七十五話「小さな思い出を重ねて」
そうして砂浜から細道へと歩みだした私達。先程の一件のせいか、道中には最初どこか気まずい空気が流れていて。けれどそんなのは歩みを進める内に、徐々にほぐれていった。それに関しては主にフルフの功績であったと言えよう。暑さにぐったりとしながらも、初めて見るものに興奮しては突っ込んでいくフルフ。そんな白いふわふわの面倒を見ている内に、影がかかるように落ちていた気まずさは吹き晴れていったのだ。ムードメーカーというべきか、なんというべきか。
「……おい、そろそろ」
「あ、うん」
最初に落ちてきたあの森よりも多くの光が降ってくる林の中。木漏れ日と言うには明るすぎる光は、元々色合いの明るい緑たちを更に眩しく輝かせて。フルフが危ないところに突っ込んでいかないかを見守りつつも、私は前を歩くレゴさんに遅れないようにと道を進んでいった。しかしそうやって数分程歩いたところで、私のすぐ後ろを歩いていたシロ様がふと私の服の裾を引く。
振り返ればそこにはフルフを指先で摘み上げながらも、リュックを指差すシロ様の姿が。恐らくいつもの如く風を操り、そろそろ街が近いことを察したのだろう。フルフを人目に晒すのは危険だから、仕舞えということである。先程まで足元をちょろちょろと走り回っていたフルフをどうやって捕まえたのだろうか。相変わらずシロ様のその反射神経には感嘆を抱くばかりだ。
「ごめんね、リュックの中に居てくれる?」
「ピュ」
シロ様の指先によって摘み上げられたフルフは不満げに茶色の瞳を瞬かせながらも、しかし抵抗はしないまま。仕舞われなければいけないことを理解してくれているその子の頭を優しく撫でれば、白いふわふわはまるで気にしなくていいと言わんばかりに鳴いた。それどころか私がリュックのチャックを開けた瞬間、その僅かな隙間へと自ら突っ込んでいく。自由奔放ではあるが、賢い子なのだ。聞き分けもいい。
「どうした……ってあのちびすけは?」
しかしいくらフルフ自身のためとはいえ、こちらの都合に巻き込むことには相変わらず申し訳無さが募った。犬に首輪を着けることがその犬にとっての安全に繋がるように、これは必要不可欠なことではあるのだ。けれどそれでも、あの子だって自分の目で色んな物を見てみたいだろう。
そんなことを考えながらもリュックのチャックを締めた私。しかしそこで私達の歩みが止まっていることに気づいたのか、レゴさんがこちらを振り返った。きょとんと丸まった金色の瞳が何かを探すかのように彷徨う。気球の中の数日でフルフとレゴさんは随分と仲良くなっていたようだった。先程まではしゃぎ回っていたあの子が、忽然と姿を消せば気になるのは当然のことだろう。主に迷子になったのでは、という不安で。
「そろそろ街だろう。アレは些か狙われすぎる質らしいので、人目のつくところでは仕舞っている」
「ああ、なるほどな? 普段はその鞄の中か」
「はい。ちょっと可哀想なんですけどね……」
そんなレゴさんに事情を説明しながらも、私達は再び歩き出す。納得したように頷いたレゴさんがシロ様が背負っているリュックへと視線をやったのを横目に、私は小さく溜息を吐いた。人間に狙われるから閉じこもらなければいけない。それを強いている私が言うのもなんだが、あんまりにも理不尽である。フルフはちょっとお転婆であるもののいい子で、好奇心だって旺盛で……。なのに人の浅ましさというものに、振り回されなければいけないのだ。
そりゃあまぁ、あの小さなふわふわが可愛いという感情は私も理解できる。そしてその可愛いが欲しいに派生するのだって、同じように。でもフルフは誰かの手によって作られたぬいぐるみや人形ではなく、生き物なのだ。美食家で不思議な力が使える、自分の意志がある生き物。決して意思を無視して閉じ込められ、愛玩されるためだけに生きているわけではない。
「そういえば気になってたが、従魔の契約を結んだりはしてないんだな?」
「えっと、じゅうま?とは……」
「あー、知らないのか。そうだな、例えるなら……ペットの魔物版みたいな契約だよ」
なんとかあの子を自由に外に出してやれないだろうかと、そんなことを考えて。しかしそこで聞こえてきたレゴさんの言葉に、私は思わず首を傾げた。またしても初見単語である。いちいち説明を求めるのに大変な申し訳無さを感じつつ、私はおずおずとレゴさんを見上げた。けれど嫌な顔ひとつを見せることもなく、レゴさんは端的に説明を述べてくれる。成程、ペットの契約書の魔物版ということらしい。というかこの世界にもそういう契約書があるのか。私は少し不思議に思った。
「それがあれば例え攫われても、従魔本人の意思で契約者の元に戻れる」
「へぇ……!」
けれどそんな感情は感心で一気に流されていく。成程、誘拐をものともしなくなる契約。レゴさんの話を聞く限り、従魔の契約という制度は私達にとってかなり魅力的なものに思えた。だって例え攫われたとしても、フルフが自分の意志でこちらへと戻ってこれるのだ。それならばあの子を自由に外に出して、色々な物を見せてあげられるかもしれない。今でも眩しいあの子の世界を、より一層と鮮やかに染めてあげられるかもしれない。リュックの中という、狭い世界だけではなく。
「……だが一度従魔としての契約を結べば、破棄はできない。そして一定の期間契約者の傍に居なければ、魔物は弱ってしまう」
「え……?」
「アレはいずれ群れに返す存在だ。故に、契約は結んでいない」
しかしそこで続けられたシロ様の言葉に、私の期待は一気に萎んでいった。一度結んだら破棄ができない、一緒に居なければ弱っていってしまう。それはいずれ群れへと帰っていくであろうあの子のことを思えば、絶対に結んではいけない契約で。
……そもそも、従魔の契約がただ誘拐を防げる便利な機能というだけならば。それならばとっくにシロ様が結んでいたはずなのだ。レゴさんが知っているのが前提かのように話した以上、きっとこの知識はこの世界では常識のようなもの。ということはシロ様も知っていた可能性が高く、その上でそれを結んでいなかったというのなら。そこには当然、何らかの落とし穴があって然るべきだったのだろう。
「あーっと……なんか、ごめんな?」
「い、いえ! 私が無知なのが悪いので……」
上げて落とされを味わい、思わず眉が下がってしまった私。そんな私を気遣うかのようにレゴさんが視線を落とす。何も悪くはないのに謝ってくれる彼に首を振りながらも、私は自分の考えの浅はかさに若干落ちこんでいた。ほんと尽く詰めが甘いというか、なんというか。シロ様が私にそれを告げていないのならそこには何か理由があったはずなのに、それに気づけ無いほど浮かれてしまった。大変恥ずかしい話である。
「……さっさと街に行くぞ」
「うん、ごめんね」
ぽんと、後ろから私の背中を押してくれたシロ様。それに促されるように、私は再び足を動かし始めた。こんな些細なことに落ち込んでいても仕方ない。今日の気分がどこかナイーブなせいでダメージが大きかったが、全てが目まぐるしいこの世界では無知を晒して自爆なんて日常茶飯事なのである。しっかりしろと自分に言い聞かせながらも、思考を切り替えて前に進もうとして。
「……ココミクス、とやらを飲ませるんだろう」
「!」
「落ち込んでる暇があったら、足を動かせ。時間は有限だ」
しかしそこで聞こえてきた小さな声に、私の足は再び止まった。振り返った先、そこには視線を逸しながらも口を動かすことはやめないシロ様の姿があって。どこか気まずそうに、躊躇うように。らしくないと表情で語りながらも、シロ様はその薄い唇を動かした。きっとおそらくは、彼なりの慰めである言葉を。
その言葉は慰めと言うよりも、厳しい励ましという表現の方が近い言葉だった。相手を奮起させるような、そんな。けれど不器用なこの少年が紡ぐそれに、どうしようもなく勇気付けられる。ちょっと落ち込んでいただけだ。上げては落とされて、自分の無知さに嫌気が差して。誰にだってあるだろう。いつもならば流せる言葉が、事実が、妙に胸に刺さって消えてくれない日が。先程の件も合わせて、妙に気分が沈んでいただけだったのに。本当に少しだけ、痛かっただけだったのに。
「うん……!」
それでもシロ様は、そんな些細なことにだって目を向けてくれる。現金なもので、その言葉を聞いた瞬間私の顔に浮かんだのは呑気な笑顔だった。そうだ、ずっと外に出してあげるのは無理だとしても。そうだとしても、あの子に小さな思い出を重ねて上げることくらいはできるだろう。例えば今シロ様が言ったように、ココミクスという特別なジュースを飲ませてあげることだとか。
「……よし、元気出た」
「単純だな」
「う……」
そうやって森に戻るまでに、いくつかの思い出を作っていこう。いつかあの子が群れに戻った時、あの高い鳴き声でその思い出を仲間たちに語れるように。心に落ちていた影はどこへやら、すっかりと立ち直った私。そんな私を呆れたような表情でシロ様が見つめて。
うーん、やはり些か単純すぎるだろうか。でも嬉しかったのである。私の様子をシロ様が繊細に気にかけてくれていることとか、気球内の小さな会話でさえも覚えていてくれたこととか。大事にされている、それを改めて実感できた気がして。……いやまぁ今更実感せずとも、大切に思われていることはあんなことやそんなことで痛いくらいに伝わっているのだが。でもあれらの暴力沙汰や暴力沙汰未遂よりも、穏やかに降り積もるこの小さな実感が嬉しいと言うか。
「……お前はそれでいい」
「……?」
そんなことを考えていたせいか、穏やかな声で呟いたシロ様の小さな言葉を聞き逃してしまい。けれど珍しく穏やかに微笑むシロ様の表情を見ると、聞き返すことはどうにも無粋に思えて。結局私は首を傾げるだけで、今なんと言ったのかなんてことを尋ねることはできなかった。とりあえずシロ様が楽しそうならばいいか、という精神である。
「おーいお前ら、町が見えたぞ!」
「っ、はい!」
まぁ前を歩いていたレゴさんのその言葉に、気を取られてしまったほうが大きかったのかも知れないが。林の中でも明瞭に聞こえてきた声に、私は前を歩いていたレゴさんの方へと駆け寄った。ブーツのかかとが、木から落ちていったのであろう小さな枝や葉を踏みしめていく。その小気味良い音が、ますますと新たな街への高揚を高めていていって。
こちらを振り返っては快活な笑みを浮かべているレゴさんと、私に合わせるかのように付いてくる小さな足音。徐々に早くなっていく心臓の音に息を切らしながらも、私はぎゅっと拳を握った。いよいよウィラの町だ。気球から見下ろした時に見えた南国めいた町並みの、赤い翼の手がかりがあるかもしれない場所。
「わぁ……!」
そうして林が開けた先、そこから見えた町並みに私は頬を紅潮させた。気球で見たのと同じ、通気性の高そうな家と砂浜、ヤシの木のような特徴的な木が立ち並ぶ。まさしく異国情緒あふれるそれは、私の鼓動を高めていくのに充分なわくわくを携えていて。今日からこの場所で、手がかりを探す旅が始まるのだ。何か手がかりが見つかりますように。誰かへの祈りを託しながらも、私達はウィラの町へと足を踏み入れた。とある少女との出会いの切欠を作ることとなる、聖女が愛した海辺沿いのこの町に。




