◆第十二話『ゲドナの戦士』
アッシュは腰裏の剣帯からスティレットとソードブレイカーを抜いた。威嚇しながら、眼前に現れた弓使い――ナクルダールへと問いかける。
「これはどういうつもりだ?」
「どういうつもりもなにもお前を殺したいだけだ、女好きのアッシュ」
ナクルダールがそう答える。
口調は軽いが、嘘をついている様子はない。
「ま、ぶっちゃけちまうと、マスターのご意向って奴だよ」
おどけたように肩をすくめ、彼は話を継ぐ。
「これから俺たちアルビオンは世界を支配するために島の外に出る。その邪魔になるかもしれない挑戦者を排除しようってわけ」
「支配……またえらく物騒な言葉だな」
なんともぶっとんだ話だが、動じる暇はなかった。
奇しくも本気で命を狙われたことが冷静さを保たせてくれた形だ。ただ、疑問は残る。
「いくらアルビオンでも島の奴ら全員を相手にどうにかできるとは思えないな」
「逆に訊くが、俺たちがそんなことも考えずに動くと思ってんの?」
もっとも大きな障害となるのは《ソレイユ》とレッドファングだろう。そんな彼らを簡単に無力化する方法はなくはない。
「……人質か」
「ご名答」
「そんな卑怯なやり方、シビラは納得してるのか? いや、世界を支配するなんてことからして、あいつが納得してるとはとても思えない」
みなを笑顔にしたいとシビラは願っていた。
それは言葉だけの上っ面なものではなく信念のようだった。彼女のような頑固な人間がそう簡単に考えを曲げるとは思えない。
「納得もなにも先輩は知らないからな」
ナクルダールはそう答えると、遠くを望むように視線を上げた。
「あの人は純粋すぎるんだよ。そう、真っ白なんだ。けどそこがいい。だって俺の好きな色に染められるだろ?」
言って、下卑た笑みを浮かべる。
なまじ顔が整っているからか、余計にその醜悪さが際立った。
「とんだゲス野郎だな」
「お前に言われたくないねぇ、アッシュ・ブレイブ。俺の先輩に手を出しやがって。ちょうどよかったよ、こうしてお前をやれる機会ができて――ッ!」
ナクルダールが上空へと矢を放った。初めは緑色の風を纏っていた矢が落下を始めると同時に閃光を放ち、落雷のごとく凄まじい勢いで急降下してくる。
初めこそ驚いたが、この場に誘導される間にもう何度も見てきた攻撃だ。アッシュは素早く前へと踏みだし、落下地点から逃げ延びる。矢が地面に落ちたのか、後方でばしんと乾いた破裂音が響く。
その間に距離を詰めようとするが、こちらの接近を読んでいたかのように敵は飛び退いた。さらに1本の矢を放ってくる。
移動しながらだというのにおそろしく正確にこちらの眉間を捉えている。アッシュは舌打ちしつつ、真横へと回避する。完全に前へと進む勢いをそがれた。
「無駄だぜ! 俺は走りながら撃つのも得意だからな!」
遠距離戦では無類の強さを誇る弓使いだが、対峙しての1対1には弱い。接近されれば弓を射る間がないからだ。にも関わらず闘いを挑んできたのは絶対に間合いを詰められない自信があったからというわけか。
ならば、とアッシュはスティレットで虚空を斬った。放たれた白の斬撃が猛然と突き進んでいく。
ナクルダールもまた矢を放っていた。渦巻く緑の風を纏った矢が白の斬撃とぶつかり合う。白と緑の光が空中で混ざり、弾けるように散る中、1本の矢が勢いを止めることなくこちらに向かってきた。
アッシュは顔をそらす。だが、あまりの速度に反応しきれず、頬に傷をつけられた。つー、と血が流れていく。それを見てかナクルダールが満足気に笑う。
「そういやレリックなんてもんを持ってるんだったな。けど残念だが、こっちも9等級なんだよッ!」
ナクルダールは80階を突破したチームの一員だ。
9等級の武器を持っていたとしても驚きはない。
問題は遠距離攻撃の差だ。
相手の矢が纏った緑の属性は相殺できたが、矢の勢いをそぐことはできなかった。どうやら遠距離戦で相手に分があるのは変わらないようだ。
ナクルダールが再び落雷の矢を放ちはじめた。
さすがというべきか、躱しにくいように時間差をつけて撃ってくる。それでもなんとか機を見て距離を詰めようとすれば鋭い矢で牽制してくる。
――これは慣れるまでに時間がかかりそうだ。
「なかなか頑張るじゃねぇか! だったらこれならどうだ!」
ナクルダールがそう叫びながら、薬指、中指、人差し指で右耳に垂らしたイヤリングを弾いた。その手に3本の矢が握られ、一斉に放たれる。
先ほどまでの落雷矢がただ別々に襲ってくるだけならまだいい。だが、上空で同時に落下しはじめた3本の矢は混ざり合うようにして纏まっていた。明らかに威力が増している。
アッシュは距離をとるために全力で駆けた。
肩越しに振り返ったとき、地面へと触れた3本の落雷矢が激しい炸裂音を響かせながら、明滅する黄色の光を放射状に迸らせていた。アッシュは間近の足場まで迫ってきたそれを避けるため、前方へと飛び込んでなんとか逃れた。
「どうだ、すごいだろ! これが9等級の弓だ!」
ナクルダールが勝ち誇ったように叫びながら、またも3本の矢を上空へと放つ。
あんなものをまた放たれたらたまったものではない。
アッシュは即座にスティレットを振り、3本の矢へと白の斬撃を衝突させた。弾けるように白の光は消滅するが、同時に矢に纏わりついていた緑の風も消滅した。3本の矢は落雷と化すことなく頭上を通り過ぎていく。
あの落雷の矢、血統技術かと思ったがどうやら違うらしい。
これなら落雷のほうは無力化できそうだ。そう思ったとき、異物が近づいてくるのを感じて身を投げた。先ほどまで立っていた空間を風を纏った矢が勢いよく通り過ぎていく。
「消されることも想定してるに決まってんだろー?」
またもナクルダールによる落雷の矢と通常の矢を織り交ぜた連撃が始まる。アッシュは体勢をなんとか崩さないようにとまろぶように避けては素早く立ち上がり、回避に専念して逃げ惑う。
「たしかに結構やるけど……ま、結局は格下だな」
ナクルダールが残念だとばかり息を吐いた。
その間にも手を止めることなく矢を放ち続けている。
「そういえば、お前のチームの……あ~、なんて言ったか。ああ、そうだ。クララとかいう奴。あいつだけはマスターが自分の手で殺すって言ってたな」
アッシュは駆けながら目を細めた。
なぜニゲルがクララを狙うのか。
その理由に心当たりはあったが……。
――クララが殺されるかもしれない。
いまはその情報を知れただけで充分だった。
「早くいかないと仲間が殺されちまうぜ。ま、俺がいる限りいけるわけない――」
「本当にお喋りな奴だな」
アッシュは落雷の矢を避けた直後、一気に前へと駆けた。敵が慌てて放ってきた風の矢にあわせ、こちらも白の斬撃を放つ。
白と緑の光が相殺された中、抜けだした矢がこちらに向かってくるが、アッシュは紙一重のところで回避。一気に距離を詰めんとする。
「――無駄だ。もう目が慣れた」
「はっ、なに強がってんだよ!」
ナクルダールが後退しつつ、また矢を放ってきた。こちらも応戦するが、今度は放った白の斬撃の真後ろについて駆けた。眼前で衝突する白と緑の光。先ほどよりも際どいところを矢が通り過ぎていくが、当たる気はしなかった。
相手もまた後退するが、こちらはさらにそれを上回る速度で距離を詰めた。アッシュは正面から斬りかからんと脅したあと、弓を蹴飛ばし、素早く背後に回り込んだ。相手の短剣を収めた鞘を切り離したのち、両足を首に絡めて締め上げる。
「ぐぁっ」
ナクルダールが後ろに倒れ込み、もがきはじめる。
「ク、クソッ! なん、なんだよッ、お前……ッ!」
容赦なく締めたせいか、初めは威勢がよかった敵も声が出せなくなったようだ。ただ、さすがは挑戦者。体のほうはまだ暴れていた。アッシュはトドメとばかりに両肩へと短剣を刺し込む。
「ぁあああああああッ!」
それが意識を手放すきっかけとなったか、ナクルダールの全身から力が抜けた。ぐったりとしたまま動かなくなる。アッシュは脚を外したあと、ゆっくりと立ち上がる。
見下ろした先、ナクルダールは見事に白目を剥いていた。
完全に相手の油断から生まれた勝利だ。実力的に見れば、これほど簡単に倒せる相手ではなかっただろう。仮に油断がなかったとしても負ける気はしなかったが。
かなり深い傷を負わせた。ヒールで治癒したところでそう簡単に治りはしないだろう。だが、目を覚ました際になにかしでかす可能性がないとも限らない。
アッシュは近くに落ちていた弓を拾い、海のほうへと放り投げた。この辺りの外縁は切り立った崖になっているので途中から見えなくなったが、間違いなく海に沈んだはずだ。
ひとまずの危機は脱したが――。
クララが心配だった。
ルナがついているとはいえ、相手はニゲルだ。
その戦いぶりを見たことはないが、立ち居振る舞いや纏う空気感からしてナクルダールとは一線を画す力を持っているのは間違いない。
――頼む、無事でいてくれよ……ッ!
アッシュははやる気持ちに押されるがまま、彼女たちがいるであろう中央広場へと駆けた。





