春—―2
春の訪れは、タピオの胸にもやわらかな光を落としていた。
ルージェは彼にとって、樹木のあいだからこぼれる木漏れ日のような存在だった。
あたたかく、明るく、そばにいるだけで心がほどけた。
まるで、小さな太陽のようでもあった。
けれど、その光に包まれていると、なぜか歌への情熱は少しずつ薄れていった。
歌はなお彼の中にあったが、以前のような切実さでは燃えなくなっていった。
それでも、ルージェが微笑むのを見るために、タピオは夜ごと歌った。
彼女は目を細めて耳を澄ませ、ときおり嬉しそうに小さくうなずいた。
その姿を見るたびに、タピオの胸には静かなぬくもりが満ちた。
けれど同時に、どこか遠くで、まだ名もない風が吹いているようでもあった。
その胸には、どこか満たされないものが残っていた。
ある日のことだった。
春の陽気がふいに崩れ、小雨が降り出した。
遠くには虹が淡くかかっていた。
タピオはルージェとともに窓からその虹を眺めていた。
窓ガラスには細かな雨粒が光り、外の森はしっとりと色を深めていた。
ルージェは「きれいね」と小さく微笑んだ。
その声はやさしく、春の雨のようにやわらかだった。
そのやわらかな色を見つめているうちに、胸の奥に言いようのない空しさがひろがった。
そして、虹の淡い光の向こうに、ふいにアイリの面影が浮かんだ。
けれど、今そばにいるのはルージェだった。
彼をあたため、支えているのも、また彼女だった。
タピオは、どうしてそんな想いにとらわれるのか、自分でもわからなかった。
ただ胸の奥だけが、静かに揺れていた。
雨の音がタピオの胸の奥まで沁みこんできた。
このままでいいのかと、ふいに思った。
自由だったころの風が、どこか懐かしくなった。
今の暮らしはあたたかいはずなのに、そのぬくもりがかえって彼を戸惑わせた。
タピオは必死にその面影を振り払おうとした。
けれど、振り払おうとするほど、アイリの姿はかえって鮮やかに胸に焼きついた。
小雨が降っていた。
彼のこころに静かな音をたてて。




