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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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七十話「雲の上に住まう人」

 それから穏やか、というよりもレゴさんの言う通り退屈な空の旅を満喫して。暫くは近くに見える空を見つめ続けて、そうして満足した私はその後裁縫に没頭していた。シロ様も同じく、私の隣に座って法符作りに没頭である。そんな私達を見てレゴさんは「勤勉なことだなぁ」なんて感心したような呆れたような声を上げていた。ちょっとおじさんみたいだな、と思ったのは秘密にしておいてほしい。

 朝から暫く経って現在時刻はまた夜。その時刻になる頃にはいくつかの小物が完成していた。お店で買った紐を使った刺繍入の巾着が数種類、同じくゴムを使って作った飾り付きのシュシュがいくつか。この世界にも普通に紐ゴムが売っていたのには驚いたなぁなんて事を考えながらも、私は膝の上で微睡むフルフを穏やかな気持ちで見つめていた。どうやらはしゃぎ疲れて眠くなってしまったらしい。


「お、作業は終わりか?」

「はい。あんまり急いでやりすぎても、やることがなくなっちゃいますし」

「まぁ布には制限があるだろうからな。恐らくあと三日くらいの旅になるだろうし、その方が賢明だと思うぞ」


 白いふわふわを撫でてはまったりとしていた私と、そんな私を見て作業に一区切りが付いたと踏んだのか声を掛けてくれたレゴさん。労るような色を含んだそれに笑顔で返せば、良い判断だと言わんばかりに快活な笑みを浮かべたその人は頷いてくれて。本当はフルフとご飯があれば布は作りたい放題の無制限なのだが、それに関しては告げないでおくこととする。危うい秘密は知らない人が多いほど、強固なものとなるのだ。こちらに優しくしてくれるレゴさん相手にまで秘密を抱えるのには、小さな後ろめたさはあったけれども。


「三日?」

「お、おう。今回は空の機嫌もいいし、何もなければ三日もすればムツドリまで渡れると思うぞ」

「そうか。想定よりも早いな」


 口を噤んだまま、頷いているレゴさんに頷き返した私。しかしそこで私の後を継ぐかのような形でシロ様が会話に入ってくる。レゴさんはシロ様の突然の横槍に驚いたように吃って、けれど質問には確かな答えを返してくれた。あと三日、それは想像よりもずっと早いペースのように思えた。一週間かかることもある、なんて事前情報があったからだろうか。それにしても三日で海を渡れる気球は飛行機ほどでないが、結構すごいような。あくまで自分で操縦できる気球だからなのだろうが。

 私と同じことを考えたのだろう。それを聞いたシロ様はシャーペンを紙の上に置くと、ふむと言わんばかりに顎に手を当てた。その手元には数多の紙が積み重なっている。チラリと見ただけでも書き込みがエグいそれを何枚もと量産するのは、例え知識があったとしても私には難しそうだ。相当な集中力と慣れが要求されるだろう。

 

「機嫌……あんまり良いように見えないんですが」


 改めてシロ様の集中力に感心しつつも、私はレゴさんの言葉に小さな引っかかりを覚え空を見上げた。いつもよりも近くに見える空、夜の帳が落ちたそこには一面に雲が広がっている。辺りが暗いせいでよく見えないが、一応その雲の色は白いのだろう。しかしそれらは広く広がり、見上げた空は曇り空のようにも見えた。思えば、昼からこの調子だったような。雲や気象関係については生憎と詳しくないが、一雨来そうと言うか。


「曇り空なら上々だ。いいか嬢ちゃん、最悪な時は嵐が起きて気球が破れる」

「わ、わぁ……」

「ま、暫く嵐が起きそうにはないがな。雲は積雲、気温だって異常無しだ」


 しかしそこは歴戦の仕事人であるレゴさん。私の理科やら地学でのふわっとした知識よりも、実感を伴った彼の知識のほうが上なのは当然のことである。そのレゴさんが大丈夫だと言うなら、大丈夫なのだろう。確かに彼の言う通り雲は広がりながらも大きく纏まることはないし、不穏な黒に染まることもない。月や星々だって、そんな雲達の隙間にちらほらと見えるのだ。これから三日の旅ということで雨が降った場合の対策を聞いておく必要はあるが、必要以上の不安を抱える必要はないだろう。


「……ん?」

「……どうした」

「なんか、変なものが見えて……あれ、何かわかる?」


 そう考えて雨が降った場合はどうするのかと、そんなことを問いかけようとして。しかし雲の切れ間、一瞬だけ見えた何かに私は片方だけになった目を瞬かせた。片方が眼帯のせいで視力が下がってしまったのだろうか。両目1.5は私の小さな自慢だったのに。

 だが何度瞳を瞬かせても、徐々に開けてきた雲の切れ間から見える景色は変わりようがない。幻覚か何かなのだろうか。高山病は悪化すると幻覚が見えてくる、なんて話を聞いたこともあるわけだし。もしかして私は今無自覚の内に具合が悪いのかもしれない。だが幻覚と呼ぶには、目の前に広がる光景は明瞭過ぎた。私は怪訝に問いかけてきたシロ様の裾を引き、一方向を指差す。私が指した方向を見て、シロ様が瞳を冷ややかに細めたことには気づかないまま。


 私が指した方向、そこには僅かな岩壁が見えた。まるで今目の前にある雲の遥か上、そこに山が聳え立っているかのように。


「……なんだ、嬢ちゃん。知らないのか?」

「え?」

「あれはリンガの土地だ。他の種族は寄せ付けない、あいつらだけの王国さ」


 山頂ならばともかく、雲の上に岩壁やら地面やらがあるはずがない。やはりこれは私の幻覚で、私は無意識の内に何か病気にでもなってしまったのだろうか。そう不安になっていた私。しかしそこで聞こえてきたのは、妙に静かに聞こえるレゴさんの声で。私はその声に、思わずレゴさんの方へと視線を向ける。視線の先のレゴさんは、達観を煮詰めたような表情を浮かべていた。思わずひゅ、と息を飲み込んでしまいそうになる程、快活な雰囲気の彼には似合わない冷たい表情を。


「リンガは知ってるな? 俺ら幻獣族の中でも、飛び抜けて特別な存在。この世界の王様」

「その、な、名前だけなら……」

「名前だけ? 全く、嬢ちゃんはどんな僻地から来たんだよ」


 けれどその衝撃に息を吐く間もないまま、レゴさんは話を続けた。リンガ。いつかシロ様が名前だけ教えてくれた、幻獣族の一つ。シロ様が妙に嫌そうに話してくれた、一番わからない種族だ。そういえば街で他の種族の話を聞くことはあっても、リンガ族のことだけは全く聞く機会がなかったと思い至って。しかし私は次の瞬間に、その理由を知ることとなった。一瞬だけ呆れたような色を浮かべて、けれどまたしても冷たい表情に戻ったレゴさん。彼の、その口から。


「それなら教えるが、よく聞いてくれよ。王様つっても賢王だとか名君だとか、あいつらはそんなんじゃない。寧ろ非道で最悪な暴君さ」

「え……?」

「……あいつらのこの世界への悪行を語るなら、それこそ三日かかるな。まぁ有名な話で言えば……黒蟲病か」


 つらつらと並べられた冷たい言葉。非道、最悪、暴君。羅列されるそれらには、達観と静かな怒りが込められている気がした。それに思わず息を呑めば、私の戸惑うような表情を見たレゴさんの表情は困り顔に染まって。しかしそれでもと、彼は言葉を続けた。まるで無垢な子供が危ないところに行かないようにと、言いつけをするような親の顔で。

 私はなんだか怖くなって、膝の上のフルフを優しく撫でた。微睡みから眠りへと落ちていったその子は、私の手付きに気持ちよさそうな寝息を立てては夢の中。穏やかなその寝姿に少しだけ心を落ち着けつつ、私はレゴさんの言葉に耳を傾けた。これは聞かなければいけない話だと、そう思ったからこそ。

 

「……昔、リンガの国では黒蟲と呼ばれる黒い虫が居た」

「黒蟲?」

「ああ。そいつらは元はゴミを食べてくれる優秀な益虫だったらしい。しかしゴミ処理の国策が整ったリンガは、そいつらを空から落とした。益虫であれど醜いから、そんな理由でな」

「醜い、から……」


 そうして始まった不穏な昔話。レゴさんは語る。黒蟲病、それを引き起こしたと思わしき黒蟲と……それの発生に何かのトリガーを引いたのであろうリンガ族の話を。醜いから。それだけの理由で尽くしていたのに捨てられた黒蟲が哀れで思わず眉を下げて。しかしそれはあくまで、前提の話に過ぎなかった。レゴさんは語る。ハッピーエンドにはなれなかった、虫と人族の話を。


「……しかしリンガ族のその傲慢な行いによって、地上は最悪な災害に見舞われることとなった」


 静かな声が夜の空気に妙に響いて聞こえた。私と言えば胸の鼓動を早める嫌な予感に、片手ではフルフを撫でてもう片手ではシロ様の裾を握って。そこで私が怯えていることに気づいたのか、裾を掴んでいる私の手を上からそっと握ってくれたシロ様。その慣れ親しんだ温度に安堵しつつも、私は隣のシロ様の表情を見ることが出来なかった。静かな表情を浮かべたレゴさんの、その口から目を離せなかったのだ。


「幻獣族は法力が高い。中でもリンガとレイブのそれは飛び抜けている。そして空の上で暮らしていた黒蟲にとって、法力が少ない生き物はゴミにしか見えなかった。後のレイブ族の研究から分かったが、黒蟲は法力の有無で物がゴミかゴミじゃないかを判断していたんだ」

「っ……!? もしか、して……」

「……察しが良いな。そういうことだよ」


 かくして彼の口から最悪のバッドエンドは語られる。法力でゴミかそうでないかを見極める黒蟲、法力の高いリンガ族、そしてリンガ族に比べれば劣る法力を持つ地上の人々。それらのピースが重なれば、想像出来るのは一つだった。息を呑めば、レゴさんは眉を下げながらも頷いてくれる。それが何よりの正解の合図だった。

 信じたくなかった。この残酷すぎる推論が正解だなんて、そんなのを。だってそれならば幻獣族に比べて法力の少ない人間は、元々法力を持たない獣人は、どうなったのだ。ぞっとするような想像は、きっと現実に起こったものなのだろう。傲慢な空の上の幻獣族が引き起こした、おぞましい事件。そうしてレゴさんは、正解を語る。私の推論よりも恐ろしいそれを、苦しげな顔で。


「空から降ってきた黒蟲たちは法力が少ない人間や獣人の体に入り込んで、そいつらをゴミとして貪った。黒蟲病の被害による当時の死亡者は、各地で合計すると十万にも及んだらしいぜ」

「……十万」

「その後人間や獣人を食って魔物化した黒蟲の暴走被害を加えれば、被害者は更に数を増す。当時のレイブ族とムツドリ族が治療に辺り、クドラ族とミツダツ族が黒蟲の討伐に回ってなければ……今世界はどうなってたんだろうな」


 十万、いつか歴史の教科書で見たような数字。けれどレゴさんの語り口のせいか、歴史に乗っていた数字よりもその数字は妙に生々しく感じられて。空から追放された哀れな虫は人を殺す寄生虫に成り果て、その末路は人の味を覚えた魔物に。元は益虫だったのに、必要とされた存在だったのに。一つの種族の傲慢が、彼らを真逆の結末へと導いたのだ。

 街でリンガ族の話を聞かなかった理由がわかった。当時自分の得意分野で人や獣人を助けていた四種の幻獣族たち。彼らが今でも人々を守り助けているのに比べて、リンガ族の行いはあまりにも非道すぎる。話をしたくないのだ、誰も。上にいるだけで何が偉いのかもわからない、傲慢な一族の話を。


「……暗い話をしちまって悪かったな。だが嬢ちゃん、これだけは心に刻んでくれ。この事件はあいつらのやったことの一部に過ぎないんだ。あの王様共は、碌なことをしない。いつだって世界を混沌に貶めて何もせず、ただ上から眺めてるだけの奴らだ」

「……はい」

「絶対に近づくな、目を付けられるな。いいか、ムツドリ族に伝わる掟はこうだ」


 そこで話は終わった。少し申し訳無さそうにしながらも、レゴさんは宥めるように私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。自分でも顔色が悪くなっている自覚はあった。恐らくそれを気にしてのことなのだろう。けれどそうして私を宥めながらも、彼は忠告だけは忘れない。あくまでこの話は彼らがやったことの一端なのだと、それを強調しながらもレゴさんは告げた。


「『雲の上は超えるな。残酷な神に目を付けられたくないのなら』」


 この気球は雲の上を超えない。きっとそれはその掟がための言葉なのだろう。私はそんなことを考えながらも、深く頷いた。そうして左手で握っていた裾を更に強く握る。皺になってしまうだろうか、とは考えられなかった。私の手を宥めるように握ってくれているシロ様の手だけが、その時の私にとっての何よりの救いだったのだ。

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