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肝試しから約半日が経った。時間はちょうど昼時なので、校内は昼休みの時間帯である。
昼食を済ませた遙一は、一人校舎の裏で壁に背を預けて座っていた。
両手で眼前に掲げたスマートフォンの画面には何も映っていない。真っ黒の画面にはただ遙一の顔だけが反射していた。
「煙ってそんなにおいしいものなんかね」
と、遙一は淡々と心に思ったことを口にした。
目の前には夜間に足を踏み入れた雑木林が広がっていた。おそらく今、三枝と鷹谷が雑木林の中で喫煙中だろう。
校舎裏の雑木林は日中でも暗いため人は寄り付かない。なので、喫煙にはもってこいの場所なのだろう。ただし、人が寄り付かないとは言ってもそれは『滅多に』であって『絶対』ではない。ごく稀に生徒指導の教員が見回りにやってくるのだ。
その見回りとは校舎裏から雑木林を抜けて旧校舎まで行き、また戻ってくるというごく簡単なものだ。逆に言えば生徒指導以外にやってくるものはいない。見回りは朝やってることもあれば昼休みや放課後やってることもある。不定期かつ不規則だ。
最近見回りに出くわしたのは一週間前の昼休みで、ちょうど二人が喫煙を済ませて戻ってきた時に生徒指導がやってきた。
遙一たちは昼食後いつもここでたむろしているから、それほど怪しまれるということはない。それに二人は携帯灰皿を持ち歩いているので、雑木林の中でタバコの吸い殻を残すようなことはしない。だから校舎裏で見つかっても、ちらっと視線を寄越されるだけで何も言われずに見回りが続行されるのが常である。
そして、遙一が目の前に意味もなく掲げているスマートフォン。実は万が一見回りがやってきた時に、素早く三枝たちにメッセージアプリで連絡がとれるようにと待機させているのである。もし連絡を取れば、見回りに使われている道とは別のルートで二人は雑木林から出てくることになっているので、生徒指導とは鉢合わせすることはないのだ。
ここで別のルートと述べたが、この雑木林には二つのルートが存在する。
一つは見回りで生徒指導の教員が通る通常ルートだ。昨日肝試しの際に通ったのもこの道であり、校舎と旧校舎を結んでいる唯一の道である。通常ルートの道の左右は腰の高さまである茂みに挟まれていて、道幅は二人分あるかないかというくらい、地面は湿気を含んだ柔らかい土が剥き出しになっている。
そしてもう一つが予備ルートだ。
遙一が今いる位置からは、雑木林は通常ルートの入り口以外は一見背の高さまである茂みに阻まれているように見えるが、よく見ると人一人分が通れるスペースが奥まで続いている道がある。無理矢理でならば通れないことはない。行き着く先は旧校舎ではなく、通常ルートの真ん中辺りに出るようになっている。連絡をとると三枝と鷹谷はこの予備ルートを使って雑木林から出てくるのだ。
それ以外の場所には踏み込もうとしても、背の高さ以上ある茂みや、そこかしこに生えている木々に阻まれるので、立ち入ることは不可能ではないが、下手をすると軽い遭難状態に陥ってしまうだろう。
二人はいつも時間にして五分くらいで喫煙を済ませて雑木林から戻ってくる。三枝たちと分かれてからそれくらい経つのでもうそろそろ戻ってくるはずだろう。
その時、視界の端の辺りで何かが動いた。
遙一は顔を上げた。それと同時に雑木林の中で木々の間を人影が移動した。
一瞬、二人が戻ってきたのかと思ったが違った。人影が動いた場所は通常ルートでも予備ルートでもなかった。
予備ルートの入口は通常ルート入り口の右側にある。人影は通常ルート入り口の左側で見えたのだ。
遙一は眼前に掲げていたスマートフォンを視界から下ろすと、人影が見えた辺りを注視した。
木の陰から人影がまた出現する。
遙一はその後ろ姿を微かに捉えることができた。
セーラー服に腰まである長い黒髪。まさしく深夜の旧校舎の屋上で見た少女だった。
少女は淡々とした足取りで彼女の背丈以上もある茂みの中へと入っていく。そのルートは今並べた通常ルートでも予備ルートでもない。おそらくひたすらに茂みの中を突き進まなくてはならないはずだ。
遙一は咄嗟に考えた。
追うべきか。それとも無視して三枝たちを待つか。
二人が戻ってくる気配はまだない。見回りが来そうな気配もない。
(つけてみるか)
遙一は徐に立ち上がると、少女が入っていった雑木林の方へと向かった。
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それは道なき道だった。
茂みの中を掻き分けて進むので普通に歩くよりも何倍も時間がかかっている気がした。今どの辺りにいるのかわからない。どちらを向いて進んでいるのか、真っ直ぐに進めているのかすらわからない。それ以前にいつの間にやら少女を見失っていたので、もはや尾行とは言えない状態だった。
(どうやったらそんな早く進めるんだよ)
遙一は少女をつけたことを後悔し始めていた。まさか遭難したりしないよな、という危惧さえ抱いていた。
立ち止まって頭上を仰いでみるが、あちこちにある木々の枝葉が絡み合っていて日差しをほとんど遮っている。またそれは視界をも塞いでいた。旧校舎か校舎の建物の一角でも発見できれば方角がわかって戻ることができるのだが、全く見当たらない。
「こりゃあ不味いかな」
遙一の顔が段々と引きつっていく。樹海じゃあるまいし、校内の雑木林で遭難するなんてことは是が非でも避けたかった。
少しでも通常ルートから逸れれば簡単に迷ってしまう。この雑木林に誰も近づかないのはこれが最たる由縁である。
「勘弁してくれよ。これじゃあいい笑い物じゃねーか」
げんなりしながらスマートフォンを取り出し、三枝に連絡を取ろうとした。が、操作している時に、風もないのにざわざわと枝葉の擦れあう音がしたので、その方角へ目を向けた。
「あ!!」
遙一は目を見開いた。数メートル程先で長い黒髪の先端が、まるで去っていく蛇の尻尾のようにうねりながら木の陰に隠れたのだ。
あの少女だ。引き離されたと思っていたが、案外近くにいたようだ。
遙一はなるべく音を立てぬように少女の後を追い始めた。それからすぐに、遠くの方に旧校舎の屋上が見えてきたのである。
「よかった。これで出られる」
砂漠地帯でオアシスを見つけたかのように早足で進む。
最後の茂みをかき分けて、遙一はようやく雑木林から出ることができた。