3- 2 皇女レイホウ
「これは殿下。 おはようございます」
女官長が優雅に服の裾を持ち、頭を垂れて挨拶をする。
慌てて女官達も真似をしておじぎをする。
「おはよう。 女官長。 みな、顔を上げなさい」
よく通る声でデイが返事をする。
みんなデイの言葉の通りに顔を上げる。
デイはきちんと髪を整え、王族の服に身を包み、皇太子としての威厳に溢れている。
――別人。 絶対、別人だわ
リトは目の前のロフトの手すりからこちらを見ているデイ皇太子を見つめて思った。
デイは頻繁に、髪も整えず普段着のままで白の館内を徘徊したり、城下町に脱走したり、陽炎の館へ遊びに行ったりしているのだが、今、目の前にいるのはどこからどう見ても王族のオーラをまとった皇太子だ。
まさにここは公の場だと誰もが肌で感じた。
そして、デイのすぐ後ろにいる姫は、誰だろう?
年頃はデイやリトと同じくらい。 いや、ひとつふたつは年下かもしれない。
長く豊かなブロンドの髪は美しいウェーブを描き、白く陶器よりも透き通った肌。 桜の花びらを散らしたようなうす紅色の頬。 子猫を思わせるような、くりっとした瞳。 気の強そうな口元。
まるで存在自体が宝石のような姫だとリトは思った。
それだけで輝き、そしてどこか冷たい。
姫は一歩前に出て、デイの隣に来ると言った。
「頭が高い。 控えなさい」
その一言で女官長以下、皆が慌てて頭を垂れる。
「いいんだ、レイホウ。 彼女達は身内だ。 頭を上げさせなさい」
デイが言った。
「嫌よ。 家臣が君主の方を直接向くなんてあってはならないことよ」
「君の家臣じゃない」
「でも将来は私の家臣だわ」
「だけど今は僕の家臣だ」
ぴしり、とデイが言った。
「……分かったわ。 各々、顔を上げなさい」
姫が言った。 みな、おそるおそる頭を上げ、床に視線を向ける。
リトと弓以外。
いや、すぐ慌てて周りに習って床を向いたが。
デイがふぅ、とため息をついた。
「レイホウ。 君が脅かすからみんながこちらを向かないじゃないか。 みな気にせずこちらを向きなさい。 紹介しよう。 隣の国の第一皇女、レイホウだ。 今日は我が国に遊びにいらしている」
隣国の姫か。
リトは納得した。
「よろしく」
皇女レイホウは一言、そう言った。 そして
「行きましょう。 デイ。 あちらで私に歴史を教えて下さる約束だわ」
と、デイの腕を引っ張った。
「わかったわかった。 女官長。 そういう訳で、僕たちは奥の部屋を一つ使わせてもらうから。 後は別に気にしなくて良い。 好きに館内の本を読み給え」
ははっ、と女官長が頭を垂れた。
デイはレイホウ姫に連れられて奥に行く。
二人の姿が見えなくなる。
すると女官達が、小声で「……ねぇ、あの姫様、どういうこと?」「ずいぶんエラそうよね……」と話し出した。
「静かに。 聞こえますよ」
と、女官長がたしなめる。
奥の部屋の扉がパタン、と閉まる音がしてから、ようやく女官長は頭を上げ、みんなの方を向き直った。
「それではみなさん、時間まで室内を好きに歩いて、興味のある本があればそちらの椅子で読んでもかまいません。 先ほど言ったとおり貸し出しはできません。 ですから時間内に読みきるか、もしくは正式な本館付女官になってから読みに来るか、どうしてもどうしても読みたいというのであれば貸し出し許可の出るものでしたら私が後日借りてきます。 さあお行きなさい」
女官達はその言葉を聞いてそれぞれが歩き出す。
「弓。 弓は何の本を探す?」
リトが尋ねた。
「編み物! どうしても作りたいのに作れない模様編みがあってね、それの作り方が載っていないか調べるわ」
弓らしい。
「さってと、私は何の本にしようかなー」
リトは何の目的もなくただ本棚の前を歩いたが、どうしてどうして。 背表紙を見る限り、本はテノス国の文字のものだけではない。 諸外国の本も沢山ありまるで自分が文字の読めない子供になったような気すらした。
しかも広いわ、本棚がきちんと並べられてはいるものの迷路のようだわ、本の森、って感じである。
リトはどこをどう歩いたのか、袋小路のスペースに迷い込んだ。
そこは図鑑がずらっと上から下まで。
ためしに一つ手にして開いてみると、図解の部分が立体に浮かび上がったり、本の中に奥行きができて動物が動いていたり、と、科学魔法が満載に使われている図鑑だった。
「面白い!」
リトは思わずページをあちらこちらめくる。 一番笑ったのは「糞」のページだった。
図解の所には注意書きがしてある。
かなりリアル、かつ匂いもあります。 それでもよければこのボタンを外してご覧下さい
当然ボタンは外さなかった――と、いいたいのだが、リトの小指がボタンに触れてボタンが外れた。
「!」
と思って目を閉じたが、臭くない。 どういう訳かと見てみるとページの中が棚のようになっており、そこに紙が貼られている。 おそらくこの棚に現物があったのだろうが……。 紙には
デイ皇太子が悪戯してこのページを開けて遊んでばかりなので没収中
と、ラムールの字で書かれていた。
これ面白いからみんなにも見せたいなぁ、とリトは思って背表紙を見たが、しっかりと「持ち出し禁止」の印がデカデカと押してある。
残念。 パタンと本を閉じる。
探検探検。 さて、次はどこに行こうか。
リトはわくわくしながら他の場所へ移動する。
歩いていると奥の部屋の側の棚付近で、マーヴェやラン達がうろうろしている。
――奥の部屋は確かデイと姫がいたはず
リトはそんな事を思い出しながら近づく。
「何してるの?」
リトが尋ねるとさささっと近づいてきてリトの口を塞ぐ。
「決まってるじゃない、レイホウ皇女とお近づきになるのよ」
こそこそっ、とマーヴェが教えてくれる。
「こんなチャンスは滅多にないわ。 今からお近づきになっておけば将来、后付け女官になれるかもしれないのよ?」
「后つけ?」
リトはぽかんとして答える。
「当たり前でしょ。 将来皇太子とご結婚なされるんだから、デイ王子が王位につけば王妃でしょ」
「え? ちょ、ちょっと待って、それって、いいなずけなの?」
リトは思わず声に出す。
「しぃーーーーーーっ! 当たり前でしょっ!!」
制するマーヴェの方が声が大きかったりする。
「だからここでこうして待っていれば、本を探しにお出になられたりするかもしれないでしょう?」
……獣狩りの罠じゃあるまいし。
「分かった。 頑張ってね」
リトはそう言ってその場を後にする。
そうかー、いいなずけがいるんだ。 デイは。 すごいな。
等と思いながら本を探す。
ぐるぐると回って再びどこにいるか分からなくなって、リトは立ち止まり、近くにある本を手に取る。
面白くないので、次、と思ってリトの手が止まる。
それは変哲のない緑色の本だった。 背表紙には金か銀か分からない色の糸で題名が書いてある。
「 翼族の歴史 」
と。




