七十六話「討伐者ギルドで在庫処分?」
「ま、まいどあり……」
「こ、こちらこそ……えっと、ありがとうございました!」
机の上に連なるは、金と銀の貨幣たち。手に到底収まりきらないそれらの隣にどんと構えるのは、もはや鈍器かとも思える程の厚さを持って重なる紙幣で。私はそれらを二種類の巾着へとしまいながらも、呆然とこちらを凝視しているおじさんに頭を下げた。呆けながらも仕事はこなす辺り、これがプロの仕事と言うべきか。
いや、今はそんなことに関心している場合ではない。とにかく針の筵とも呼べるほどに視線が突き刺さってくるこの場所から、早急に離脱しなければ。慌てて机から引きずった衝撃か、片方の巾着から金属同士がぶつかるような音がする。妙に重く響いたその音に笑顔が引き攣りそうになったのを、なんとか堪えた。平静を保たねば。
「ん」
「うん、よろしくね」
そのまま巾着をすぐ隣に立っていたシロ様のリュックへと放り込みつつ、私達は四方から視線が集中し始めたその場からそそくさと逃げ出した。この建物に入った時の物珍しいものを見る視線やら、訝しげな異物を見つめる視線はどこへやら。私では名前もわからない武器やらを携えたその人達の視線は、今となっては目を瞠るかのような驚きに満ちている。
最も、それを気にしているのはどうやら私だけのようで。まぁまぁな大金が入ったリュックを背負うシロ様の表情は変わらず端然としているし、私達の後ろを歩くレゴさんだって涼しい顔つきのまま。まぁこの建物に入ってからずっと変わらぬ表情を貫いていたシロ様とは違い、最初の方のレゴさんは目を剥くかのような表情を浮かべていたのだが。……つまりあの涼しい顔つきは、諦めている表情でもあるのだろうか。成程、それならば納得できる。勿論颯爽と去っていく私達の背から、未だ視線を離せないでいる人達の心境だって。
なんせシロ様の「荷物を全て処分する」。その言葉によって今しがた私達は、リュックの中に入っていた毛皮やら牙やら何やらを、全て売り払ったところだったのだから。
「……にしても驚いたぜ。その鞄のどこにアレが入ってたんだよ」
「あ、はは……」
周りの通気性の薄い家屋とは一味違う、砂岩のような何かで出来た頑丈な建物から出て。開口一番訝しむようにリュックを見下ろしたレゴさんに、私は苦笑いを返した。もはや笑うしか無かったとも言える。このリュックの正式な持ち主である私とて、まさかあそこまでこのリュックの中が魔物の素材に満ちた魔界になっているとは思っていなかったのだ。森の中、これを入れろと毎日のように素材を渡してきたシロ様の姿が蘇る。ちりも積もれば山となる、今回の件は正しくそういうことらしかった。
あれから。ウィラの街へと辿り着いた私達はあっさりと正邪の天秤によるチェックを超え、急ぎ足に魔物の素材を売買している施設へと向かった。この街に来たことがあるというレゴさんの案内に身を任せて、である。そうして辿り着いたのが先程まで私達が中に居た建物、討伐者のための施設である討伐者ギルドという場所だ。
レゴさんの前職である討伐者。それは私が以前想像していた仕事内容と大方合致していた。人に危害を与える魔物や、魔物の素材を求める人々の依頼に答える職業。そしてそれら討伐者が仕事を得るために使うのが、討伐者ギルドらしい。これはある程度の規模を有する街ならば必ず配置しなければ行けない施設らしく、例えるならば魔物や戦闘関連の役所とも言うべきか。話を聞く限り、役所と言うには些かフリーダムすぎる方針のようだが。
「それにしても、本当に登録して無くても売れるんですね」
「ある程度の品質が認められればな。ギルドは年中素材不足だ。あんだけの量なら、喉から手が出るほど欲しいだろうぜ」
そう、討伐者ギルドは割とフリーダムなシステムなのである。ギルドの正式な討伐者になるためには戦闘試験やら常識試験やら倫理試験を受けなければいけないが、一般人からの魔物の素材の持ち込みは大歓迎なんだとか。その代わり登録をしていなければ、依頼などを受けて金銭を得ることは出来ないらしい。まぁ流石に試験を受けた人達とふらっと現れた一般人を、同じ扱いにしたりはしないだろう。当然の話である。
「……あれ? でもそれなら、ケヤさんの素材屋は……?」
しかし私はそこで一つ違和感を覚えた。様々な服装の人が行き交う纏まりのない雑踏の中、ふと足を止めて考える。私達がブローサの街に居た時に素材を売ったのは、ギルドではなくケヤさんの素材屋だった。どちらも魔物の素材の買取をしているギルドと素材屋。それでは役割が被ってしまうのではないかと私が首を傾げた矢先、口を開いたのはレゴさんではなくシロ様の方で。
「基本的には討伐ギルドから素材屋のような施設に素材が卸され、素材屋はあくまで素材を売る仕事を基本とする者が多い。勿論あの店のように買取も行うが、それを主軸に置く店は滅多にないだろうな」
「う、うん」
「何故ならば国家の機関であるが故に運営費が多く、ギルドの方が買取値が高くなる例が多いからだ。個人での運営費と国から支給されるそれでは、大幅な差異が生まれるのも致し方ないだろう」
普段は無口なのに、私に説明する時だけは妙に饒舌になるシロ様。突如として始まったシロ様による講座に目を瞬かせたレゴさんを他所に、私は怒涛の如く浴びせられた言葉をなんとか飲み込んだ。成程、買取値の問題。確かにそれは国というバックがあるギルドの方が高くなるのが当然だろう。どうしても民営という個人には手が届かないところがある。よっぽどのお金持ちならば、また話は変わってくるのであろうが。
つまり討伐者ギルドが素材を必要としない者から素材を買取り、依頼などがない場合はそれを素材屋へと卸す。そうして卸されたそれを素材屋は扱い、それを必要とする人に売っているというわけである。わざわざ素材を中継せずとも売買の全てをギルドが行えばいいのではと思わなくもないが、けれどそれよりも大きな疑問点が私の中に浮かんだ。
「……買取値は、ギルドの方が高いんだよね?」
「そうだな。あの素材屋の店主はギルドに張る値段で買い取ってくれたが」
「あ、そうなんだ……じゃ、じゃなくて! じゃあなんで、あの時は素材屋さんで素材を売ったの?」
そう、何故ブローサの街では素材をギルドに売りに行かなかったのか。恐らくブローサの街にギルドがなかったわけではないだろう。先程の討伐者ギルドで見たのと似たような看板をブローサの街でも見た覚えがあるし、それなりの規模の街には必ず討伐者ギルドがある。結果的にケヤさんを通して桃花の宿の人達と知り合えたのは幸運だったが、何故あの時のシロ様はわざわざ、素材屋という場所に素材を売りに行ったのだろう。
「言っただろう。ギルドは国の機関だ。そして各国を運営しているのは人間や獣人の中の王だが、彼らは必ず守護者たるその土地の幻獣族の長に報告をする」
「……あ!」
「大量の素材を持ち込めば、注目の人物として報告が行く。そうでなくてもどんな人物が売買しにきたのか、ギルドはそれを記録する」
「そう、なんだ……」
しかしそれはよくよく考えてみれば当然のことだった。ギルドを配置しているのは国で、そして国を管理しているのは王様。しかしその土地の実質的なトップは、その土地の守護者たる幻獣族なのだ。シロ様が恐れていたのはギルドに素材を売買することで、ビャクに自分の足跡を悟られることだ。現在クドラの実質的な支配者になっているビャクの管理下の土地で、危うい賭けに出るのは避けたかったのだろう。いくら金銭があったほうがいいとはいえ。
「……えっと、よくわかんねぇが……嬢ちゃんの謎は解決したのか?」
「あ、ごめんなさいレゴさん。置いてけぼりにして……」
「いや、いいんだけどよ」
成程やっぱりシロ様の考えることは合理的だと考えて。しかし私はそこで聞こえてきた困惑の滲む声に、思わず苦い笑いを浮かべた。そうだった、今はレゴさんが近くに居るのだった。シロ様がクドラ族であることは話したとは言え、結局私達の事情を彼は良く知らない。そんな彼の居る場所で話すべきことではなかったなと反省しつつ。
……さてまぁそんなわけで街に着いてから色々なことがあったが、とりあえず金銭面での不安は暫く無い。なんせ大きめに作った巾着がぱんぱんに膨れ上がるだけの額を手に入れたのだ。数えたくはないが、少なくとも私が日本に居た時には触れたこともない金額になっているのだろう。大きな買い物はブローサの街であらかた済ませてあるし、あと不安なところがあるとしたら宿代くらいか。まぁそれも下手に高級な場所に泊まらない限りは大丈夫なはずだ。
「その、レゴさん。宿のオススメってありますか?」
「あー……確か町外れに海嘯亭って美味い飯付きの宿があったはずだぜ。そこで良いんじゃねぇか?」
「成程……ありがとうございます!」
ちらり、未だ釈然としない表情のレゴさんを見上げる。けれど問いかけてしまえば、その表情は鳴りを潜めて優秀なアドバイザーへと早変わり。かいしょうてい。どう書くのかいまいちわからないが、美味しいご飯付きの宿ということならば大歓迎だ。ここは港町のようだし、新鮮なお刺身とかが食べられるかも知れない。魚介類は好きな方である。シロ様やレゴさん、フルフも好きだと嬉しいのだが。
「……結局あの鞄の謎は謎のままか」
「知らないことが良い方もある。お前が善良な者ならば尚更」
「ガキらしくねぇことばっか言いやがるなホント……」
そんな風に美味しいご飯へるんるんと思考を飛ばしていた私は知らない。一番前を歩くレゴさんが不可解な物を見るような目でリュックへと視線を向けていたのも、それをシロ様が雑に誤魔化していたのも。そうしてシロ様の子供らしいとは到底言えない言い草に、レゴさんが呆れたように目を細めていたのも。
「……え?」
でもそれは何も、どこかの食いしん坊の如くご飯のことだけを考えていたからというだけではなくて。眼帯をしていない右目を焼くかのような眩しい日差し。それから逃げるために視線を落とせば、左手の小指が微かに煌めいた気配がした。その瞬間いつも手につけているあの指輪が何故か気になって、私は自分の小指を見つめる。そして、そっと息を呑んだのだ。周りの声が何も聞こえなくなるほどの驚きが心を埋めた。
乳白色のそれに罅割れるかのように滲んだ、暗い気配。ミルク色と呼ぶに相応しかったその指輪はいつのまにか、その色を僅かにくすませていて。私は誰にも気取られないような、小さな声を漏らした。動揺というその感情を、そのまま吐露するかのように。




