act,2 恋愛戦線、開始。
月曜の放課後。俺とキマリは駅前まで繰り出して、ドーナツの山を貪っていた。
と言っても、実際に山積みのドーナツを食っているのは俺だけで、キマリはアイスティーを飲みながら俺を眺めているだけだった。ドーナツはいわゆる「お詫び」だ。先日の嘘つき兄貴に振り回された件の。
「僕から聞いてきたって言ったの?」
「ああ」
「嫌だなぁ。それも嘘だよ。一体どこで君の事を知ったんだろ。もしかしたら荷物送った時に住所をチェックしてたのかな…」
「…一体何が目的なんだ。お前の兄貴」
小笠原が言うには名前と職業は真実だったし、キマリの様子からして兄弟というのも本当なのだろう。見た目が似ていないことは明らかだし、腹違いというのも間違いない。第一苗字も違う。噂の事実は無いらしいし、小笠原本人も困っている様子はなかった。不機嫌ではあったけれど。
「…多分兄さんは先生に気があるのかも……」
「…は?」
気がある、ということは好きってことだよな?キマリ兄が、小笠原を?
俺は残り三つほどになったドーナツから手を離し、キマリを見た。キマリが頼んだアイスティーの氷はほとんど解けていて、紅茶の色が薄くなったと思う。俺におごるだけのために来たのだろうけど、飲む気がないのに注文させたようでなんだか申し訳なかった。
無残になったアイスティーに目をやりながら、思案顔のキマリに目線を移した。
「最近年頃の女性が職場に来たとか言ってたし。よく見ると美人とか、そっけないけど、ついかまいたくなるとか言ってたし…彼が先生と同じ学校だって知ってはいたけど、まさか彼の言う女性が先生だなんて…」
「……俺はそんな話聞いたこともなかったな。小笠原が最近不機嫌だとは思ったけど」
「先生とアイオくんのことはこっそり調べたのかもしれない。根気よく根回しして、自分の思惑どおりに事を運ぼうとするから、彼」
「僕のときもそうだった」とキマリは言う。土曜にも大嘘ついてたとか何とか、二人はもめていたから、過去に何かあったのだろう。それがキマリが兄を苦手とする理由なのかもしれない。
「だから噂が立ってるとか、先生が困ってるから別れろ、なんて言ったんだよ」
「…ふうん」
「ふうんって、気にならないの?」
キマリが怪訝な顔で俺を睨む。小笠原を好きかも知れない人物が現れたのに、俺が興味なさそうだからだろう。
「…正直、付き合ってる以前だと俺は思ってるんだよ」
「……」
キマリは無言で大きくため息をついた。あきれているのだとは思うけれど、そう思うのだから仕方ないだろう。
ため息に反論すべく、俺は口を開いた。
「まだ決定打を出してないんだよ、お互い。しかも俺は出さなくてもいいんじゃないかと思ってるし…。傍から見た関係がどうあろうとかまわない。俺は今のままがいい」
「告白無しで付き合っても問題ないと思うけれど…。先生はどうなのかな」
「どうって?」
「あまりに曖昧な態度だと、不安になるんじゃないのかな」
「不安?」
「…君も先生を好きなんだって、確信できなくなるんじゃないかってことだよ」
つまりは小笠原が、俺は小笠原が好きだという確証を欲しがっているのでは、ということだろうか。
「…正面から好きとか、実際思ったことねぇ」
「…アイオくん………」
再びドーナツをかじり始めた俺にキマリは困ったような顔になった。額に右手をやりながら「やっぱりエゴだったのかな」と呟く。
「君なら先生の支えになれると思ったんだけどなぁ」
「…お前は俺たちをくっつけたいらしいな」
「そうだよ。先生があんなにうれしそうだと、応援したくなるじゃないか」
「…本当に、そうなのか…俺は疑問だけどな」
「どうして?」
土曜の電話や、それ以前の小笠原を思い返す。
転任してからの小笠原はどこか変だ。
「あいつ…俺と関わるときはいつも不機嫌だし…。何が嫌なのか聞いても答えねーし」
「……」
「聞いても教えないくせに、俺ばっかり責めるし。ぶっちゃけ、めんどくさい」
俺の言葉を聞いて、キマリは何も言えないのか色の薄くなったアイスティーに手をつけた。手持ち無沙汰にストローで中身をかき混ぜる。俺は残りのドーナツを食い終えて手についた粉を払った。
「兄さんのことは僕が見張っておくよ。君と先生のことは二人の問題だと思うから何も言えないけど…」
食い終えた俺を見て、キマリが席を立ったので、俺もそれに倣って店を出た。別れ際にキマリはそんなことを言って、自分の家へ帰って行った。
キマリの元気のなさそうな背中を見送り、申し訳ないと思いつつも、気持ちに嘘はつけない。
「……」
気軽に話せたりはするけれど、遺憾せん好きという感情がいまいち湧かない。
世間で言うドキドキするとか、ときめくとか、そういうことが好きってことじゃないのか?
「…友達、でもない気がするけどな」
かと言って以前のように親戚のねーさんとも思わない。困らせたり傷つかせたりしたくないし、できるなら笑顔で居て欲しいという思いは、嘘じゃない。
でも最近のアイツは不機嫌だ。原因は俺が鈍感なせいなのだろうけど、何に気付いていないのか、それがわからない。
いっそ、キマリ兄と小笠原が付き合うことになったらどうなるのだろう。そうなったら俺はあせったり後悔したりするのだろうか。しかし、小笠原とキマリ兄が付き合っている絵が浮かばない。自分の周囲の付き合っている者たちを思い浮かべてみるけれど、所詮は高校生の付き合いだし、大人の恋愛がどうなのかわからない。
ここ最近俺なりに頭を悩ませているのにまったく進歩がない。どうやったら好きと思えるのかわからない。どうしたら小笠原の機嫌が直るのか、誰か教えてくれと思うのに…。