六十九話「安心安全の空の旅」
僅かにですが排泄等に関する話をしている描写があります。話が大きく進むような展開はないので、苦手な方はお避けください。
その後、賑やかで美味しい朝ご飯を満喫した私達。紫の包の中は想定通り、五段に重ねられた重箱だった。一番下の段と二番目の段にはおにぎりや炊き込みご飯などの主食類。中間の三段目にはおひたしや漬物、和え物などの副菜。そうして四段五段目にはこれでもかと言わんばかりのご馳走めいた主菜が詰まっていた。お肉やお魚の煮込み料理や焼き料理などである。
間違いなく今まで食べてきた中で一番豪華なお弁当だったと、そんなことを胸中で一人ごちながらも。現在私はレゴさんから物資だと分けてもらったお水を飲んでいた。この気球はそう狭いわけではないが、それでもその半分は積まれた荷物で埋まっている。やっぱり長旅をする以上、食料や水などの物資は必要らしい。空の上ではそれらを調達することも難しいだろうし。
「っと、忘れてた。嬢ちゃんたち、これも飲んどけ」
「……これは薬、ですか?」
「……まぁ、そうなんだが」
「?」
朧げな記憶の中の気球よりも広く見えながら、けれど積荷のせいで結局は狭くなってしまっている気球。これは旅用のそれなんだから仕方ないかと、そんなことを考えて。しかし私はそこでレゴさんから差し出されたものに目を丸くした。彼の褐色の手のひらの上には、どこから出したのか白い錠剤のようなものがちょこんと二つ並んでいる。
別に今具合が悪いわけではないのだが……もしかして、いわゆる高山病の対策になる薬とかなのだろうか。高いところに行くと空気が薄くなるのは、山でも空でも変わらない。今の所目立った症状はないが、予防薬のようなものなのかもしれないと考えて。けれど何かを躊躇うような素振りだったレゴさんの口は、私にとって予想外の言葉を弾き出した。
「あー……女の子にこんなこというのもアレなんだが、これは排泄を一時的に肩代わりする薬だ」
「はいせ……!?」
「嫌なこと聞かせちまって悪いな。でも必要なことだからよ」
排泄。聞こえてきたそれに思わず声を荒げそうになって、けれどそれは申し訳無さそうなレゴさんの表情で一気に萎んでいった。伏せられた金の瞳は大変気まずそうに見える。年下の女子に排泄の話をする男。それは傍目から見れば事案にも見えるのかもしれないが、良識溢れるレゴさんとしては私にそんなことを話したくなかったに違いない。嫌そうな表情がその全てを物語っている。
「いえ、こちらこそ、その……話させてしまって……」
この人はワイルドな外見とは裏腹、とても誠実な人だななんて思いつつ。私は視線を逸しながらも、そっと褐色の手のひらに乗せられた二つの錠剤を手にとった。そのままシロ様の方へと振り返れば、きちんと話を聞いていた彼は当たり前のように手を差し出してくる。何の感情も浮かばない本日も天才的に美しい顔にどこか複雑な気分を覚えつつ、私はその白い手にそっと錠剤を置いた。今ばかりはシロ様のマイペースメンタルが羨ましい。
「……それで、これはどういう仕組みなんだ」
「……お前、それを聞くのか……?」
「? 問題があったか」
いやこれはマイペースメンタルどころの話ではないな。しげしげと錠剤を見つめた後、真っ直ぐな瞳でレゴさんへと問いかけたシロ様。私はそんなシロ様を見て、思わず目を覆いたくなった。聞いてやるなと、そう思って。
しかし口に出さなかったその言葉が、当然シロ様に伝わるはずもなく。きょとんと丸まった二色の瞳に悪気は一切ない。ただ飲むに当たり、自分や私に支障がないかを確認したいだけなのだろう。それがわかるからこそ、私は何も口出しが出来ない。例え公開処刑じみた真似をされているレゴさんに、助けを求めるような視線を送られても。この展開なんか見たことあるな、とデジャヴを覚えても。この場で唯一の救いは、無邪気に気球の中を探検しているフルフだけだった。
「……はぁ。一回しか言わないからな、頼むからよく聞いてくれよ」
「わかった、頼む」
そうしてとうとうレゴさんは根負けしたらしい。あの何の邪もない端然とした瞳で見つめられれば、そうなるのも当然だろう。私は彼に同情的な視線を送りつつも、けれど説明はしっかりと聞くことにした。万が一にでもシロ様が聞きそびれ、彼にもう一回を強請ることがないようにと。
「といっても俺に詳しい仕組みまではわからねぇ。わかるのはこれがどっかの偉いレイブ族が八年前くらいに作り出した薬であり、食事を摂ることで生まれる排泄物を吸収する効果があるってことくらいだ」
「吸収……?」
「契約してる業者の説明によると、この薬は消化されずに体内のどこかに留まり、生物が排出しようとするものを吸収してるらしいが……悪いな、この手のことは覚えておくのが苦手なんだよ」
こっちの薬を呑むと溜まった排泄物ごと、その薬を吐き出せるんだ。そんなことを言いながら、今度は青い錠剤を見せてくれたレゴさん。成程、そういう仕組みになっているのか。一時的に本来生物が吐き出すものを吸収して、役目を終えたら別の薬で吐き出す。どうしてこういう形になったかまではわからないが、トイレの場所がない長旅には必須の物だ。
これがなかったら他人の目がある中、そういうことをしなければいけなかったのかとぞっとして。いやまぁ流石にそれはないにしても、いちいちそのために気球を降ろすようなことになったのかもしれない。それでは気球を操ってる人、レゴさんの何かしらの負担があるだろう。開発してくれたレイブ族さまさまである。気球便という存在に置いてこの薬は、恐らく必須の代物だ。
「でもこの薬にはデメリットがあってな。消化できねぇもんを体内に一定期間以上溜め込むのは、服用者の健康に害があるらしい。常用も危険だ」
「ええと、それなら今回のように一時的に使う分には問題ないってことですか?」
「ま、そういうこったな。その辺は今までの客でお墨付きだし、心配はいらない」
どうやらそれで説明は終わりらしい。常用は危険だが、一時的に使う分には体に害がない薬。レゴさんに余計な手間を掛けさせるわけにもいかないし、何より最悪尊厳が損なわれる場合がある。今までに他のお客さんの例もあるわけだし、問題ないだろう。私はそう判断して、その錠剤を口に含んだ。先にもらっていた水でそれを押し流して、ちらりとシロ様の方を見る。すると同じく問題なしと判断したらしいシロ様もまた、薬を水で流し込んでいて。
「……よし。私もシロ様も飲みました!」
「おう。それなら目的地に着いたら、こっちの錠剤も渡すからな」
「はい、ありがとうございます」
シロ様が飲み終えたのを確認した後にレゴさんへと報告すれば、私達と同じように薬を飲んでいたレゴさんは心得たと言わんばかりに頷いてくれた。そうか、レゴさんも飲まなければいけないのか。常用は危険だと言っていたが、この仕事を生業としているレゴさんが飲むのは大丈夫なのだろうか。私達のようなお客さんと違って飲む機会が多いだろうし、体調を崩したりするのでは。私は少し不安になった。
「……ん? あぁ、もしかして俺のことを気にしてくれてんのか?」
「あ……えっと、はい」
「そんなに心配しなくても大丈夫だぜ。一応長期の気球操縦の後は休みを取ってるし、そもそも幻獣族ってのは人間と違って排泄の回数も少ないからな」
だがその不安はどうやら杞憂だったらしい。私の視線に何かを察してくれたらしいレゴさんは、さらりとした説明の後にありがとなという言葉を返してくれる。仕事の後のお休みはちゃんと取っているし、そもそもここにも幻獣族としての利点があるから問題ない。からりとした笑顔でそれを語ったレゴさんはすこぶる元気そうだし、恐らくその言葉に嘘はないのだろう。
しかし、そういうところでも幻獣族の利点があるとは。そういうことの回数が少なければ異物として体内に残る対象が小さくなるから、人間よりも影響が少ないということなのだろう。いくらそういう薬があるとはいえ、尽く気球の操縦者という仕事は幻獣族向きだ。体質も能力も、その全てが。その中で一番向いているのが、直接空を飛べるムツドリ族ということなのだろう。
「そういや料金のことについて説明し忘れてたな。今回はカシ子持ちだから、そのことについても嬢ちゃんたちが心配する必要はない」
「え、でも……」
「そんなに心配しなくても、そっちの坊っちゃんがケヤに変なもん渡してただろ? あのデカさの金属なら、ウチの料金を払ってたとしてもお釣りが来るくらいだ」
「そ、そうですか……」
ふむと納得していれば、ついでと言わんばかりに今回の料金のことについてもレゴさんは説明してくれた。恐らく仕事の話をしていたから、そこ繋がりで思い出したのだろう。カッシーナさんはちゃんと料金までもを負担してくれていたらしい。売るものはあれど現金が少ない私達からすればそれはありがたいことで、けれどそれと同時に申し訳ないことでもあった。
あんなにも面倒を見てもらったのに、この気球を動かすお金までもを払わせてしまうなんて。一瞬後ろめたさを感じて、しかしそれは続けられたレゴさんの言葉で冷や汗へと変わっていく。そうか、そういえばアレを渡していたのであった。どうやらレゴさんはアレをただの金属だと思っているようだが、本来のアレの性質を考えれば、もしかしたらお釣りなんてものでは済まされないかも知れない。それにケヤさん達が気づいてるかどうかは、もう神様にでも祈るしか無いのだが。
「ってことで……嬢ちゃん達は何の心配もせず、思う存分この退屈な空の旅を満喫してくれ!」
「ピュ!」
何も知らずに売って、どこかで大惨事になっていないだろうか。それを心配しつつも、しかし私の中にアレを渡すシロ様を止めなかったことへの後悔はなかった。あれがシロ様なりのけじめで、シロ様なりにケヤさんへ信頼を返した行動だとなんとなく察しているからこそ。あれは間違いなく、シロ様が他人に気持ちを返した一歩目だったのだ。感謝という、それはそれは優しい形で。
そんなことを考えながらも、私はまるでどこかのパフォーマーのように仰々しく言葉を紡いだレゴさんに小さく微笑んだ。意味がわかっているのか、その勢いに乗るかのように飛び跳ねているフルフは愛らしい。色々と心配事は多いが、今はとりあえずこの空の旅を満喫しよう。後ろのシロ様もまた、いつもより近い空を眺めては穏やかに過ごしているようだし。




