3− 3 二冊の本
「 翼族の歴史 」
たった一言だが、リトを釘付けにするには十分だった。
そして、表題よりも目立つ「持ち出し厳禁」の赤い印。
リトはそっと本を手にする。 そんなに大きい本ではない。 普通の書物と同じサイズだ。
だがしかし、かなり古い。 いや、本の始まりと最後では紙の色すら違う。 開けてみるとそれは科学魔法で書き足しができる本になっていた。 ページの一番上に「元号*年 *月補足」と書かれていたからだ。
リトはこれを借りてみたいと思った。
ちらりと見ただけだったが、そこには細かい文字でびっしりと書かれていた。 どう考えても今日の学びの時間で読めるしろものではない。 しかし持ち出し厳禁だ。
どうしよう
リトがそう思った時、背後から誰かが近づいてきた。
「りーちゃん!」
その主は背後から、小声でリトを呼んだ。
リトの事をそう呼ぶのは一人だけだ。
「デイ王子」
リトも振り向きながら名を呼ぶ。 案の定、そこにはデイ王子がいた。
「あー、めっちゃ久しぶりに王子をつけてもらった気がする」
デイは照れくさそうに笑う。 そしてリトの隣に来る。
「歴史の本を取りに来たんだけど、ちょーど良かった。 りーちゃんに聞きたいことがあってさ」
「ラムール様と佐太郎さんのこと?」
「そっ。 昨日は俺、レイホウが来るんで王宮を抜けられなかったんだよねー。 だから一昨日も陽炎の館に遊びに行ったのに全然何も知らなくてさ」
一昨日。 弓がリトの村に来た日である。
「あれ? あの日遊びに行ってたの?」
確か羽織達は途中でオルガノ村に来たはずだが。
「仕方ないから世尊と二人で楽しんだよ」
何を楽しんだのか。
「それはそうと、りーちゃん、昨日、なんでせんせーと佐太郎さんが喧嘩したの? 今朝、近衛兵から話しを聞いてさ、俺、びっくりしたよ」
「ラムール様からは聞いてないの?」
「せんせーは、ちょっとここの所忙しくてさ。 今日もいない。 会ってもいないし」
デイはしゃがみこむと本を探した。
「時々、せんせーは業務多忙になるんだ」
そして一冊の本を取り出す。 テノス国の歴史書のようだ。
「で、りーちゃん、何があったの?」
リトはちょっと考えた。
どこまで何を話せばいいのやら。
しかも話して良い事なのか。
「まーまー、そんなに構えないでさ。 どーせ隙をみて佐太郎サンとこ遊びに行くつもりだから。 そっちで聞いてもいいんだけど、やっぱ気になるじゃん? 早く知りたいし、手短に」
「えーっと」
リトは考えた。
「弓達を育ててくれた、保護者の方――が、前に亡くなったの、知ってるよね」
デイの顔が微かに青ざめる。
「あ、ああ。 一夢さんと新世さんね。 で?」
「その亡くなった理由と、お墓の場所を教えて欲しかった、みたい」
「で? せんせーが教えないって?」
「そんな感じ」
「……」
デイは黙り込んで考えた。 だからリトは思わず尋ねた。
「デイは、どうしてだと思う?」
「ありえない、かな」
「ありえない?」
「せんせーが理由もなしに教えないなんてありえない、ってこと」
デイはフッ、と息を吐いて何かを思い出すように言った。
「理由はなんだと思う?」
リトは更に尋ねた。
デイは少し遠い目になった。
「まだ触れて欲しくないんだと思う。 せんせーは時期がきたら教えてくれるさ」
デイの心に浮かぶものは何だろう。 リトには分からなかった。
「ところで、りーちゃんは何の本を読むの?」
この話は打ち切りとばかりにデイは話題を変える。
しかし明るい笑顔をみせたデイの顔も、リトが手にした本の題名を見ると途端に曇る。
「どうしてそれを?」
そうデイに尋ねられたがリトも何と答えて良いか。
「……えっと、私ってさ、何も知らないから」
「知らなくてもいいんじゃないかな? 知ってどうするの?」
明らかにデイは止めたがっていた。
「わかんない」
「ねぇ、りーちゃんは巳白や清流が怖い?」
「え? あ、それはない」
「怖くない?」
「うん」
「なら知らなくてもいいんじゃないかな?」
デイの言うとおりかもしれないが。
「私は怖くないけど、村の人とか怖がる人もいるでしょ? どうしてかなって思ったの。 多分だけど」
リトもなぜこの本に興味が沸いたのかは本当は分かっていなかった。
デイはじっとリトをみつめた。
「……人からの話で主観をすり込まれて知識を得るより、自分で判断したほうが、りーちゃんはいいかもしれないね」
そうぽつりと言った。
デイはもう一度本棚に目をやると何かの本を探す。 そして薄い黄色の背表紙の本を取り出す。
そこには
「 翼族の生態 」
と書かれている。
「一つ約束して欲しいんだけど、そっちの歴史の本を読んだら、次は必ずこの生態の本も読んで欲しいんだ。 全部」
真剣な眼差しだった。 リトは思わずたじろぐ。
「あ、でも、この本は持ち出し禁止だから、読むにしても時間が足りなくて」
まずはそこが重要だった。
「そっか。 なら、同じ本を俺が持っているから、後でせんせーの居室のテーブルの上に置いておくよ。 後で取りに行って」
あっさりとデイが言う。 しかし――
「事務室じゃなくて?」
居室はラムールのプライベートスペースな訳だが。
「うん。 ちょっと簡単に他の人の手には渡したくないものだから。 レイホウがいなかったら渡しに行けたりするんだけどさ。 事務室は誰でも入れるだろ? 居室ならへーきじゃん」
「だってラムールさまが……」
別にこそこそと探っている訳ではないが何となく後ろめたい。
「せんせーは忙しいって言ったろ? ちょっと訳アリでさ。 しばらく帰らないから平気。 読みたくなかったら借りなくてもいいよ。 とりあえず置いておくからね」
デイの口調が早口になる。 誰かが近づいてくるようだ。
「デーイ♪ ココに、イた」
隣国なまりのテノス語でレイホウ姫が顔を出した。
「おまたせ。 今行く」
デイは優しく微笑んだ。
レイホウの後ろには警備の近衛兵が3人ついている。
「んじゃね、りーちゃん」
デイは手を上げて一言言うと、去っていった。
デイの後を追いかけていたレイホウは一度立ち止まると、ふりかえり――
リトを、見据えた。
その後、リト達は来た時と同じように通路を通って白の館に戻った。
これからお昼を食べた後は午後の学び、礼儀作法である。
女官達はみな、午後の礼儀作法の授業は真面目に受けよう、と話し合っていた。 テノス国本館で公の場というものを肌で感じてしまい、危機感を覚えたのである。
「だけど弓は気にしてない、っと」
部屋に戻ったリトは言った。 弓は脇目もふらず編み棒を動かしている。 集中しすぎて返事もない。
食堂にお昼を食べに行こうかと思ったが、どういう訳か食欲がない。
それはきっとデイが貸してくれるあの本の事が気にかかっているからだ。
リトはデイが去った後、本を開いてみた。 細かい文字でかなり長い文章だった。
内容は歴史というよりも、現存した翼族の起こした事件等が書かれているようだった。
リトは部屋を出て、ラムールの居室に行ってみることにした。
リトはノックをして、居室に入った。
しぃんとして何の気配もない。 モモンガ犬や猫鳥もいない。 陽炎の館に帰っているのか。
「ラムール様?」
リトは呼びかけてみる。 当然ながら、返事はない。
綺麗に片づけられた室内。 家具こそあれ、まるで空き部屋のようだ。
テーブルに近づくと、本が2冊揃えて置いてある。 勿論「翼族の歴史」と「翼族の生態」。
リトはそれを手にすると、ちょっと考えてラムールの居室の本棚に行った。
それからくるりとあたりを見回し、一冊のぶあつい本を取り出す。
「世界甘味百科……これこれ」
それはかなり厚みのある百科事典で、中は各地の甘味名物、甘味処、作り方等が載っている。
見ているだけで食べたくなるのでダイエット中にはおすすめできない一品だ。
初めてリトがこの部屋に入らせて貰った時、この本のことで盛り上がったのだ。 だって部屋に入った時、ラムールが読んでいたのだから。 面白いでしょ、読みたかったらいつでも借りに来ていいですよ、私がいないときは勝手に借りて構いません、とラムールからおすみつきを貰ったのだ。
これを借りていけば勝手にラムールの部屋に入った言い訳もたつ。
――3冊、借ります!
リトは誰もいない空間に向けて頭を下げ、本を持って居室を出る。
扉を開けて、廊下に出て、扉を閉める。
そして階段を下ろうと振り返ると――
「おとなしくしろっ!」
見た事もない近衛兵達が4人、リトを取り囲んで腕を掴んだ。
彼らの後ろには、あの姫がいる。
その意志の強そうな瞳でキッ、とリトを見つめている。