act,4 思惑の人々。
「藍生眞旺」
コイツが俺に話しかけてくる時は、小笠原の話題しかしない。それくらいしか俺とコイツの繋がりはないといっても過言ではないから、そうなるのは必然にも思えるけれど。
いつものように不機嫌な様子で、吾妻少年が俺を睨んだ。高校二年の終わりに、少年は転入してきたのだが、その頃の俺は不登校真っ只中で、二年だった間にコイツと机を並べることはなかった。三年になってからは、何の因果か、同じクラスになってしまい、毎日同じ教室で、同じ授業を受けている。
先ほども一緒に物理の授業を受けていた。授業が終わるや否や少年は俺の机にやってきた。
「…なんだよ」
吾妻少年はいつも不機嫌だけれど、今日は一段と不機嫌な様子だった。
「先週の土曜、何かあっただろう」
「土曜…?」
土曜といえば、小笠原が待ち合わせに遅れて来た日だ。多分その辺りの話だろうと、俺は予想していたけれど。というのも、土曜の俺の様子がおかしかったか何かして、怪しんだ小笠原が吾妻少年に相談したのだろうと思ったからだ。悟られないようにと思うあまり、顔に焦りが出ていた可能性が大いにある。エリカと名乗ったあの少女が、学校で小笠原に何か言った可能性もある。
しかし小笠原は吾妻少年に何でも話しているらしい。従兄弟と言っても仲がよすぎる気がする。あまりいい気分じゃなかった。
「……小笠原は何だって?」
小笠原がどう俺のことを相談したのか気になったので、そう聞いてみたけれど、
「教える義理はない。土曜に何があったか話せ」
と言われた。
「それこそ、お前に教える義理なんてないだろ」
「ようこさんが知りたがっている」
「何もねーよ。大人しく待ってやっただけ」
「嘘だ」
吾妻少年が俺を睨む。ナリは小さいくせに、睨むと凄みがあるから驚きだ。
吾妻少年の言い方で、小笠原は少女と俺のやり取りに気付いているわけではなさそうだと思った。ということは、少女が小笠原に何か言ったということはないはず。写真をあげてしまったことはバレていない。変に思っているだけなら、どうとでも隠せる。
そう思って、少年が何を言い出すかと構えていると、
「お前がふらふらしているから、悪い虫がついた」
「は?」
少年は唐突にそんなことを言った。
「妙な男に付きまとわれている。それを振り払う素振りが、お前に見えない」
「妙な男…?」
振り払うも何も、付きまとわれているなんて初耳だ。
そう吾妻少年に告げると、
「…お前はそこまでの男だったんだな」
と呟かれた。
話の読めない俺は吾妻少年に言った。
「どういうことだよ。アイツ、誰かに付きまとわれてるのか?」
「ようこさんが、お前に告げていないのだから、お前は知らなくてもいいことだ」
「おい、待てよ!」
言うなり少年は教室を出て行った。追いかけようかと思ったけれど、小笠原が俺よりも吾妻少年にいろいろ話している事実が面白くなくて、向こうがそういう態度なら、俺がとやかく言うことでもないとも思って、追いかけるのはやめた。
「そこまでの男」という言葉は至極当たっている気がする。まったく面白くはないけれど。
「……」
小笠原は一体何を考えているんだろう。
不機嫌な理由もわからないし、待ち合わせには遅れるし、かといって俺の様子は気になるようだし、でも、困っているのに俺には相談もなしだ。
俺は小笠原にとって何者なのだろう。
わかりたいとか好きになりたいとか、俺は俺なりに努力してるつもりなのに、あっちが突き放すようなことをしている気がする。
ふと思った。恋愛は努力してするものじゃない。好きという感情は、唐突に理解できるもののはず。
エリカという少女には、触れ合って間もないのにドキドキした。
ああいうドキドキは小笠原に感じたことがない。
だったら、俺は小笠原を好きではないのかもしれない…。
大きなため息が出た。小笠原の顔を思い浮かべると心が重くなってついため息が出る。
俺は今までと同じ、友達のような曖昧な関係でいたいと思っているから、恋愛に発展させようとするとつらくなるのではないだろうか。
そこまで苦労して恋愛にさせる必要性はあるのか?
発展させることが、俺たちにとって一番いい道なのか?
小笠原に聞いてみたい気がしたけど、電話したらまた切られるのではないかと思って、ケータイに手が伸びなかった。
その次の日、キマリが俺に話があるといって、今度は喫茶店に立ち寄った。学校の周りには目立った店がないので、またも駅前に繰り出した。
「…やっぱり思ったとおりだった」
キマリは改まってそう言った。
「思ったとおり?」
「兄さんのことだよ。先生に何かとちょっかい出してるみたい…」
どうやって調べたのかわからないが、やはりキマリ兄は小笠原に気があるらしい。
「…もしかして、昨日吾妻少年が言ってた悪い虫ってのはお前の兄貴のことかもな…」
俺はそう呟いた。キマリには吾妻少年とのやり取りを話していなかったので、独り言のつもりだった。
「ハイリエも何か知ってるんだ…先生から聞いたのかな」
「…まぁ…いっそどうにかなってくれても、俺はかまわない」
「え?」
キマリが眉根を寄せる。
「お前の兄貴と小笠原がくっついても、俺は別にいい」
「…どうしたのアイオくん」
キマリは信じられないと言った顔だった。どうしたのと言われても、そう思えるのだから仕方ない。
「俺、よく考えた結果、小笠原を好きじゃない気がしてきた」
「どうして?」
「どうしてって、前にも言ったろ、ドキドキしたりときめいたり、好きって感情が小笠原には湧かない。恋愛と思わなくても、友達みたいな好きだってあるだろ。多分それだ、俺が小笠原に思うのは」
「……でも…」
キマリは何か言いたげに口を開いたけれど、何も言わずに再び口を閉じた。
俺はなんとなく気まずくて、頼んだまま放置していたコーヒーに手をつけた。
しばらく沈黙した後、キマリが言った。
「じゃあ、友達として、先生を悪い虫から守ろうとは思うよね?」
「………」
吾妻少年が言うには、小笠原は妙な男に付きまとわれて困っているらしい。キマリの様子も加味すると、妙な男はキマリ兄で間違いなさそうだ。
けれど小笠原は、困ってることを俺には言わなかった。だから俺がとやかく言うことでもない気がする。
「困ってるって相談されたのは吾妻少年だし、俺は何も聞かされてない。向こうが何も言ってこないなら、俺がおせっかいで行動すんのもどうだかな」
「…本人から相談を受けてないにしても、先生が危険人物に目をつけられたのは同じだよ。助けてあげないとって思うでしょう」
キマリは困ったように言った。
危険人物とまで言われると、少しは気になってくる。
「……そんなに危ないやつなのかよ、お前の兄貴」
この間、俺の家を訪ねてきた男性の顔を思い浮かべた。言うほど危険とも俺は思わなかった。あまり好きになれないとは思ったけれど。
「兄さんは遊んでるんだ。誰にも本気にならない。自分を好きになりそうもない人に手を出して、好かれたら好かれたでそれきり興味がなくなる。彼を好きになって、幸せそうだった女性を、僕は見たことがない」
「……」
真剣に言うキマリとは逆に、俺はポカンとした顔でいた。
遊んでいる、とは。全く俺とは世界が違う。人で遊ぶ様なんて想像がつかない。それが大人の恋愛なのか…。
「先生が兄さんを好きになるとは思わないけど、だからこそ、兄さんはしつこく先生に付きまとうと思う。しかも付きまとうのに、彼自身に恋愛感情はないんだ。悪い虫で、危険人物以外の何者でもないよ」
「………でも、だからって、俺に何ができる?アイツがお前の兄貴を好きになりそうもないなら、付きまとわれるにしても自然に風化するのを待つしかないだろ」
「…風化する前に根こそぎ排除しなきゃ。方法はまだないけど…」
「…いっそ、小笠原がお前の兄貴を好きになればいいんじゃねーの。好かれたら興味をなくすんだろ」
「でも先生は、君が好きなのに」
「…………根拠がねーだろ、お前の言い草」
キマリが黙る。小笠原が俺を好きという確証はない。好きなんだろうとキマリが思っているだけではないか。
「お前が俺らをくっつけたいのはわかったけど、どっちにもその気がないんなら、それはお前のわがままだろ」
「……それは、そうだけど………先生は君を嫌いじゃないと思うよ」
「嫌いと好き以外にも感情はある。曖昧じゃ悪いのか?」
「……悪くはないけど」
「じゃあこれでいいだろ。俺は小笠原と恋愛したいわけじゃない。今みたいな関係がいい」
「…今みたいってどんな関係?」
キマリはうつむいてそう言った。曖昧な関係とは、俺の理想とする関係とは、キマリが望むものじゃないと思う。けれど、改めて言うとなると、それはどんな関係なのだろう。
「……………」
「今みたいな関係」とは言ったが、現状は俺が望んでいる関係なのか?
「わかんねー…」
「アイオくん…」
「アイツが何も言ってくれないから、俺はどうしたらいいのかわからない。何が気に入らないのかわかんねーし、困ってるのに相談もしないし、俺が嫌なのかとも思うけど、お前や吾妻少年が言うにはそうじゃないらしいし」
「…何も言わない……」
「何考えてるのかわかんねぇ。元々鈍い俺に、言わずして何をわかれっつーの」
「……先生独特の心理なのかな…。正直恋愛って、僕も実情をよく知らない…」
八方塞だ。愛とか恋とかわからない俺に、恋愛の実情を知らないというキマリ。もっと誰か別人物、経験の豊富な誰かに聞かなくては解決策など見えてこない気がする。
「……はぁ」
俺とキマリは同時にため息をついた。




