第三十三話:釣った魚
Diorって言えば俺でも知ってる高い店。まさかそっちにも行く気だったのか。高校生が使うものだぞ?
「申し訳ございません。特典が始まってからしばらく経ってしまっているので、千葉県内ですと在庫がもうないかと……」
駆けてきた店員にそう言われ、七海は「そっかー。ありがとうございます。もう少し検討してみます」と店を出た。店を出ても頭を下げて見送りしてくれるあたり、さすが高級店だ。
「トイレ、寄っても良いですか?」
控えめに聞く綾香ちゃんに、二人そろって頷く。綾香ちゃんが行っている間、俺たちは近くのソファに座った。
「七海。高校生……それも今日会ったばかりの子に、買うようなものじゃないよ」
俺がそう言うと、七海はぽかんとした顔をした。
「あはは。男子には分からない世界だよ。君ら男子がNIKEとかアンダーアーマーの靴や服で盛り上がったりしてたのと、同じようなもの。価格帯だって似たようなもんだよ」
俺は高校時代、そんなスポーツウェアに盛り上がったり一喜一憂したことはない。だから余計首を傾げた。でも七海がそう言うなら何か意図があるんだろうと、不満に蓋をした。
「お待たせしました」
駆け足で、ハンカチ片手に戻ってきた綾香ちゃんを見て、七海がぽろっと言う。
「今の子、トイレ行ったらハンカチで手ふくんだね。というか洗うんだね」
「七海、それは絶対言うな」
綾香ちゃんに聞こえないよう、俺は急いで七海の口を手で塞ぐ。十代、ましてや仲良くもないおばさんがそんな爆弾発言をしたら、一瞬でこの先の空気に不穏が立ちこめる。
「あ、あの。これ……とかどうですか?」
綾香ちゃんが俺たちにスマホの画面を見せた。
「あ〜ジルね。盲点だった。かわいい方がいいか」
「私はシンプルな方が好きだからね」
画面には、メルヘンっぽい可愛さのある商品が並んでいる。ジルスチュアートと書かれたサイトは、さっきよりは手頃な価格帯だった。
「明日、百貨店行くか。柏駅にあった気がする」
決まったようで、七海の足取りが一気に軽くなる。
「アイシャドウとリップかなー。リップは見て分かるくらいかわいいし、アイシャドウは減り遅いから長く楽しめるよ」
自分が買うわけでもないのに、なんでそんなに上機嫌なんだろうか。
「七海さんは、化粧品が好きなんですか?」
七海の性格上、そんなことはないだろうけど。俺にもそんな疑問が浮かんだ。
「いや?」
やっぱりそうだ。めんどくさくて、社内でコード打ってるだけの日はスウェットにノーメイクで会社に乗り込む七海が、好きなわけない。
「でも、たかだか数千円のメイク一つで釣った魚はデカかったってだけ」
そう言って、ニヒルに笑って俺を見る。まんまと釣られた魚は俺ってことか、と気づいてこっぱずかしくなる。幸い、綾香ちゃんは首を傾げていた。
「何が一生の出会いになるか分からないってことだよ。興味なくても、持ってるだけでその機会が増えるなら、持ってた方が儲けもんだよ」




