面に刺す。
と、ニゲルとの間に2本の《ゆらぎの刃》が出現した。
先ほどすれ違ったあと、虚空を斬りつけておいたのだ。
この技に関してはニゲルにすら教えていない。
ニゲルがこちらに振り向き、ゆっくりと向かってくる。
このまま行けば彼の脚と首を取れる。
あと3歩、2歩。
1歩――。
と、そこでニゲルが足を止めた。
「わたしはきみのことを高く評価している。無駄に空振りをすることはないと思うぐらいにはね」
彼は2度、剣を振るった。
その剣閃は狂いなく《ゆらぎの刃》を断ち切り、消滅させる。
「なっ」
見えていたのか。
いや、そんなはずはない。
考えたくはないが……こちらが斬った場所を正確に把握していたのだ。
「その様子からして、わたしの予想はどうやら当たっていたようだな。……なるほど、ジグラノを倒したのもこの技ということか」
ニゲルは勝ち誇ることもなく、泰然と距離を詰めてきた。
格が違いすぎる。
まるで勝てる気がしない。
だが、ただでやられるわけにはいかない。
一矢報いんとシビラは支えにしていた剣を抜き、構えた。
その瞬間だった。
《テレポート》で一気に距離を詰められ、左肩を剣で貫かれたのは――。
剣が引き抜かれ、シビラはその場に倒れてしまう。
「く、あっ……」
もう痛みを感じることはなかった。
ただただ無力感だけに支配されていた。
シビラは呻きつつ地面についた顔をなんとか動かす。
見上げた先、ニゲルが下向けた剣をいまにも落とそうとしていた。
「ここまでこられたのは間違いなくきみのおかげだ。感謝している」
放たれた無感情なその言葉とともに、ついに剣が落とされる。
――みんなが笑顔でいられる平和な世界を。
そう願った兄の願いを叶えるため、歩んできた。
だが、結果はこのざまだ。
憧れ、尊敬していた者に利用され――。
挙句の果てには殺されようとしている。
お兄様……わたしは無力でした。
シビラは唇を噛み、ぐっと拳を握る。
溢れた涙がかすかに頬を伝い、こぼれ落ちた。
その瞬間――。
金属音が響き渡った。
いったいなにが起こったのか。
先ほどまで近くにいたニゲルがいない。
代わりにべつの誰かが眼前に立っている。
涙でぼやけてはっきりと見えない。
ただ、それは幼き日にずっと追っていた兄と同じ背中だった。
兄のことを思いだしていたからか。
きっと幻覚でも見ているのだろう。
どうやらすでに死を迎えていたようだ。
そう思いながら、安らかな気持ちで眠りにつこうとしたときだった。
「悪い、遅くなった」
シビラは思わずまぶたを跳ね上げた。
兄の声ではない。
それは新しく友として刻まれた者の声だった。
ぼやけていた視界が一気に鮮明になった。
はっきりと映し出されたその人物を見た瞬間、シビラは思わず声をあげる。
「アッシュ……ブレイブ…………ッ!」





