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act,7 秘密。

 予想外に、俺の気持ちはすっきりしていた。昼間の間に散々悩んで、ため息を嫌というほど吐いていたのに、夕方、国松エリカが訪ねてきて、たわいも無い話をしたりとか、長い高架橋を渡ってみたりだとか、そんなことをしているうちに、ずいぶん心は晴れていた。その上、一晩寝て朝になったらため息はすっかりどこかへ消え去っていて、爽やかな朝を迎えることができていた。進展も根本解決も、何一つしていないけれど、国松エリカのおかげで気分が晴れたのは間違いない。

 気分が晴れたので、切られる切られないの如何に関わらず、電話をしてみようかという気になった。もちろん相手は小笠原だ。電話して何を話すかは決めていなかった。とにかく話をしたい。今何を考えていて、俺がどう思っているのか。小笠原は一体、今何を思うのか、聞いてみたい。そのためにはタイミングを間違っちゃいけない。キマリ兄が一番初めに言っていた、学校内での妙な噂を立てないためにも、これ以上小笠原を困らせたり不機嫌にさせないためにも、いつ電話をかけるのかは慎重に考えた。

 夜なら確実に家に居るだろうか。休日の夜にかければ、間違いは起こらないはずだ。日曜の午後八時半、俺はケータイを手に取って、慣れた番号をコールしてみた。タイミングはこれで正解だったのか、いつものように数回コールが鳴るとすぐに小笠原が出た。


『…どうした?』


 小笠原の第一声はそっけないものだった。この女は常にかわいげがなく無愛想で口が悪いが、今日はその上疲れているような声に聞こえた。


「…いや、最近会ってないと思って…。仕事してたのか?」

『もうすぐGWだから…課題のプリント作ってたけど…』

「ふうん…」


 ため息交じりに小笠原は答えた。仕事をしてたにしても、特に疲れているような気がする。


「お前、何かあったのか?」

『………そう思うか?』

「…なんか、疲れてる気がした」

『…ちょっと、いろいろ立て込んでるんだ、家の方が』

「家?」


 まだ引越しの荷物が片付かないのかと思ったけど、そうではないと小笠原が言った。


『…実家の方。親類関係のごたごたがあって…』

「親類って、吾妻少年の?」

『うーん…』


 小笠原は歯切れの悪い答えを返した。身内の話じゃ俺は首を突っ込めないし、何も出来ない。それが悔しい。


「…なんでもいいけど、俺にも…」


 「何か出来ることがあったら、」そう続けようとしたけれど、出来ることなんてあるのか疑問すぎた。だから続きは言わなかった。けれど小笠原はそれだけで、俺が何を言いたかったのかわかったのか「ありがとう」と言った。


『…あのさ』

「…なんだ」


 改まって、小笠原が切り出した。今日は何か話をする気になってくれたらしい。何を言うのかわからないけれど、進展できる可能性があるかもしれない。改善すべき点が見えてくるかもしれない。


『…GWの前に、会って話したいんだけど』

「…俺も、近いうちに話したいと思ってた」


 今すぐでなくてもいい。面と向かって話し合って、関係が動き出せば、きっと上手くいくはずだ。少し神妙な声で、かしこまって小笠原が言うので、俺は緊張していた。尚も真面目な様子で小笠原が場所と時間を指定してくる。


『大事な話…だと思う』

「…なんだよそれ」

『会った時に、ちゃんと話すから…今は上手く言えないけど、お前が私を心配してくれてるのはわかってる。最近私も精神的に参ってて、苛立ってたかもしれないから、ごめん』

「……」


 「俺も」と言って謝ればよかったのだろうか。けれど無性に照れくさくて格好悪い気がして「俺もごめん」どころか「うん」と返事をすることも出来なかった。


 今、俺に出来ることは何だろう。電話で小笠原と合う約束をしてから数日、気付くとそんなことばかり考えていた。親類関係のごたごたと言うからには、俺には一つしかやることが見つからない。身近に居る小笠原の親類はあいつしかいない。言葉を濁して教えてくれなかった揉め事の正体が何なのか、吾妻少年に聞き出さなくては。


「…吾妻」


 目線だけ俺に寄越して、少年は無言のままだ。この間とは逆に俺は授業が終わるなり吾妻少年の机へ行った。逃げられないように吾妻少年の机へ両腕をついて、席に座ったままの少年を威圧する。上から見下ろしさえすれば、少年の睨みも苦にならない。


「小笠原んちで何か揉めてるって、聞いた」

「………だから、なんだ」

「何を揉めてるんだ?」

「お前には関係ない」

「ある」


 ここで引き下がったら意味が無い。今の俺に出来ることはこれしかないのだから、唯一出来ることを精一杯こなさなくては、甘えから脱出できない。


「その揉め事が小笠原を苛立たせてる原因の一つなんだよ。何に悩んでるのか、教えろ」

「…ようこさんに聞けばいい」

「教えてくれないから、お前に聞いてる。じゃ無きゃ、お前に聞くかよ」

「教えないなら、教えない理由を考えればいい」

「教えない理由?」

「揉め事をお前に言えないわけがある。それ以上は俺から言えない。俺が言えばようこさんは落胆する」


 話は終わりだと言わんばかりの態度で立ち上がると、少年は教室を出て行った。入れ替わりでキマリが俺の側へ寄ってくる。


「…ねぇアイオくん。変な噂聞いたんだけど……、まさか本気じゃないよね?」

「変な噂?」


 心なしか、吾妻少年の机の前に立ち尽くす俺の周りに、野次馬が集まっている気がする。耳をダンボにしたクラスメイトたちが俺とキマリの話に聞き耳を立てている。


「この前、他校の女の子と一緒に歩いてたって」

「他校の女…?」

「夕方、楽しそうに…友達って感じじゃないって…。そんなことないよね?僕はまだ先生の味方だから…その……」

「…ああ、国松か」


 キマリの言う人物に思い当たって、俺は国松の名を言った。確かに夕方、並んで高架橋を歩いたのだ。特に変な噂とも思わなかったが、キマリは何か驚いたように目を見開き、俺を責めるように見つめた。


「…………アイオくん…!」

「なんだよ、何かおかしいか?」

「おかしいって、君、先生のことは…」


 キマリの回りくどい言い方に口を挟んだのは、野次馬の一人の加藤だった。


「ちょっと待ちなさい、藍生!国松って誰!?ようこちゃんを裏切って浮気なんて、あたしは認めない!」


 加藤は語気も荒く、明らかに腹を立てた様子で俺を見上げてくる。攻め寄られて、俺は一歩その場から後ずさる。


「誰って、小笠原の学校の女で」

「何!?じゃあようこちゃんに会いに行ったとき、その女と知り合ったわけ!?ミイラ取りがミイラ状態じゃない、馬鹿野郎!」

「おい、何で会いに行ってるって知って…っつーか別に知り合いなだけで何もねぇっつの」

「男って皆そう言うのよね…!何もないって証拠はあるわけ?あんたらバカップルを見守ってきた旧二年C組一同を裏切るなんて、よくも堂々とお日様の下を歩けるわね!」

「加藤さん、言い過ぎじゃ…」


 捲くし立てる加藤をキマリが制止する。野次馬一同は加藤の味方なのか、皆固唾を飲んで俺の返事を待っている。俺の味方は居ないのか…。というかこの団結力は一体なんだ…?


「証拠ったって…別に、あっちが俺んちを訪ねてきて、そのまま写真撮りに行くことになって、帰り道を送っただけ」

「馬鹿だなお前は!世の中ではそれを浮気と言うのよ!男女の友情なんて建前よ!」


 そうだ、そうだと野次馬が手を上げて加藤をはやし立てる。


「国松何某め…藍生の家までリサーチ済みとは、やるじゃない…!」

「それはキマリの兄貴に聞いたって言ってたぞ」

「はぁ!?じゃあ何?極くんはグルなのね!?かわいい顔してあなたもやるじゃない!」

「僕は小笠原先生派だよ…!兄さんとは無関係だって」

「ああ、ようこちゃんがかわいそう過ぎる…!!これじゃあバカップルも別離の道を歩んでも不思議じゃないわ…」


 別離の道、という言葉に俺の心臓は跳ねた。電話のときの小笠原は嫌に真剣で、大事な話をしたいと言っていた。別れるとか、そういうレベルまで俺たちは発展していない気がするけれど、写真のやり取りがなくなる、これから小笠原に会えないのだとすると、それは嫌だ。


「………」


 黙った俺に何かあると気付いたのはキマリだった。


「…もしかして、先生に何か言われた?」

「………」


 キマリの言葉に、野次馬や加藤の視線が俺に集まる。


「まさか、ようこちゃんに別れようとか言われたとか…!?」

「まだ、わからないけど、大事な話があるって、この間…」


 どよめく野次馬。困り顔のキマリは俺から視線をそらし、別れ話じゃないかと言い出した加藤は、驚きすぎて声も出ないらしい。口元へ手をあてて息を呑み、よろめく。お前はどこぞの女優気取りか、とは言わないでおく。


「何か、小笠原んちで揉め事が起きてるらしいんだ。それ関係の話だと、俺は思ってるけど…」

「揉め事…?」

「俺に言えない話だって、吾妻少年に聞いた」


 野次馬の顔が青ざめる。何か気付いたらしいキマリも、俺には何も言わない。


「なんだよ。思い当たることあるのかよ」


 俺は青くなっているキマリへ問うた。加藤なんかはもう、口に出すのもおぞましいとばかりに机に突っ伏し、加藤の友達の女子数人が突っ伏す加藤に励ましの声をかけていた。


「…君に言えない揉め事って言ったら、恋愛関係の話、じゃないかな…」

「恋愛関係…」

「先生の家って確か旧家で歴史もあったよね…お年頃だし、そういう話が出てもおかしくない、かも…」

「………つまり?」

「…だから、お見合い、とかさ」


 見合い、といえば親や親戚に紹介された相手と付き合うって言う、あれか?


「そっか…それじゃ、先生が不機嫌なのも仕方ないのかも…。君っていまいち、先生と恋愛してる雰囲気になれてなかったし……やっぱり不安だったんじゃないかな。曖昧な関係が」

「……まじかよ」


 見合いだなんて、思いつきもしなかった。付き合う如何を吹っ飛ばして、結婚………?晩生の小笠原にはそうでもしなきゃ結婚なんて話が出ないかも知れないけど、小笠原が結婚するとなったら、俺は………。

 キマリ兄と小笠原が付き合う絵が浮かばなくて、浮かばないから焦りもしなかったけど、結婚の絵はなんとなく浮かんでくる。夫婦なんて自分の両親もそうなわけだし、小笠原が誰か知らない男と夫婦をしている絵は、なんとなく浮かぶ。例えば朝飯とか、作りながら旦那を起こして自分も学校へ行って、夜には同じ家に帰って…毎日一緒に暮らすわけだ。俺の介入の余地なんてない…。

 もし、小笠原が結婚するなら、俺の写真なんて家には貼らないだろ…貼るなら旦那との写真とか、いずれ生まれる子供の写真とか…。


「大事な話って、結婚するってことかよ…」


 一歩踏み出さなきゃ今の関係は変われない。関係が変わらないうちに小笠原の心が変わる可能性もある。この間キマリ兄が俺に言ったことだ。今まさに、小笠原は曖昧な関係に終止符を打とうとしてるんじゃないのか…?



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