act,1 誰にだって苦手なものはある。
※前作は「ハシラビト和合同盟、崩壊。」です。全13部。
高校三年の四月後半、新しい担任にもクラスにも授業にも慣れ始めた。俺個人は受験生とは名前ばかりで、相変わらず写真を撮りに町をうろついている。けれど成績は挽回された。心積もりが無くなって、自分のペースに戻ったとも言える。写真ばかり撮っている俺は一見勉強していなさそうに見えるらしく、笠馬はもちろん他の友人たちは不思議がっている。理不尽とか不公平と言う者さえいる。
「眞旺って苦手なものあるの?」
昼休みに飯を食いながら笠馬がそう尋ねてきた。去年と同じく、笠馬とは同じクラスになれた。見知った友人がいるというのは心強い。あんまり本格的にはなっていないけれど、受験勉強も乗り切れそうな気がする。
「…人付き合い、とか?」
売店のメロンパンを齧りながら、俺は最近の出来事を思い返していた。二駅先の町へ転任した小笠原とは、写真を渡す目的で週に何度か会っている。今までは互いの家か学校くらいでしか会わなかったのだが、今度は知らない町の中で会うことになった。それには小笠原が断固として新しい家に入れなかったこともあった。住所は一応知っているのだが、家の場所を具体的に教えてくれない。探すなとも言われている。とりあえず今はその指示に従っているのだが腑に落ちない。
とかく困ったのは会う場所だ。知らない町だし、どこで会えばいいのかわからない。その上適当にファミレスとかファーストフードとかを選ぶと小笠原は怪訝な顔をする。何が気に入らないのかはわからないが。
しかも今までは制服とか部屋着で会っても何も言わなかったくせに、適当な格好で会うと怒られる。特に制服で会おうとしたときは、待ち合わせ場所で俺の姿を発見するなり、帰れと一言だけ言われた上、小笠原が一方的に帰ってしまったこともあった。場所が気に入らないとか、服装が適当だと小笠原の第一声は馬鹿とか空気読めとかだし、俺は最近になって自分が鈍い人間だと自覚したから、具体的に指摘して欲しいのだが、小笠原ははぐらかすばかりだ。何が悪いのかよくわからない。
今まで気にしていなかったことに気を遣うことになって、気疲れしている。人付き合いが難しいのか、単に小笠原が我侭なのか。
「ああ、眞旺ってば果てしなく鈍いからね。ごめん、忘れてた」
「果てしなくって…」
そこまで言われるとむしろすがすがしくもある…。
「苦手なものが無さそうなのは庄くんだった」
笠馬がキマリを見ながら言った。実はキマリとも同じクラスだったらしい。三年になって初めてだ。
キマリは一見するとミステリアスで近寄りがたい。話してはみたいが、近寄りがたくて気になる人物とでも言うのだろうか。あまりにも完璧だと気後れしてしまうようなそういう類の人間だ。だから今までの二年間、あまり友達らしい友達もいなかったようだ。それについては本人はあまり気にした風もなく、あちらで動き回るのに忙しかったから、とも言っていた。
俺と同じクラスになってからは俺とちょくちょく話していて、それを見た俺の友人たちがキマリに直接話しかけるようになった。今まで話したかったけれど話しかけられなかったやつは大勢いたようで、堰を切ったように、キマリには友人がたくさんできた。
笠馬もその一人で、最近では「庄くん」とまで呼ぶようになっている。
「あるよ。苦手なもの」
「へぇ。興味あるなぁ」
一緒に昼飯の輪に居たキマリはにっこりと微笑んだ。にこにこと笑っているキマリは飯を食うとか、寝るとか、そういう日常の行動をとっているのか疑問になるくらい人間離れした空気がある。人形のように無感情ではないのだが、人形のようにいつもにこにこ微笑んで、変わらず綺麗な感じがする。
だから飯を食っている様に違和感がある。コイツは飯を食うのかと、当たり前なのだが不思議な感じがする。
興味があると言った笠馬と同様に、俺も頷いた。少しの間同居したこともあったが、キマリ自身のことはあまり話題に上がらなかった。人形めいていて、人間離れしたところのあるキマリの「苦手なもの」に俺も興味が湧いた。
「ものというか、人だけどね」
「人?」
「…一応、兄さんなんだけど」
まず、キマリに兄弟が居たことに驚きだ。そういえばどこに住んでるとか家族構成はどんなだとか、そういうことはまるで聞いたことがなかった。
家族の話題で、ふと、以前キマリが言っていたことを思い出した。最後の戦いの前だ。「母さんが帰ってこなくなって」と言っていたのだ。
それを思い出して、聞いてはいけないことを聞いたのではないかと不安になった。平気な顔をしている笠馬は感情が表情に出ないわけでなく本当になんとも思っていなさそうだ。これ以上話を掘り下げると、キマリの心の傷に触れることになるのではなかろうか。
「おい、笠馬。次の政経の宿題やったか?」
「え?宿題なんてあったっけ」
笠馬は俺を鈍いというが、本人も結構抜けているところがある。忘れっぽいのか、宿題とか行事予定が頭に入っていないようで、よく先生にも怒られている。
とにかくうまく話をそらせられて、俺はほっとした。キマリもあまり気にしていないのか、相変わらずにこにこしながら、慌てる笠馬を見つめている。
その場はそこでおさまったが、数日後に新たな転機がやってきた。例のキマリの兄と会う羽目になったのだ。
なぜかと言うと、キマリの兄が一方的に俺の家を訪ねてきたのだ。土曜の午前中、家の中でカメラのレンズを磨いているとインターホンが鳴った。誰だろうと思いながら扉を開けると知らない男性がドアの前に立っていた。
「どちら様ですか…?」
俺はあての無い来客に警戒した。実は少し人見知りの気があるのだ。
「君がアイオくん?」
「…はぁ」
「僕は池田って言うんだけど。君のことは弟から聞いてきたんだ」
「…弟?」
「少し前、君の家にお世話になったらしいね、あいつ」
お世話になったと聞いて、ようやくキマリの顔が浮かんできた。どうやらこの男性はキマリの兄らしい。
「…キマリの、お兄さんですか?」
頷く男性は愛想よく笑っていた。けれどキマリとは似たところがひとつもない。人形めいた綺麗さもないし、白い肌に茶色の髪でもない。女っぽいとすら思うキマリだけど、この人は普通に男性で、身長も高い。苗字も違う。本当に兄弟なのか疑わしい。
しかし、さわやかで人から好かれそうな人だ。とかく女性にはウケそうだった。黒いフチの眼鏡をかけていて、短い黒髪にスーツの上着だけ脱いだような格好だ。社会人であることは雰囲気からしてわかる。年齢的には小笠原と変わらなさそうな感じで、二十台半ばくらいだと思う。
キマリが苦手だと言う兄の登場に、俺は驚いていた。初対面のキマリ兄が何の用だろう。
「まぁ、あいつとは腹違いってやつだけどね。その辺のことはいいんだ。聞きたいのはそうじゃない」
「…はぁ」
腹違い、と聞いて似ていないことには納得した。キマリも「一応、兄さんなんだけど」と言っていたし、その「一応」は腹違いだからなのか、とも思う。
とりあえず何者かは判明したし、玄関先で話すのもなんだと思って、部屋へあげてみた。俺は自分の部屋なのになんだか肩身が狭くて、座り方も自然と正座になっていた。ローテーブルを挟んでキマリ兄と向かい合う。俺とは逆にキマリ兄はくつろいだ様子でにこにこしている。いつも笑顔なのはキマリに似ているとも言えなくないが、キマリがやわらかい雰囲気なのに対して、この人は笑っていないと少し鋭い感じのする人だった。それで言うと俺も同様なのだが。
「僕の職業は高校教師なんだけど、うちの学校である噂が立っててね」
「…噂、っすか」
「当事者は君じゃないかと思って、訪ねてきたんだ」
言い方はとてもさわやかでにこやかだったけれど、なんとなく、よくない噂な気がした。それというのも俺の中の噂のイメージが俺にとって困るものであって、よくないことであったからだ。
しかし、そうは言っても俺の知らない学校の噂だろうに。どうして俺が当事者なのだろう。
一層どきどきしながら話を聞く。文句を言われるのかもしれないとか、不安が過ぎる。そんな噂は俺は知らないとはねつけられればカッコイイけど、そんな度胸は俺にはない。
「単刀直入に言うけど、下手なことするなら別れたほうが相手の為だよ」
「……」
「若気の至りってよく言うけどね。君くらいの年齢ならまだ人生設計まで考え付かないだろう。遊びなら早く別れてくれないかな。妙な噂が立つと生徒たちが浮き足立って困るんだよね。うまく隠せるならそれはそれでいいんだけど」
「君の場合、うまくいってないからさ」と言われる。
……鈍い俺にはいまいち話が読めないが、別れるとか別れないとか形容されるような相手は一人しか思い当たらない。今まで数々の勘違いをされた俺にとって「その手の話題=小笠原」になりかけている。
実際のところ、付き合っている感覚は俺には無い。小笠原とは写真のやり取りの為に会っていると思っている。だけれども傍から見ればそれが付き合っていることになるのだろうか。あの告白まがいの一件はひと段落したようでいて、実のところ核心をつかないまま終わってしまった。どちらもしっかり「好き」とか「付き合って」とかそういう断定的な言葉は発していない。
けれどもそれが俺達のような気もするし、断定的な言葉を発したら関係が変わってしまうような恐怖も俺にはあって、このままでいいやと思っていた。小笠原はどうなのか、聞いたことはないけれど。
「…小笠原と会うなってことですか」
「まぁ、そういうことかな。彼女も迷惑してるみたいだし。生徒からからかわれるの」
この人は小笠原と同じ学校の先生なのだろう。あの女子高にこういう若い男の先生がいたことは驚きだけど、なんというか、学校での小笠原を知っているのかと思うと微妙な感じだ。気分がいいとは言えない。キマリとは違って、結構ズバズバ言うし、にこやかなのに嫌味な感じだし、あまり好きになれない人物だ。キマリが苦手というのもなんとなくわかる気がする。
しかし、小笠原の学校では俺と付き合ってるという噂が流れているのか。しかも小笠原がからかわれているなんて、俺は知らなかった。場所や服装なんかに気を遣うのはそのためか、とも合点がいく。
「…すいません」
俺は謝るしかなくて、そう言った。この人が言うことは正論だと思うし、迷惑なら会わない方がいいかもしれないと思う。
やっぱりよくないことだった。俺は何も知らなかったことにかなりのショックを受けていた。困っているなら小笠原も早く言ってくれればいいのに、とも思う。やはり俺は鈍い人間らしい。
あからさまに怒られたわけではないが、迷惑と言われると返す言葉がない…。ましてキマリ兄とは言え第三者に忠告されるなんて思わなかった。そういうことは自分で気付きたいものだ。
「分相応って言うじゃない。君も付き合うならそれなりの子にしないと」
「…はぁ」
にこにこした顔で言われると嫌味もさわやかだな、と思っているとまたしてもインターホンが鳴った。
「…じゃあ、僕はこれで」
気落ちした様子の俺に、これ以上説教するのはやめたのか、タイミングもよかったからなのか、キマリ兄は玄関へ向かう俺と一緒に連れ立った。
俺が玄関を開けると、キマリ兄は出て行こうとした。が、ドアの外に立っていた来客に、押し戻された。
「…やっぱりここだった…!」
怒った様子で押し戻したのはキマリだった。
「アイオくん、何かされなかった!?」
勢いよくそう問われ、とっさに「別に」と答えてしまった。
「そうだよ、人聞きの悪い。話は済んだんだから僕はお暇するよ」
「話って!?アイオくんに何か吹き込んだんでしょう」
怖い顔のキマリは兄を問い詰める。飄々とした態度の兄は迷惑そうな顔をして玄関扉に手をやったが、同じく玄関に立つキマリにその手を払われる。
「アイオくん。何か言われたならその八割は嘘だと思っていいからね。この人は何かと話を大げさにしたがるから」
「人を嘘つきみたいに言わないでくれる?八割も嘘なんてついたことないじゃない」
「嘘だ。あなたは僕に大嘘ついてたじゃないか!」
「それはにお前にショックを与えない為」
「結果としてショックになってたら意味ないでしょう!」
キマリが激怒するのは初めて見た。怒ってもあまり迫力はないけど。
「アイオくん。今日のところはこの人を連れて帰るね。話はまた学校ででも聞くから。とにかく信じたらダメだ!」
「…え」
キマリはそう言うと、何か言いたげな兄の口をふさぎながら、玄関から出て行った。
シンとなった家で、俺は呆然と立つ。
ということは、さっきのキマリ兄の話は嘘なのだろうか。俺としては初対面の兄よりも、キマリの言葉を信じたい。
「……」
真相を確かめるなら小笠原に尋ねるのが一番だと思った。なにかあったらとりあえず連絡しようと、俺はこの間の一件で学んだ。軽々しく行動して馬鹿を見るのはもう懲りた。
今日は土曜だから、学校に居ても電話くらい出るだろう。そう思ってケータイを手にした。コールが鳴ると、すぐに小笠原が出た。
「…俺」
『おぉ、何か用か?』
普通の様子の小笠原に俺は安堵する。困っているような雰囲気は感じられない。俺は鈍いからもしかしたらということもあるけれど。
俺は一通りさっきのやり取りを説明した。小笠原は無言で俺の話を聞いていた。
『……彼、極の兄貴だったのか』
「…教師ってのは嘘じゃないんだな?」
小笠原は俺の話が済むとそんなことを呟いた。二割の真実は俺にとってあまり気分のいいものじゃなかった。
『ああ、池田先生は私と同じ一年の担任だ』
「…噂とか、困ってるとかも本当なのかよ」
『…今のところ噂は聞いたことないけどな…私だって妙な噂が立たないように気をつけてるつもりだし…』
「…俺と会う場所とか、服装とかにうるさくなったのはその為か?」
『…それもあるけど…』
「も、って他にはなんだよ」
小笠原は答えない。するとまた「鈍感」と言われる。
「鈍感だから聞いてるんだろ」
『…お前、私と会うのは写真見せるため、とか思ってるだろ』
「…違うのかよ?」
『………もういい』
どこかで機嫌を損ねたらしい小笠原は、そう言うなり通話を切ってしまった。
切られたとすぐにわかったけれど、俺はしばらくケータイを耳から離せなかった。一体何が気に入らないのかわからない。そしてわからない自分にムカつく。
小笠原を困らせたりしたくはないし、何か嫌ならはっきり言ってくれと思う。鈍感、鈍感と言われるからこそ、未然に被害を防ぎたいのに本人が教えてくれないのだ。これ以上俺にどうしろと言うのだろう。
「…めんどくさ………」
これはもう、俺が鈍感なせいじゃない。気に入らない理由を教えてくれない小笠原にも非がある。俺は開き直ってそう思うことにした。するとさっきのキマリ兄とのやり取りも、俺はとばっちりを受けただけというか、狐につままれたような、単に損した気分になってきた。自宅なのに肩身の狭い思いをした自分がかわいそうだ。
キマリ兄の嘘は一体どういった意図なのかわからないが、それはまた月曜にでもキマリに聞くことにしよう。
俺は気分転換にカメラを持って町へ繰り出した。




